
鎌倉ドライブ、いよいよ2日目です。(;^_^A)
当初、2日目に予定していた「長谷寺」「鎌倉大仏」などを1日目に行ってしまったので、予定していなかった場所をいくつか回ってみました。
「源頼朝公落馬地」(藤沢市辻堂)
頼朝は1198年12月27日、落馬し、53歳で死んだという・・・
なぜか『吾妻鏡』には、この日を含む建久7年(1196年)から建久10年(1199年)1月まで3年間の記述が欠落(頼朝の死については約13年後「回想」の形で記録)しており、暗殺説もある?
今回の大河ドラマで頼朝の右手が痺れる描写は、公家・近衛家実の日記『猪隈関白記』に「飲水の重病(糖尿病)」とあることを基にしたそうです。
「白旗神社」(藤沢市)
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州平泉で自害した義経の首は、腰越で和田義盛・梶原景時によって確認され、その首は夜の間に白旗川を上り、この地に辿り着いたという言い伝えがあるようです。
「義経・弁慶像」(令和元年建立)
「白旗神社」は源氏の白旗のことで、日本全国に70社ほどあり、その多くは源頼朝を主祭神とし、神奈川県、千葉県に多いとか。
「源義経公鎮霊碑」
「弁慶の力石」
「清浄光寺(しょうじょうこうじ)」(藤沢市)
「遊行寺(ゆぎょうじ)」の名で知られる、時宗総本山のお寺。
呑海上人が再建して遊行引退後の住まいとし、歴代の上人も遊行引退後に住むようになったので「遊行寺」と呼ばれるようになったとのこと。
遊行(ゆぎょう)とは、僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くことだそうです。
時宗の開祖である一遍の像
建物の大部分は関東大震災後に復興されたものですが、中雀門は唯一、江戸時代からのもので向唐門造りになっています。
お寺の入口は
「遊行寺坂」の途中でした!
「箱根駅伝」(往路3区、復路8区)の難所で知られるところですね。
箱根駅伝が大好きな助手席の方は大喜びしてました(笑)
「万福寺(まんぷくじ)」(鎌倉市腰越)
ナビに従って狭い路地を進むと、踏切があり、そのすぐ上が境内でした。
そのまま進んでいいのかどうか迷っていると、正月飾りの準備をしている檀家さん?が声をかけてくださり、駐車スペース(6台くらい?)に誘導してくださいました。
遠くに富士山~
境内のすぐ下を江ノ電が走ります。腰越駅から徒歩3分とのこと。
満福寺は、聖武天皇の命によって疫病追放を命じられた行基が草庵を結んだのがその始まりだと伝えられていますが、何より「腰越状」で有名なお寺です。
義経が兄の頼朝との和解のため鎌倉に入るべく、兄への手紙「腰越状」を書いた寺なんですね。
「弁慶の腰掛石」
「弁慶の手玉石」
さっそく本堂内を見学させていただきました。拝観料\200
弁慶筆とされる『腰越状』の写しをガラス越しに見ることができます。
弁慶が書いた書状に、義経自らが筆をとって「敵のために命を亡はんことを顧みず」という文字を付け加えたため、下書きとして残された本物だとか。
「鎌倉殿の13人」では、義経(菅田将暉)が鎌倉に連れてきた罪人・平宗盛(小泉孝太郎)が代筆を申し出る設定。
平宗盛が兄弟の仲を裂き、源氏に一矢報いるように書いたという解釈もできるのだとか・・・
三谷幸喜、やるなあ~
本堂には鎌倉彫で義経の生涯を描いた襖絵がありました。
このあと、「鶴岡八幡宮」の方へ戻り、ラストラン ?
2日目その2で終わる予定です~
もう少しお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。m(__)m
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コペン | 日記
Posted at
2023/01/06 06:28:15