
クルマ・ジャケコーナー第57回は、三原順子の「ベスト・セレクションVol.2」(1983)です。
三原順子(みはらじゅんこ1964- 三原じゅん子)、ご存じですか?
元女優・歌手、元介護施設経営者、元レーシングドライバー、
そして参議院議員(2010年-)!
TVドラマ「3年B組金八先生」(1979-)に「山田麗子」役で出演。
ツッパリのイメージで人気が出ました。
歌手としても、デビューシングル『セクシー・ナイト』は売り上げ30万枚超えを記録。
『セクシー・ナイト』(1980 作詞:亜蘭知子、作曲・編曲:長戸大幸)
おそらく、背景グリーンが初盤。そしてすぐコチラ(明星提供)に変更。
化粧が濃すぎたせいらしい・・・😅
ジャケ裏の違いはココ。左が初盤。
1stアルバム「セクシー・ナイト」(1980)

帯には『爆発する超新星(スーパー・ノバ)』の売り文句!?
2ndシングル『Let's Go 青春』(1980 作詞:亜蘭知子、作曲:青山八郎、編曲:河野土洋)
主演TVドラマ「GOGO! チアガール」(1980)主題歌
共演者のケンちゃんこと宮脇康之との交際を宣言してしまい、アイドルとしての人気は急降下・・・
3rdシングル『ド・ラ・ム』(1981 作詞:亜蘭知子、作曲:長戸大幸、編曲:中島正雄)
4thシングル『サニーサイドコネクション』(1981 作詞:亜蘭知子、作曲:網倉一也、編曲:松井忠重)
5thシングル『いとしのサマーボーイ』(1981 作詞:亜蘭知子、作曲:川口真、編曲:萩田光雄)
コカ・コーラのキャンペーン非売品レコ(5thシングルでいいの?!)
抽選で、ノーランズ、アバ、ドゥービー・ブラザーズ、三原順子、クリスタル・キングのレコのどれかが当たるというものだったらしいです
6thシングル『真っすぐララバイ』(1981 作詞:三浦徳子、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀)
2ndアルバム「時限爆弾」(1981)
8thシングル『だって・フォーリンラブ・突然』(1982 作詞:T.C.R横浜銀蝿R.S.、作曲:TAKU、編曲:中島正雄)
デビュー曲『セクシー・ナイト』(1980)の8位に次ぐ11位のヒット曲
10thシングル『ホンキでLove me Good!!』(1982 作詞曲:TAKU、編曲:中島正雄)
この曲でNHK紅白歌合戦に出場(1982 1度のみ)
11thシングル『ミスティー・ヒロイン』(1983 作詞:来生えつこ、作曲:南佳孝、編曲:松井忠重)
女優としても、TVドラマ、映画、舞台,Vシネマ等に出演
映画『キャバレー』(1986) - ホステス 英子 役
クラブで歌うシーンもあったようですがコレ↓ ?
映画「キャバレー」主題歌
『Left Alone』/マリーン(Marlene 1986 12thシングル)
↑ 三原順子なのか?
「CABARET Original Motion Picture Soundtrack」(1986)
Vシネマ『卍舞2 妖艶三女濡れ絵巻』(1995) - おゆう 役
NHK大河ドラマ『功名が辻』(2006) - 堀尾いと 役
国際B級ライセンスを取得してカーレーサーとしても活動(1987-1999)。

グループA、スーパー耐久などのツーリングカーレースにMR-2、レビン、ホンダ・プレリュード、インテグラなどで参戦してたそう。
レース中の事故で骨折も7回経験しているだって。
二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」の監督も務めています(2005-2007)。
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子宮頸癌を患い子宮を摘出(2008)という自身の闘病経験もあり、医療や介護問題への関心を強め、がん撲滅等の啓発活動を行うようになり、2010年には介護施設の経営も始めました。
そして同年、自由民主党から参議員選挙(比例区)に出馬し当選。タレント活動を止めています。
現在、厚生労働副大臣(2020年9月-)のほか、トラック輸送振興議員連盟事務局次長、オートバイ議員連盟事務局長、モータースポーツ振興議員連盟事務局長などを務めているようです。
さて、本日ご紹介のクルマジャケ・レコ
「ベスト・セレクションVol.2」/三原順子(1983)
2ndシングルを除き、1st『セクシー・ナイト』~10th『ミスティー・ヒロイン』 + 3曲。
2nd『Let's Go 青春』が入ってれば、初期シングルコンプリなんですが、、、
となるとVol.1には何が入ってるでしょうかね?
ジャケのクルマは、、、
【登場車両】
トヨタ・スポーツ800

1965年(昭和40年)~1969年(昭和44年)にかけて製造されたスポーツカーで、エンジンは水平対向2気筒の空冷790cc、49ps。
モノコック・ボディに独立式のフロント・サスペンション。ルーフは着脱可能でオープンカーになります。
非力ながら超軽量(580kg)と空気抵抗の少なさで優れた性能を発揮し、「ヨタハチ」の通称で愛されているクルマです。
Wikipediaには、
『ジェット機のごとき音を発するDOHC4気筒エンジンを搭載し、とにかく速いが、重く曲がりにくく燃料を食うホンダ・S600に対し、「ポロポロポロ…」あるいは「バタバタバタ…」と気の抜けた2気筒エンジンの音を立てながら走るヨタハチは、その軽さによって操縦性が良かったことに加え、当時珍しかった風洞開発のおかげで空気抵抗も少なかったため、燃料消費やタイヤ摩耗が少なく、結果としてピットインの頻度を他車より少なくできるという強みがあった。1966年の第一回鈴鹿500kmでは、一度もピットインすることなく優勝した上、30%も燃料を残していたという。』
さらに、
『1965年(昭和40年)7月18日の全日本自動車クラブ選手権レースでは、1,300 cc までのカテゴリーGT-Iレースの序盤に、雨中決戦でホンダ・S600を駆る生沢徹のスピンに巻き込まれてクラッシュし、少破した車体を復旧すべくピットインした浮谷東次郎のヨタハチは、一時16位にまで後退しながら、その後驚異的な追い上げによって、ついには先頭を走る生沢のS600を抜き去り、優勝した。』
というスゴイ逸話がありました。
累計販売台数は3,131台というのですから、貴重ですね。
中古では500万円前後からあるようです。
【自己採点】
クルマ度 9点(ヨタハチ!)
魅惑度 6点(ヒネリが欲しかった・・・)
音楽度 4点(それほど思い入れのあるアイドルではなかったので・・・)<(_ _)>