
クルマ・ジャケコーナー第294回は、寺内タケシの「華麗なる寺内タケシの世界(Ⅳ)」(1979)です。
寺内タケシ(本名:寺内武 1939 - 2021)、ご存知でしょうか?
茨城県土浦市出身、世界に誇るギタリストです!
先日の「寺内タケシ記念館」での取材(💦)を織り交ぜながらご紹介したいと思います
あ、遠い昔、私の幼馴染のお母さんが、寺内タケシに声をかけられたことがあると話してました。美人のお母さん(;^_^A)でしたから、間違いないでしょう😅
寺内の父は、映画館や電器屋などを手広く手がけた実業家
土浦市議会議長を務め、筑波研究学園都市を推進、県立土浦三校の創設に多額の寄付をした人(武が在学中のPTA会長)でした
母は、小唄と草紙庵流三味線の家元で、武のお師匠さん

↑ 「寺内タケシ記念館」より
まあ、かなり裕福な家庭に育ち、5歳のときからギターを弾いていたようです
戦後すぐ、というから小学生の頃でしょうか? 電話局に行き、電話機のコイルをもらい、各弦に合計6つ取り付け、世界初(?)のエレキギターを制作

↑ 「寺内タケシ記念館」に飾ってあったコレは2010年頃(?)のレプリカ
手回し電話のコイルを探すのが大変だったそう
そして、かなりやんちゃな中高生時代を過ごし・・💦、大学在学中からプロとして活動
在日米軍キャンプで演奏し、ミッキー・カーチスのウエスタン・バンド「クレージー・ウエスト」に参加
「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」でも活動(写真は「寺内タケシ記念館」より)
碇矢長一(後のいかりや長介)などとも一緒に活動
その後、長さんは、加藤茶や荒井注がいた「サンズ・オブ・ドリフターズ」(後のザ・ドリフターズ)へ
そして、1962年、ロカビリーバンド「寺内タケシとブルー・ジーンズ」を結成
内田裕也や、加瀬邦彦(元ザ・スパイダース)もおり、人気バンドに!
『ダイアモンド・ヘッド』/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1965)
『ダイアモンド・ヘッド』『十番街の殺人』『パイプ・ライン』『キープ・サーチン』の4曲入りEP盤(\450)
『レッツ・ゴー・フーテナニー!』/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1965)
『かわいい小鳥』『ドンナ・ドンナ』『雨に消えた想い』『500マイル』の4曲入りEP盤(\450)
加山雄三主演映画、若大将シリーズの第6弾「エレキの若大将」に、全くの素人が若大将にエレキを教わるというシャレの設定でゲスト出演(笑)

↑ 映画の撮影現場写真(1965.12)(「寺内タケシ記念館」より)
『レッツ・ゴー・民謡!』/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1966)
『津軽じょんがら節』『さのさ』『おこさ節』『黒田節』の4曲入りEP盤(\450)
1965年、ザ・ベンチャーズとアストロノウツが来日、ブルージーンズらが迎え撃ち、「エレキブーム」に火がつきます🔥🔥
・・が、エレキやグループ・サウンズは非行化につながるということで、多くの学校でエレキギターやバンド活動を禁止するという状況に・・・
寺内は、インスト曲とヴォーカル曲を両立させたGSバンド「寺内タケシとバニーズ」を結成
『運命』/寺内タケシとバニーズ(1967)
「レッツゴー運命」/寺内タケシとバニーズ(1967)
寺内タケシ(LG)、黒沢博(SG)、萩野達也(Key)、小野肇(B)、井上正(D,尺八)、鈴木義之(RG)
Youtube
笑点 T B J 運命
そして、「ハイスクール・コンサート」の開催(1500校を超える!)、『レッツゴー運命』(1967)のヒット、日本レコード大賞編曲賞受賞などで、エレキへの理解を広め、状況を変えていきました
『太陽の花』/バニーズ(1968)
↑ ジャケには“Bunnys バニーズ(ギター)寺内タケシ”と表記されてます
作詞:ささきひろと、作編曲:寺内タケシ
「BUNNYS GOLDEN CONCERT」/バニーズ(1968)
A面がレッツ・ゴー・バニーズ B面がレッツ・ゴー・寺内タケシ
やがてグループサウンズが衰退し、寺内はバニーズを1969年に脱退
こんなシングル盤もみつかりました
『たそがれ』/萩野達也とバニーズ(ギター)寺内タケシ(1969)
商業的になんか問題でもあったんでしょうか・・・?
