
クルマ・ジャケコーナー第121回は、CASIOPEAの「CASIOPEA」(1979)です。
CASIOPEA(カシオペア 1977 - 2006,、2012~CASIOPEA 3rd、2022~CASIOPEA-P4)ご存知でしょうか?
Wikipediaには『日本のフュージョン・バンド。1977年に結成。1979年にデビュー。』とありますが・・・
ヤマハ主催のアマチュアバンド・コンテスト「EastWest'76」に「カシオペア」の名で出場してるようです。
このとき('76)のメンバー、鈴木"リカ"徹(D)は和田アキラ(1956 - 2021)率いる「PRISM(プリズム)」(1975 - 2021 ?)を選び,脱退。
「PRISM」/PRISM(1977 1st)
『Morning Light』もいいネ~
この「EastWest」で,リーダーの野呂一生は'76・'77と2年続けてベスト・ギタリストに輝いてますが,'76に賞品としてもらったヤマハSG-2000が愛器となります。
ちなみに、「EastWest'77」でのベスト・ボーカリストはサザンの桑田佳祐。
「EastWest'77」でのメンバーは、野呂一生(のろいっせい 1957 - G)、桜井哲夫(さくらいてつお 1957 - B)、佐々木隆(ささきたかし 1956 - D)、向谷実(むかいやみのる 1956 - Key)。
そしてこのメンバーでアルバム・デビュー。
1stアルバム「CASIOPEA」/CASIOPEA(1979)
録音時のメンバーの平均年齢は21歳! 本日ご紹介のレコです。
前回
クルマ・ジャケ「Midnight Lover」/THE SQUAREでご紹介した「THE SQUARE」の方が先にレコード・デビューしてたんですね。
「Lucky Summer Lady」/THE SQUARE(1978 1st)
この時、安藤まさひろ(1954 - )は24歳ぐらいでしょうか。
上掲3枚のアルバムのジャケを好きな順番に並べると、あなたならどうなります?
2ndアルバム「SUPER FLIGHT」/CASIOPEA(1979)
今度は飛行船~
1stからわずか半年後にリリース。基本、メンバー4人だけで制作されてます。
9曲中7曲を書いた野呂一生は、B4『Magic Ray』ではフレットレス・ギターを弾いてます。
B1『I LOVE NEW YORK』は日本航空のCM曲。
私的にはやはりA4『朝焼け ASAYAKE』ですね!
その後、佐々木隆(D)が音楽的な方向性の違いにより脱退し、神保彰(じんぼあきら 1959 - )が加入。
そしてすぐにライブ・アルバムを発表。
3rd(1st ライブ)アルバム「THUNDER LIVE」/CASIOPEA(1980)
↑ 『神保の母は初版のジャケット写真を見て「息子のデビューがこれじゃ……」と困惑した(Wikipediaより)』ほど酷い(?)ため・・・
↓ 再プレス版から変更されてます。
同時に映像も収録されましたが、市販化されたのは10年以上経ってから。
LD「act-one CASIOPEA LIVE HISTORY」/CASIOPEA(1992)
↑ レーザーディスクです~
Ch3『HAVE A NICE DREAM』とCh4『BLACK JOKE』がそれ(アルバムとは別日テイク 1980.2.8)。
『HAVE A NICE DREAM』は野呂の泣きのバラード曲。
『BLACK JOKE』は各自のソロがあり、加入したての神保彰のドラムソロもスゴイ。
いやあ~、若さ+上手さ? テクのことははわかりませんが、こんだけできたら気持ちイイだろうな~。生で観たかった!
