
山梨県・甲府盆地を中心に、1泊2日のドライブして来ました。
甲府盆地、ハート型なんですね!
北斗市、韮崎市、南アルプス市、甲斐市、甲府市、笛吹市、山梨市、甲州市などを回ってきました。
甲斐、甲府、山梨、甲州・・・なんかわかりにくいですね・・・
自宅を5時過ぎに出発し、圏央道~中央道と走り、3時間弱で
「実相寺(じっそうじ)」(北杜市)に到着です。
駐車料:\500(この時期だけかな?)
1375年に創建されたという日蓮宗のお寺です。
境内にはたくさんの桜の木があり、日本三大桜の一つ「山高神代(やまたかじんだい)桜」(推定樹齢は1800年とも2000年とも)もちょうど見頃でした。
ただ生憎のお天気・・・☂
次は
「新府(しんぷ)城址」(韮崎市)攻城です。
武田勝頼が1581年に築城するも、翌年には自ら火をかけ城を捨て・・・という武田家滅亡の一舞台・・・
↑ 『信長』(原作工藤かずや、作画:池上遼一)より
広い砂利の駐車場がありました(地図の右上)。
本丸への登城ルートはいくつかあるようです。
A:駐車場から道路を渡り、果樹園わきの道を進み、「乾門枡形虎口」から入る
B:駐車場前の道路(交通量が多く路肩が狭い)を南下し、「藤武神社」の鳥居から直登
(かなりきつい階段。右手の「女坂」を登る道もあり)
C:もう少し南下し、「東三の丸」の方から
私はAを選択(赤い矢印)。
整備され、緩やかな勾配で歩き易かったです。
「堀跡」、「東出構(ひがしでがまえ)」
「乾門枡形虎口」
「井戸」
「本丸」
「帯郭」の上を歩けます。
「藤武神社」 裏手から回ってます。
武田氏城郭の特徴といわれる「丸馬出」や「三日月掘」などはスルーしてしまいました。後悔・・・(天気が良ければ富士山が見える眺望だそう)
「韮崎市民俗資料館」(韮崎市)に立ち寄りました。
「新府城」の模型がありました。(⇦:私の攻城ルート)
↑ スルーしてしまった「丸馬出」や「三日月掘」(T_T)
攻城前に寄ってパンフをもらうといいかもです。「続日本100名城」のスタンプもこちらです。
韮崎市で出土した土偶や土器などもたくさん見ることができます。
「ミス石之坪遺跡」
きれいに磨かれた肌と文様の溝の赤い塗料が特徴だそう。縄文時代のフィギュア?
「仮面土偶」
後田遺跡の石で構築された祭りの場らしき空間からばらばらの状態で発見されたとありました。
こちらは無料。(月曜休館、木曜日は13:00~)
「武田八幡宮 二ノ鳥居」(県指定指定文化財)
武田信虎・信玄によって再建され、武田家滅亡後、徳川家康が新府城在陣の折に修復。
現在のものは1789年(寛政元年)に再興されたもののようです。
「武田八幡宮」(韮崎市)
822年に嵯峨天皇の勅命により創建され、1140年に甲斐武田家の祖である源信義がここで元服し武田信義と名を変えたことにより甲斐武田家が発祥したと伝わります。
「随神(身)門」(楼門)
武官の装束を着て剣と弓を持つ随身姿の神像(本殿に向かって右が左大臣、左が矢大臣)。
「神楽殿」
「拝殿」
「本殿」(国重文)
武田信虎・信玄により再建されたもの。三間社流造檜皮葺という様式。
武田家滅亡後は、徳川家・甲府藩主の柳沢吉保が神社に関わっていることも確認されているそうです。令和元年に40年ぶりの屋根葺き替えが行われてます。
「南アルプス市 ふるさと文化伝承館」(南アルプス市)
「鋳物師屋(いもじや)遺跡」などから出土した土偶や土器がたくさん展示されてました!
「人体文様付有孔鍔付土器(じんたいもんようつきゆうこうつばつきどき」
愛称「ピース」。
確かに3本指でピースしてるように見えます。
左手部分は発見されず、両手とも上がっていた可能性もあるとのことでした。
上部に穴があり、ここに皮を張って楽器とした?ワイン樽?などの説があるそうです。
「子宝の女神ラヴィ」(国重文)
妊娠時にできる正中線やおへその様子などから、お腹に子どもを宿していると考えられており、お腹の中は空洞になっている「中空土偶」です。
粘土紐を寄せるようにして作られ、脇と底の孔は外側から突き刺して作られたとありました。腕でもケガをしていたのでしょうか?
他の土偶・土器も素晴らしい~!
「動物装飾土器」
↑ 上を向いたカエルの背中に重なるようにヘビがいるように見え、カエルは多産な女性、ヘビは男性を象徴していると考えられるとありました。
係の方が皆親切で、写真を撮って下さったり、詳しく説明して下さいました。
信玄堤から扇状地の水利について、太平洋戦争末期に造られた滑走路のことなどなど、興味深い話ばかりでした。
スタッフの皆さん、ありがとうございました。
なんと無料。「南アルプス市 ふるさと文化伝承館」超オススメです!
「信玄堤公園」(甲斐市)
武田信玄が1542年から20年近い年月をかけて築いたと言われる「信玄堤」。
400年以上たった現在でも治水機能を果たしているそうです。
堤防に配した「聖牛」
お昼は
「甲州ほうとう小作 双葉バイパス店」(甲斐市)で。
きのこほうとう(\1,700)、かぼちゃほうとう(\1,250)、どちらもボリューム満点で美味しかったです。
しかし・・店の前の駐車場がやたら狭かった~。コペンでも降りられないくらい狭い・・(奥の駐車場は違ってるかも)。
「甲府城跡」(甲府市)は、武田氏とは関係ない(1590年、徳川家臣の平岩親吉が築城)と聞き、雨でもあり、駐車場もコインPを探す必要もあるのでパスしました。
「武田神社」(甲府市)
武田氏の居館「躑躅が崎館(つつじがさきのやかた)」の跡地に建てられた武田信玄を祭神とする神社です。
1919年創建で、その時に石垣の一部や三重構造の原型が崩されてしまったようですが、国史跡に指定されています。
なんでも、日露戦争(1904年)後に、神社に武神・軍神を祀ることが奨励され、武田信玄を祀る神社創建の機運が高まったとか。
戦争がらみ? 神社を建てなかった方が・・・
「甲府市武田氏館跡歴史館」(信玄ミュージアム)には入らず、周辺の「躑躅が崎館」の遺構を見て回りました。
外濠・内濠・空濠に囲まれた三重構造で、三日月堀や丸馬出などもあったことが判っているそうです。
「甲斐善光寺」(甲府市)
1558年(永禄元年)、武田信玄によって創建された浄土宗のお寺です。
山門、本堂などは国重文。
本殿での「鳴き龍」「お戒壇廻り」は体験せず・・・
勝頼を裏切り、信長の配下に加わろうとした小山田信茂は、不忠であると信長の怒りを買い、ここ「甲斐善光寺」で処刑されたそうです。
信茂は岩殿城主で「武田二十四将」の1人。
すぐ近くに信茂の首塚(墓)があったようです。
1日目の見学はここまで。
余談(発掘作業)もあるのですが、それはまた後程ご紹介できれば・・・
長文駄文ブログ、お付き合いいただきありがとうございます。m(__)m