1991年5月15日に発表され、同年5月16日から発売されたビートが30周年を迎えました。
シングルカムでありながら、高回転まで気持ちよく回るE07Aエンジンをリアに搭載し、軽自動車でありながら、前後ともウィッシュボーンを装備し、私のような走りを楽しみたい人にはたまらないクルマです。
別にサーキット走行をしなくても、フルオープンにして風を感じながら流して走っても楽しいのは言うまでもありません。
今日は、現在、縁あってビートオーナーになっている皆さんと一緒に、30周年をお祝いしつつ、私もあらためて、ビートとの付き合いを振り返ってみます。
初めてビートを見たときに一目惚れ。
いつかミッドシップのビートに乗りたいと願い、某オクを徘徊していて、あるビートが目に止まりました。
結果、純正色の白い(クレタホワイト)ビートを個人売買で購入し、2005年10月24日から晴れてビートオーナーになりました。
極上車ということで岡山県まで現車確認に行ったのに、運転席側のドアミラーが根元から折れてガムテープで固定してあったり、アンテナが折れていたり、他にも不具合があって「どこか極上車や!」と心の中で思いましたが、ボルトオンで交換できる箇所ならどうとでもなると思い、勢いで購入したのを今でも覚えています。
そして、嫁さんに黙って購入してメッチャ怒られたことも・・・(笑)
私の手元に来てからは、すぐに走らせることもできず、しばらくはメンテナンスに明け暮れました。
メンテナンスをしながら少しずつアフターパーツを装着していき、ようやく走らせられるようになってからも、LSDを入れたのは、かなり後からでしたね。
LSDを買うお金がなかったこともありますが、LSDを入れる前に◎◎秒出すとか、自分に課題を出し、それをクリアしてからにするというようなことをやっていましたね。
それまでジムカーナのメイン車両だったミラから、その役目がビートに代わってからは、いろいろと遠征もするようになりました。
2011年10月 琵琶湖スポーツランド
2012年11月モビリティおおむた
2012年12月中山サーキット
2013年3月阿讃サーキット
それがきっかけで阿讃バトルカップにも出るようにもなったのも懐かしい思い出です。
この頃には、蛍光グリーンのホイールに始まり、グリーン、ライトグリーンなどグリーン系に塗装し直したホイールを履くのが定番になっていました。
2015年10月 名阪サーキット
名阪でのジムカーナ等に行くときは、毎度、大阪のアントニオさん宅でお世話になったことを昨日のことのように覚えています。
過去の履歴を振り返ると、2015年からボンネットが黒くなり、全身真っ白だったボディから黒い部分が増えてきて、今の姿の序章が始まりましたね(笑)
2016年11月キャピタルスポーツランド
2016年5月徳島カートランド
2016年8月モーターランドたぢかわ
土居さんに「とりあえず走りに来い!」と言われ、公式戦として初めて地区戦(クローズドクラス)に参加したのが四国地区で、高知県にあるモーターランドたぢかわでした。
翌年2017年から中国地区の地区戦に参加するようになり、初めて参加したのがTSタカタサーキット。
そこからズルズルと地区戦に・・・(笑)
2017年10月姫路セントラルパーク
そして、現在の姿がコレ(笑)
純白ボディでいろいろ部品を直してばかりだった当初の頃から比べると、随分、見た目が派手になりましたが、中身はもう何年も変わっておらず、基本的なメンテナンスを繰り返しているだけです。
2018年途中から地区戦で戦うマシンを黄色にシフトしてからは、黄色のイメージの方が強いかもしれませんが、やっぱり私にとってビートは苦楽をともに過ごした期間も長く、いつまでもカワイイ相棒です。
純正部品の調達がこれから益々厳しくなってくるかもしれませんが、できる限り、飼育し続けたいと思っています。
そうそう、ビート乗りのMDiさんが提案されていた「ビート30周年のお祝いとしてドアミラーに赤いリボンをかける」ということに乗るつもりで赤いリボンを探したのですが、微妙に色が違うピンクしかありませんでした(笑)
同系色ということで許してください(^^;
乗っている人にしかわからないビートの楽しさ。
良い個体に出会った人は運が良いと思いますし、悪い個体でも直していくうちに愛着が沸き、良い意味で泥沼にハマった(笑)運の悪い人もそれはそれでビートライフを満喫していると思います。
私は以前に比べるとビートで競技に出る頻度は減りましたが、これからもビートライフを楽しんでいきたいと思います。
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Posted at
2021/05/16 20:11:18