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伏木悦郎のブログ一覧

2009年08月15日 イイね!

『鈴鹿デビュー』 スーパーシビックレースに『有限(笑)シビック』登場 1981年

『鈴鹿デビュー』 スーパーシビックレースに『有限(笑)シビック』登場 1981年前年(1980年)大ヒットとなった『赤いファミリア』のデビューは、ちょうど初のヨーロッパ旅行の真っ最中。まあまだ駆出しの頃なので、ニューモデルの試乗会などに個人の資格で呼ばれるような身分でもなかった。大勢に影響はなかったというわけだが、このクルマの大ヒットによって国産車のFF化が本格化した、という意味では重要なターニングポイントといえるだろう。

明けて1981年は、もう一つの画期的なクルマの登場とともに始まった。直6 2.8L DOHCエンジンを搭載する4座のスペシャルティクーペ 『ソアラ』の登場である。当時はまだ2L 5ナンバーが社会的な上限で、2L以上のクルマというと、ごく限られた存在とされていた。

そこに、いきなり2ドアクーペのソアラ2800GTの登場。「誰が買うのだろう?」疑問視する大方の予想を裏切って、爆発的なヒットとなった。ボクにはまったく実感できないことだったが、当時すでにこの手のパーソナルクーペを手にすることのできる富裕層はある一定以上のボリュームに達していた。渇望状態にジャストフィットの企画。もちろん、保険をかけた2Lモデルの存在(後にターボが追加)も有効だったが、ブームを呼んだのは後に3Lに拡大されるGTモデルのほうだった。

この年の最大のトピックは、国内ワンメイクレースの嚆矢『スーパーシビックレース』シリーズの開催だろう。ホンダのスポーツイメージ復活に賭ける、当時まだ血気の若手だった広報マンらの尽力で、当時の国内最高峰、鈴鹿のF2シリーズのサポートイベントとして、恒例の鈴鹿2&4レース(3月)から始まった。

このシリーズに参加しないかとの打診を受けたD誌編集部は、ボクをドライバーに指名。緒戦は準備が間に合わずパスしたが2戦以降4レースを闘うことになった。カーナンバー27は、フェラーリのエースナンバーを意識した結果……ではなく、たまたま空いていたもの。カブだからまあ縁起がいいかなと。

エントリー車名は、driver"有限"シビック。当然、無限の向こうを張った命名である。白地のボンネットに日の丸をデカデカと描き、その中に有限と白抜きする。目立ったかどうかは知らないけれど、バックナンバーを探せばお目にかかれるはずです。

しかし、エントリーは錚々たるものだった。生沢徹、高武富久美、坂本典正、佐々木秀六、高橋国光、中野常治……雑誌媒体からのエントリーでは黒沢元治(ベストカーガイド)、津々見友彦(オートスポーツ)。同業者では、CGのクマさん、CTの雀さんといったところ。当時29歳のボクはもちろん業界最年少でした。

つづく
Posted at 2009/08/15 12:12:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
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