クルマ・ジャケコーナー第144回は、ヒデとロザンナの「愛情物語」(1971)です。
ヒデとロザンナ(1968 - 89)、ご存知でしょうか?
出門英(でもんひで 1942 - 90)とイタリア出身のロザンナ・ザンボン(Rosanna Zambon、加藤絽山奈 1950 - )のデュオ。
知ってはいるのですが、歌はほとんど知りません。
ただ子供心に、羨ましかった(ヒデに対して)覚えがあります。(;^_^A)
デビューシングル『何にも言えないの』(1968)のB面『愛の奇跡』(作詞:中村小太郎、作曲:田辺信一、編曲:中川昌)が有線放送から火がつき大ヒット。
発売から4か月後にオリコンでトップ10入りし、その後2か月近くトップ10以内をキープ。売上が100万枚突破とも言われてます。
↑ コチラはヒット後のAB面差し替え盤と思われ
「ヒデとロザンナ」の歌には、イタリア語(?)、英語(?)などのタイトルが付いていることが多く、『愛の奇跡』は『L'amore E Un Miracolo』。
なんて発音するんでしょうね~(^-^;) おしゃれな雰囲気は伝わってきます。(笑)
以下、私が持ってるレコをご紹介~
2ndシングル『粋なうわさ(A Pretty Rumor)』(1969)
作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平
いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968)でヒットを2人が手掛けた作品。
オリコンでは13位まで上昇し、売上15万枚を超えるヒット!
まあ、いろんな噂が立ったことでしょう。
5thシングル『愛は傷つきやすく(Love Is Free)』(1970)
作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:森岡賢一郎
オリコン1位、100万枚突破!
B面は『涙をうばって(Tango Ammore)』
6thシングル『ふたりの関係(Lovely Quarrel)』(1970)
作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:森岡賢一郎
B面は『素晴らしい雲(Cloud Is My Friend)』
アルバム「ふたりの関係」(1970 COLUMBIA JDX-46)
コロンビア ジャンボポケット・シリーズ「OH!ビューティフル 豪華美麗三面見開きジャケット」
↑ 4thシングル『笑ってごらん子供のように』を除く1st~6thシングルなどを収録。ベスト盤?
『笑ってごらん子供のように』は出門英が以前に結成していた「ユキとヒデ」のユキ(佐藤由紀)が作詞だからかな?(;^_^A) 単に権利関係?
なぜかWikipediaには載ってないアルバムです。
7thシングル『抱擁(Embrace)』(1971)
作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:森岡賢一郎
B面は『運命の星(Destiny Of Falling Star)』
8thシングル『愛情物語(The Tale Of Love)』(1971)
↑ 本日ご紹介のレコです。
作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:馬飼野俊一
B面は『ほかの誰よりも(No One But You)』(作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:森岡賢一郎)
9thシングル『望むものはすべて(What I Want)』(1971)
作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平
NHK紅白歌合戦にも1970年『愛は傷つきやすく』、71年『望むものはすべて』と2年連続出場しました。
11thシングル『トマトの家(Tomato Baby)』(1972)
作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平
22ndシングル『追想』(1977)
AB面共に、作詞:松任谷由実、作曲:出門英、編曲:東海林修。
う~む、ユーミン&ヒデという組み合わせがあったのですね!
『追想』
♪ 大事なだれか 失った時
人は嘆きより 怒り覚えるもの
だから追わないで
つばさの傷がやがて いえるまで
かりそめにやすらぐ 今
2人は1975年に結婚し、二男一女に恵まれますが、ヒデは結腸がんにより47歳で逝去(1990)・・・
素敵な美男美女・夫婦デュオでした。
図書館にベスト盤(?)があったので借りてみました。
「CINUANT' ANNI D'AMORE 50年に愛をこめて」/ヒデとロザンナ(2018)
ライナーノーツには次のようなロザンナのコメントがありました。
『18歳になった1968年、来日して1年も経たなくて日本語は挨拶程度。ただ、ヒデからのオファーで一緒にデュエットをしたいと逢った瞬間に、私は彼の虜になってしまっていたので、何もわからないまま彼にひたすらついていきました。
・・・あれから50年、あっという間でした。ヒデと出会い結婚、子育て、そして別れ。「愛の奇跡」だったのでしょうか。・・・』
『・・・ヒデとのヒット曲に加えて高道さんとの新曲2曲。私の前向きな気持ちが伝われば幸いです。・・・』
このCDには、『愛の奇跡』、『愛は傷つきやすく』などの代表曲(?)の他、「狩人」の弟・加藤高道と結成した「タカ&ロザンナ」の曲が2曲収められています。
「狩人」はクルマ・ジャケコーナー第78回で登場してます。
クルマ・ジャケ「女にかえる秋」/狩人
「ヒデとロザンナ」、改めて聴いてみると、ロザンナの声がかわいらしいこと💛
アグネスっぽい?