4thアルバム「MAKE UP CITY」/CASIOPEA(1980)
初めてアメリカおよびヨーロッパでも発売されたアルバム。
「日本初のデジタルレコーディングのアルバム」と謳われており、後に野呂は「デジタルレコーディングではサウンドがのっぺりしてしまうのが欠点なので、アナログ処理を加える事でその問題をクリアするようになった」と発言をしているようです。
松武秀樹が全面参加し、その華やかなシンセサウンドもこのアルバムの特徴の一つ。
5thアルバム「EYES OF THE MIND」/CASIOPEA(1981)
プログレ・ジャケ?! どうせならバカテクでプログレもやって欲しかった・・・
Harvey Mason(ハーヴィー・メイソン)がプロデューサーとなり、それまでの重厚でスリリングな作風から、西海岸風のポップサウンドに変化したアルバム。
A4『Lakai(ラカイ)』はハーヴィーとBob James(ボブ・ジェームス)の共作曲。
B3『(La Costa(ラ・コスタ)』はボブ・ジェームスの曲。
自らの新曲は無く、ハーヴィーなどによるアレンジを変えた曲を収録。
A1『ASAYAKE』はビートが強調されギターがメインに。
6thアルバム「Cross Point」/CASIOPEA(1981)
残念ながら持っておらず未聴。傑作アルバムらしい・・・(;^_^A)
7th(2ndライブ)アルバム「Mint Jams」/CASIOPEA(1982)
コチラも持っておらず未聴。(T_T)
デビュー以来のベスト7曲をホール・レコーディングし直したアルバム。
この年の「ADLIB」誌のフュージョン・ベストレコード、「JAZZ LIFE」誌のベストレコードに選ばれているくらい最高傑作アルバムらしい・・・
この後、刺激を求め、野呂はインド、桜井はブラジル、向谷はヨーロッパ、神保はニューヨークへと旅立ちます。
8thアルバム「4×4 FOUR BY FOUR」/CASIOPEA(1982)
Lee Ritenour、Don Grusin、Nathan East、Harvey Masonとのセッション・アルバム。
カシオペア4人がリトナーたち4人と向かい合う形でレコーディングしたので「4×4」。
8人全員で演奏加したのはB1『Galactic Funk』のみで、他曲はベースが櫻井哲夫かネイザン・イーストのいずれか。
A1『Mid-Manhattan』では神保とハーヴィーのツイン・ドラムが聴けます。神保彰が書いた曲で複雑な譜面にもかかわらず、ハーヴィーはいとも簡単に演ったそうです。
リトナーたちが来日翌日にリハーサルなしで9時間で録ったというんですから、なんともすごい話ですね。
LPには楽譜が入ってますが、どんだけ難しいことを演ってるかっていうアピール?!
9thアルバム「Photographs」/CASIOPEA(1983)
野呂や桜井のスキャットやヴォーカル、さらに初めてサンプリング等を導入し、それまで以上にポップとなったアルバム。
A5『Out Drive』は渡辺貞夫の作曲。
この年9月にロンドンで初の海外ライヴを行い、大きな反響を得ます。
10thアルバム「Jive Jive」/CASIOPEA(1983)
約1ヶ月ロンドンに住み、公演しながらレコーディングしたアルバム。
ボーカル曲が数曲あり、B4『What Can't Speak Can't Lie』のボーカルはKi-Ki Dee(キキ・ディー)。
11th(1stベスト)アルバム「The Soundgraphy」/CASIOPEA(1984)
初のベスト盤。
A1『THE SOUNDGRAPHY』(新曲)は「マクセル・ビデオカセットHiFi GOLD」のCM曲で、メンバー全員も出演!
楽器は大丈夫だったのでしょうか?!
A5『朝焼け』はライブ・アルバム「Mint Jams」から。
12thアルバム「Down Upbeat」/CASIOPEA(1984)
ニューヨーク録音。
全曲インスト、メンバー4人のみでの全曲一発録りアルバム。
13thアルバム「HALLE」/CASIOPEA(1985)
初回特典:カシオペア特製ゲーム・カード付!
特製ゲーム・カードって、トランプ??