「寺内タケシとブルージーンズ(第二期)」を復活させ、ニューミュージックやムード歌謡などが流行っていた時期に、エレキで孤軍奮闘
「エレキ民謡大全集 超デラックス」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1969)
ヒット曲『津軽じょんがら節』の他、郷土・茨城の『磯節』、『筑波山』(作曲:寺内タケシ)などを収録
「寺内タケシ エレキギターのすべて」/寺内タケシ(1969)
↑ 「ELK」のギターとアンプがズラリ
「寺内タケシ記念館」で尋ねたら、「ELK(エレク)」は知人のメーカーとのことでした
『第三の男』『ジャニー・ギター』『ウォーク・ドント・ラン』などを収録
Youtube
寺内タケシ Takeshi Terauchi
「エレキ一本子供で勝負!-おれは怪物(テラウチ)くんだ-」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1970)
A1『おれは怪物くんだ』(作詞:藤子不二雄、作曲:筒美京平)などのアニメ主題歌と、『黒ネコのタンゴ』『夕やけこやけ』などなど
『ゲ・ゲ・ゲの鬼太郎』の出だしはエレキでバッチリ❣
Youtube
エレキ1本・子供で勝負!! 🎵ゲゲゲの鬼太郎
「レッツ・ゴー エレキ交響曲」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1970)
『運命』『未完成』『天国と地獄』などを収録
「ベンチャーズでぶっ飛ばせ!VOL.2」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1971)
↑ クルマ・ジャケ!
寺内が立ち上げた音楽事務所「寺内企画」の名が見えますね
↓ 「寺内タケシ記念館」にあった写真
このバスが判るバスマニアのお方、お教え願いますm(__)m
「真夏の海をぶっとばせ!!」/寺内タケシとすばらしい野郎達(1972)
新庄ハジメ(B)、山本進一(D)、石井イワオ(G)、寺内タケシ(LG)、桐生和史(Or,P)、深沢ジョー(Per)、石井薫(RG)
『青い渚をぶっとばせ』/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1972)
↑ クルマ・ジャケ!
車種は判りませんでした😿 どなたかお教えください~ m(__)m
『マジック・ファイヤー』/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1974)
「THIS IS PAPEETE SOUND Fire」(1974)
「パペーテ・サウンド」は、タヒチの首都パペーテで若者に爆発的な人気を呼んでいるサウンドなんだそうで、『死ぬのは奴らだ』『孤独の叫び』『対自核』などを収録
〈このアルバムで使用した楽器〉
●モズライト・テリーモデル
●フェンダー
●スインライン・テレキャスター
●テスト・ギター(ハンド・メイド)売り出し前の為社名は秘す。
●マーチンD-35
「津軽じょんがら」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1974)
6曲が津軽民謡、オリジナルは寺内タケシが4曲、サイドギターの石井イワオとオルガンの桐生和史が1曲ずつ作曲
「想い出まくら-歌のないエレキ歌謡曲-」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1975)
ツインドラムに4人ギター?!
『ロマンス』『時の過ぎゆくままに』などを収録
B2は『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(お山のヨーコ・イバラギ・フクシマ)』“ギ”?!