アグネス・チャンの日本ビューは1972年ですから、ロザンナの方が先ですね。
(;^_^A
さて、本日ご紹介のクルマ・ジャケ・レコは、
「愛情物語」/ヒデとロザンナ(1971 8thシングル)
♪ 別れたあなたと 三年たって
街の小さなカフェで ばったり逢った・・・
ジャケは歌詞のシーンなんですね。
軽やかなメロディとハーモニー💛
ほのぼのしてきます。
昭和歌謡、見直されてるのがわかります。
さてさて、ジャケのクルマは・・・
ロザンナのストローを持つ手の奥、“街の小さなカフェ”の外のクルマです。
この写り込み系の特定は難しい~(笑)
「ホンダ1300クーペ」ではないでしょうか?!
そういうことにして話を進めます! (;^_^A)
(実は違いました。追記してあります)
「ホンダ1300」はホンダが本格的な4輪メーカーとなるべく1969年にリリースしたホンダ初の4ドアセダン。
FF、空冷エンジン、四輪独立懸架など独創的な技術が盛り込まれたクルマでした。
翌1970年に追加されたのが丸目4灯の2ドアクーペ。
シングルキャブ(95ps)は「クーペ7」、4キャブ(110ps)は「クーペ9」と呼ばれたそうです。
後に車名から“1300”が無くなり、セダンは「ホンダ 77 」、クーペは「ホンダ・クーペ」に。
クーペは従来のダイナミック・シリーズと、セダンと同じマスクの丸目2灯のゴールデンシリーズの2種あったようです。
1972年にはエンジンを水冷4気筒、角型ヘッドライトにし、車名を「ホンダ145」に(後継車?)。
この年の7月からシビックが発売され、「ホンダ145」(1972 - 74)は短命に終わります。
車名が何度も変わり、何ともわかりずらいクルマですね~
本田宗一郎が求めたパワフルで高回転まで回る空冷エンジンは、その性能や技術にこだわり過ぎたのか、重く、大きく、コストもかかっており、また、排気ガスをクリーンにするためには空冷では困難だったようです。
参考にさせていただいたwebモーターマガジンのサイトには次のような記述がありました。
【昭和の名車 24】ホンダ 1300 99S(昭和44年:1969年)
『画期的な空冷F1エンジンはレースでは残念な結末に終わったが、空冷エンジンでスタートしたホンダ1300もヒットモデルとはなりえなかった。奇妙な運命の符合だった。』
【自動車博物館へ行こう】ホンダ1300は空冷を理想としていたホンダの信念を貫いた1台だった
『ホンダが社運を賭けた画期的な小型車は、成功作とは言い難いが、本格的な4輪車メーカーへと成長するための重要なステップとなったのだった。』
【登場車両】
ホンダ・1300クーペ (クーペ7 or クーペ9) 1970 - 72
【自己採点】
クルマ度 6点(ホンダが本格的4輪車メーカーへと歩みだしたクルマ!)
魅惑度 7点(ロザンナの方に目が行ってしまう~(;^_^A))
音楽度 6点(ほのぼの~ 軽やかな昭和歌謡?)
《2023.1.25 追記》
本日、くまとっどさんから「初代ギャラン ハードトップかと思われます」とのコメントをいただき、画像を探して見てみると・・・
まさしく、
三菱コルトギャラン 初代(1969 - 73) !
「後輪前に特徴的な斜めの3本リブが入っている」とも書かれており、よくジャケを見直してみてもさすがにボケていて見えませんでしたが、ホイールが一致!
くまとっどさん、本当にありがとうございます。一緒に遊んでくれる人がいた~って感じでとても嬉しいです。(#^.^#)
で、
「ホンダ 1300」の記述はそのまま残し、「三菱コルトギャラン」について少し調べたことを追記します。
三菱・ギャラン(GALANT)は、
1969年12月、「コルトギャラン」の名で発売された4ドアセダン。後に“コルト”が取れて「ギャラン」に。
ジウジアーロの提案をベースに社内チームによってデザインされ、「ダイナウェッジライン」と呼ばれるウェッジシェイプのベルトラインが特徴でした。
1970年5月に2ドアハードトップ追加。
『愛情物語』/ヒデとロザンナ(1971)のリリース時期に合います!(^-^;)
1970年10月には2ドアスペシャリティカー「コルトギャランGTO」(1970 -77)が発売。
↑ これではないですね。
そして、1971年3月、全モデルマイナーチェンジで丸型4灯ライトへ。
丸目4灯、欧州車っぽくてカッコイイですね(特にセダン)! 角目から丸目っていう流れもあったんだ~
『愛情物語』の発売日が1971年4月25日なので、出たばかりの丸目かも?!
ギャランはスポーティな三菱のイメージを確立していき、モータースポーツの分野でも高い実力を見せていったようです。
【参考サイト】
三菱 コルトギャラン (初代 1969-1973):スタイリッシュなデザインでベストセラーカーに
名車文化研究所 コルト・ギャラン
【登場車両】
三菱コルトギャラン 初代(1969 - 73)
【自己採点】
クルマ度 6点(スポーティな三菱のイメージリーダーカー?!)
魅惑度 7点(ロザンナの方に目が行ってしまう~(;^_^A))
音楽度 6点(ほのぼの~ 軽やかな昭和歌謡?)