A1『HALLE』は初の4人共作曲。私的に一番好きな曲です。
『HALLE』3万枚限定12inch シングル(45rpm) ロゴステッカー付。
↑ 裏ジャケのイラストは鈴木英人だと思うのですが、クレジットがありません。
このCD「HALLE」のみ、当時定価で買いました。
スピーカー選びの時、オーディオ店にコレを持って行ったことも。
他のCD、レコ、LDはすべてジャンク箱で見つけたものです(;^_^A)
LD「CASIOPEA LIVE」/CASIOPEA(1985)
両国国技館(1985.4.27)でのライヴ。「HALLE」の曲は入ってません。
LD「CASIOPEA PERFECT LIVE II」/CASIOPEA(1987)
楠木勇有行(くすのきゆうこうVo,Per)をゲストに迎えた、五反田簡易保険ホール('86.12.27)でのライブ。
楠木は「柳ジョージとレイニーウッド」の後任ボーカリストとして「THE WOOD」に参加した人物。
14thアルバム「SUN SUN」/CASIOPEA(1986)
ニューヨーク録音。
ヨーロッパや東南アジアでの成功を勢いに、プロデューサーにデヴィッド・ボウイのサポートギタリストとして知られるカルロス・アロマーを迎え、ボーカル曲などを入れ、再度の全米進出を試みたアルバム。ゲスト・ボーカルには元The BabysのJohn Waite(ジョン・ウェイト)の名が!
しかし、全米進出は成功せず、このアメリカ市場に向けた音楽性の変化で、日本での人気も徐々に下降・・・
1985,86年にはソロアルバムもリリースされ、89年にはアルバム制作と全国ツアーを休止。
櫻井と神保は、国分友里恵などをボーカルとしたバンド「シャンバラ」を結成(1989)し、アルバム制作・ライブ活動を始め、やがてカシオペアを脱退。
アルバム「SUN SUN」のA6『After Glow』が映画「ハワイアン・ドリーム(Hawaiian Dream)」(脚本・監督:川島透)の挿入曲として使われてますね。
「ハワイアン・ドリーム(Hawaiian Dream)サウンドトラック」(1987)
A1『夢の続き』(アルバム「REQUEST」/竹内まりや)が主題歌。
他に山下達郎、村田和人、高中正義、KALAPANAらの曲が使われてます。
時任三郎とジョニー大倉が主演?
LD「Jóia -CASIOPEA AORLD TOUR-」/CASIOPEA(1989)
16thアルバム「PLATINUM」(1987)リリース後の'88ライブで、ブラジル、オーストラリア、メキシコ、USA(ロサンゼルス)などでのライブおよびプライベート映像を観ることができます。
↑ 神保が使ってるのはスティック・ドラム。
この頃、野呂さんも櫻井さんもヒゲなしなんですね。この4人での最後の笑顔?
LD「THE PARTY -VISUAL STACK-」/CASIOPEA(1990)
鳴瀬喜博(B)、日山正明(D)がメンバーとなり初レコーディング(音と映像を一発撮り)作品。
↑ 鳴瀬喜博(なるせよしひろ 1949 - )は、あの「EastWest'77」で審査員をしていた際、コンテストであるにもかかわらずカシオペアにアンコールを求めたらしいです。(*^^)v
この辺りからはジャンクCDしか持ってません(;^_^A)
21stアルバム「FULL COLORS」/CASIOPEA(1991)
コチラは新メンバーでの初スタジオ録音。
『Akappachi-Ism』ではナルチョ(鳴瀬)の8弦ベースが唸ってます。
25thアルバム「ANSWERS」/CASIOPEA(1994)
24thアルバム「DRAMATIC」からドラムは熊谷徳明(くまがいのりあき 1970 - )に。
カシオペアは2004年までに27作のオリジナル・アルバムを、2004年には「CASIOPEA VS THE SQUARE LIVE」というアルバムを発表。
活動休止(2006 - 12)後、向谷が脱退、大高清美(Key)が加入し、「CASIOPEA 3rd」として活動を再開。2020年までに5作のオリジナル・アルバムと5枚のライヴ・アルバムをリリース。
2022年には新ドラマー今井義頼を正式なメンバーにし、「CASIOPEA-P4」として活動することが発表されているようです。
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「CASIOPEA」/CASIOPEA(1979)
野呂一生が全作曲。
Randy BreckerとMichael Breckerのブレッカー兄弟、David Sanbornらがゲスト参加してます(ホーン・アレンジは深町純)。ミキシングはGeorge Bensonの「Breezin'」などを担当したAl Schmitt。
このデビューアルバムからほぼ一貫して「ギター、ベース、キーボード、ドラム」の4人編成。そしてギターがメインというのがやはりイイですね!
