3日前、「スローイン・コースアウトカプチーノ」を全塗装した経緯を書いたのですが、その反響にちょっと驚いています。
自分自身の葛藤の末、感謝、恩返し、いろんな思いがミックスされて、カプチーノの全塗装に踏み切ったという話なのですが、その話にいろんな人が「共感」していただき、私自身、驚きとともに、私がとった行動に「共感」していただいた皆さんに感謝しています。
「イイね!」の件数が1,000件を超えるような状況となってしまいましたので、今日はいつも私が感じていることを書こうと思います。
インターネットという顔が見えない世界で、顔の知らない人が考えていることや感じていることに共感できるというのは、少なからず自分自身の中に
「相手を認める」という気持ちがなければ成立しないと思います。
相手を認め、その人の「思いや考え」と「自分自身の生き方」などと重ねあわてみて、通じることがあれば初めて「共感」できるのだと思います。
逆に妬みや嫉妬心が強く、常に相手を否定するような考えしか持てない人は、なかなか「共感」することも難しいと思います。
私も人を羨ましいと思うことは、しょっちゅうあります。
でも、いつまでも「あいつは恵まれているから」とか、その人が置かれている境遇を嫉むようなことはしないように心がけています。
その理由は、そんなことをし続けていても、自分自身がみじめになるだけだから。
「悔しかったら、自分でできることをやってみろ!」と誰かに言われる前に、自分自身で思うようにしています。
これは、インターネットの世界だけでなく現実の世界でも同じです。
私が持っていない知識、技術、経験、情熱・・・。
お金では買えないものを身に付けている、もしくは心がけている人に出会ったとき、素直に尊敬できます。
場合によっては、私よりも知識、技術、経験が劣っていても、努力家であったり真面目であったり、熱いハートを持った人に出会ったときも、その人を尊敬することができます。
そして、尊敬すると同時に、その人が持っている「いいモノ」を少しでも盗んでやろう(=学ぼう)と常に思っています。
「お手手をつないでみんな平等」なんてことが素晴らしいとは思っていません。
競争やライバルがいてこそ、相手を認めることができるし、切磋琢磨できる。
仕事であっても遊びであっても、そうして
「相手を認める」ことができれば、「世の中捨てたもんじゃない!」
・・・そう思える世の中になると思いませんか。
Posted at 2013/04/16 20:50:44 | |
トラックバック(0) |
日常 | 日記