「陽ざしの中で-歌のないエレキ歌謡曲-」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1976)

↑ クルマ・ジャケ❣
『翳りゆく部屋』『およげ!たいやきくん』『木綿のハンカチーフ』などを収録
↓ 「寺内タケシ記念館」の写真
「白鳥のまごころ 寺内タケシ・ライヴ・イン・モスコー」/寺内タケシとブルー・ジーンズ(1977)
1976年、ソ連ツアー中、ソ連のミグ25迎撃戦闘機が函館に着陸するという「ベレンコ中尉亡命事件(ミグ25事件)」が起きます
この件には触れない約束でしたが、寺内はステージ上で次のように話したそうです。
「僕たちは日本から来ました。きっかけは白血病の少女を慰問するためでした。」
「最近、ミグ25が日本に着陸したそうなんだけど…」
「日本とソビエトがこの一件で険悪な関係になるとは思えない。なぜなら、俺たちは今、友好のために来ているからだ。思い返せば戦時中、ソビエトでは二千万人の人が死んだと聞くし、日本は八百万人が死んだ。もう、二度と戦争はしたくない。それは誰もが互いに思っていることだ。たかが飛行機一機が飛んだところで戦争になるなんて、寺内は絶対に信じたくない……」
「今、平和を愛する者は、この場でVサインをして立ち上がれ!」
会場にいた観客すべて、銃を持った兵士も被っていた帽子を投げてVサインを掲げ、翌日の新聞には「音楽が平和を勝ち取った」と掲載された
↑「誰がために俺は弾くのか」/寺内タケシ[2012 佼成出版社]より)
図書館から借りたこの本にはこんなページも・・・
「リッチー・ブラックモア、ジェフ・ベックは俺の舎弟だ」
“ディープパープルのリッチー・ブラックモアが俺の「レッツゴー運命」をコピーしたんだが、コピーができなかったらしい。そのコピー・フレーズを彼は「ハイウェイ・スター」で弾いてるね。本人が「このフレーズがテリーのコピーだ」と言ってたよ。”
「寺内タケシ記念館」の人が、“ジェフ・ベックが寺内のサインが欲しいと言ってきたのであげましたよ”と話してました😲
この「誰がために俺は弾くのか」を書いたのは73歳の時
言いたい放題・書きたい放題の本で、学生の頃のやんちゃ振りにはちょっと苦笑いです
「メロー・フィーリング」/寺内タケシ(1978)
ベース、ドラムなども演奏した“TERRY ALONE”アルバム第2弾
つくば科学万博(1985 国際科学技術博覧会)では、茨城県グランドプロデューサー(総合企画担当)を務め・・・
『科学万博音頭』/五木ひろし(1984)
↑ 寺内タケシがプロデュース、編曲・演奏:寺内タケシとブルージーンズ
Youtube 科学万博音頭 五木ひろしさん
https://www.youtube.com/watch?v=_yM9KDNY5SQ
茨城の小学生は踊らされたんじゃないでしょうか😅
ちなみに、住友館70ミリ大型立体映像「大地の詩」のテーマ曲『空に会おうよ』は・・
作詞:矢野顕子、作編曲:坂本龍一、歌:モモ
寺内タケシのディスコグラフィは膨大でつかみきれませんが、アルバム「ミスター”エレキ”ザ・テリー・ワールド」(2020)をリリースするなど、晩年まで精力的に活動
2021年春に誤嚥性肺炎で入院、6月18日に容態が急変し、器質化肺炎のため、82歳で亡くなりました・・・😿
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「華麗なる寺内タケシの世界(Ⅳ)」/寺内タケシ(1979)
ジャケには「The Brilliant Dimension Of Terry(Ⅳ)」
バックは「Super Grand Orchestra」(ルーパス・グランド・オーケストラ)
4人のアレンジャー(宮川泰、前田憲男、服部克久、青木望)の下、80人近いミュージシャンがキングレコードの第1スタジオに集まったようです
『スター・ウォーズのテーマ』『ロッキーのテーマ』『ホテル・カリフォルニア』などを収録
このシリーズの次のアルバムが、記念館で教えていただいたレコ ↓
↑ コレは欲しいな~
さてさて、ジャケのクルマは・・・
MGBですね!
1974年には、アメリカ安全基準を満たすため「ラバーバンパーモデル(ウレタンバンパーモデル)」となってるので、それ以前のMGBと思われます
クルマ・ジャケ「SUMMER FAREWELLS(サマーフェアウェルズ)」/杏里 でも登場しました
クルマ・ジャケ「ステキな恋の忘れ方」/薬師丸ひろ子 は「ラバーバンパーモデル」
クルマ・ジャケ「女にかえる秋」/狩人 はどちらか不明
クルマ・ジャケ「ネグレスコ・ホテル」/BORO はMGBかどうかも怪しいです😅
【登場車両】
MG MGB Roadster 1962 - 80 ラバーバンパーとなる1973年以前
【自己採点】
クルマ度 8点(オープン・スポーツカーの代名詞!)
魅惑度 7点(海とギターとオープンカー❣)
音楽度 6点(ギターの音色がキレイ)