2009年08月14日
『初渡航で5000km』 ドライビングスキルは外国語力に匹敵するのだの巻 最終回
その後ルマンを訪れたのは、10数年後。あれこれキャリアを重ねた結果ということになるが、この時はプレスツアー。『アゴ足枕付き』のまあ大名旅行である。プレスツアーについてはこの後諸々書き連ねることになると思うが、これほど豪勢でお気楽なものもない。
なんたって往復のキャリアはチャーリーが基本だし、アコモデーションは☆5つですっ…も珍しいことではない。ボクが最初に招待されるようになった1980年代中頃の、いわゆる欧州メーカーによるプレスツアーがその原型で、当初は1週間ぐらい掛けてゆったりとロマンチック街道を巡ったり、ライン下りの風情を味わったものだった。
その少し前の国内部品メーカー系のツアーでは、アンカレジ経由や南回り各駅停車のエコノミーが当然で、泊まりもツインの相部屋があたりまえ。欧米メーカーのプレスコンファレンス/試乗会のゴージャスぶりには毎度眩暈を覚えたほどである。
欧州におけるプレスコンファレンスあるいはテストデイの本質は、セレモニーといった側面が強く、比較的簡単に試乗車が拝借できる現地プレスは取材にそれほどあくせくすることがない。熱心さということでは日本人メディアがダントツだ。最近では中国勢がのしてきているようだが、いずれにしてもアメリカやオーストラリアなど、遠方からやってきたプレスが頑張る傾向が強いようだ。
ドイツ・バーデンバーデンで行なわれたある国内メーカーの欧州試乗会に参加した時に聞いた話。国境がほど近いフランス人はクルマそのものにはあまり関心を寄せず、宿の部屋や食事やワインに対する意見(文句?)のほうが凄かったとか。クルマは後でゆっくり乗ればいいじゃん……という態度だったという。
欧米メーカーのホスピタリティの巧みさにかかったら、並の神経の持主ならイチコロだ。クルマの印象がベストになるように練られた状況設定の上手さは、メディアを使いこなすことに長けた欧米人ならではのものを感じる。身も心もお腹一杯になる条件で走って悪い気がする者も少ない。
2度目のルマンは、たしかバブルが弾けた後だったけれど、あまり枯れた旅だったという記憶がない。ただ、印象は最初に行った時ほど強くは残っていないなあ。すべてが快適すぎて、何も気に病むことがなくて、ただひたすら楽ちんなだけだったのだろう。
29年前のルマンは、どこをどうやって辿り着いたのか…に始まって、その多くは記憶の彼方なのだが、唯一鮮明に脳裏に焼きついたシーンは、ゴールの30分くらい前にメインスタンドを中心とするフェンスの前に一定の間隔を置いて警察官が配置につき、さあいよいよ感動のゴールシーンとなったところで堰を切ったように観客がコース内に雪崩込むと、とくに制止することなくすごすごと退散した、あのシーン。
たしか2度目に見た時も同じだったような。ルマンにはもう一度足を運んだ記憶があるが、その印象はさらに曖昧模糊としている。
ルマンから再びパリに戻り、もう1、2泊して帰国の途についたはずだ。慣れも手伝って、パリの街中を頭にたたき込もうけっこう気合を入れて走ったのではなかったか。レンタカーオフィスの場所も事前にチェックしておき、返却に戸惑うこともなかったはずである。しかし、よく走った。まったく予定外で2週間借り続け、トリップメーターの積算は5000㎞を超えたはずである。
まったく初めての土地で、大きなトラブルに見舞われることもなく、ちゃんと帰って来ることができた。これは本当に自信になった。クルマの運転スキルが一定以上のレベルにあると、語学力を補って余りある。何事につけ初体験の連続だったあの時の旅で最大の教訓だった。
人間、その気になればなんとかするもんである。成田に着いた頃にはカミさんのお腹もはっきりと目立つようになっていた。あの時胎内で一緒に旅をした長女も今年で29歳である。
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Posted at
2009/08/14 17:22:44
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