おそらく当時のギター(ベースもドラムもキーボードも)小僧は驚愕し、夢中で追いかけたんじゃないでしょうか。
キャッチコピーは「スリル、スピード、スーパー・テクニック」。
だからこのジャケ? ちょっと安易な感じもします。
さてさて、ジャケのクルマは・・・
このポルシェのヘルメットに惑わされました。
で、なかなか判らず、TRG仲間に写真を送ってお願いしたところ、みん友の880乗りNoriさんが見つけてくれました!
なんと、英語版Wikipediaに答えがあったんですねえ。いやあ、日本版にはなくて英語版にあるなんて、さすがCASIOPEA!
Casiopea (album)
『The cover depicts two racecars racing each other on a raceway. The cars are based on Can Am cars running in the japanese Fuji Grand Champion series at the end of the seventies, most likely a Lola T290 Mazda and a March 74s from the 1978 & 1979 championships.』
『カヴァーは競い合う2台レースカーを描いている。70年代最後の日本の富士グランドチャンピオンシリーズで走ってる車をベースにしていて、もっとも似ているのは1978年と1979年のチャンピオンシップのLola T290 Mazda and a March 74s 』
・・・という感じでしょうか。
「富士グランチャンピオンシリーズ(通称グラチャン)」は、排ガス対応を理由にトヨタ、日産が撤退し中止に追い込まれた「日本グランプリ」の後を受けたレース。
『メーカー(ワークス)に頼らず、ドライバー(プライベーター)がスポンサーを募りチーム運営する、いわゆる欧米型レースを初めて日本で実現』し、日本のモータースポーツ史に大きな功績を残したシリーズ戦。
1971年4月25日、6kmのコース50周で競う「富士300kmレース」で開幕しています。
星野一義や中嶋悟など、私でも聞いたことあるドライバーが熱く競い合っていたレースなんですね(私がよく知らないだけですね)。
さて、LPの発売が1979年5月25日ですから、ジャケ写真の元は「Grand Champion Series 1979 300km Fuji (1979.3.25)」の可能性あり。
であるとすれば2台は・・・
マーチ74s マツダ(March 74S Mazda)/岡本金幸(Kaneyuki Okamoto)/Okamoto Racing
ローラT290 レプリカ マツダ(Lola T290 Replica Mazda)/赤池卓(Taku Akaike)/Mazda Auto Yamanashi
わざわざ画像を編集しマシン・カラーを変えた?
「CASIOPEA」のロゴの入れ方なんか、当時はコレが限界だったんでしょうか・・・?
私のみん友さん(痛セロ乗り)の方が遥かに上手い (笑)
【登場車両】
マーチ74s マツダ(March 74S Mazda)
ローラT290 レプリカ マツダ(Lola T290 Replica Mazda)
【自己採点】
クルマ度 6点(レーシングカーはよく知りません・・・)
魅惑度 5点(このロゴの入れ方は・・・初期CASIOPEAのジャケはねえ)
音楽度 7点(バカテク・フュージョン!早弾き過ぎ~!)
・・・いやあ~、LP、LDを観聴きし直し、かなりの時間がかかりました~
(;^_^A
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございました。m(__)m