2010年08月09日
『バカヤローッ!!』思わず痛罵の一言が口を継いで出た。いや、東京ドームでセレブな観戦を終えてしばらく後の運転中の車内の話である。
今回は東京ドーム駐車場がセットのチケットということで、ちょっと悩んだけれどプリウスで行くことにした。なんたって優先入場の権利があり、試合などのイベント開催時にはなかなか入れないプラチナ系である。何事も経験と常に考え、行動から物を言うのが仕事だと考えている。クルマを使う状況(使える状況)を把握せずに、想像だけで物事を語る愚だけはなるべく避けたいものだと思っている。
スウィートクラブの特別待遇はさすがに特別で、入りも出も普通じゃ考えられないスムーズさ。庶民感覚からはズレるが、システムと考えれば応用は利く。要するに東京一極集中を解消して、全国各地にこういう状況を産み出せば、持てる者は溜飲を下げ、持たざる者は現実感を持って”いつかは俺も……”の境地に至れるかもしれぬ。
それはともかく、クルマのオーディオをonにして、何か面白い放送は……と探しているとTVの音声が日曜夕方の情報番組をやっていた。元同局アナウンサーをメインキャスターに局アナと思しき若い女性と元検事のコメンテーターの布陣で、話題は6月28日から全国37路線50区間で開始された高速道路の無料化社会実験だった。夏休みや帰省ラッシュに絡むタイムリーな話題ということだろうが、その視点が完全にズレている。
高速道路の無料化社会実験は、当然のことながら当該地域に変化をもたらした。それまで多くの人々が利用していた一般国道などから無料化した高速道路へと交通の流れは変わった。当然だろう。それ以前は多くの人々が出費を敬遠して一般国道を走っていた。その沿線には地域の名物の西瓜を生産農家が直販する売店があって、夏の風物詩になっていたという。
その売り上げが3割も減って大変だという。それは大変だろうけれど、別に多くのドライバーは西瓜が欲しくてそこを通っていたのではなくて、通るところに西瓜売りがいたので買っていたにすぎない。西瓜売りが気の毒だと、多分自分の意見ではない台本に書いてある台詞を眉間に皺を寄せながらしたり顔で言い、何か問題がある風を装う。
川の流れが変わればそこに棲む生態に変化が訪れるのは当然だろう。農家からすれば売り上げが減って大変だということになるかもしれないが、買い手の側からすれば要らぬ出費が減って助かったということもできるのだ。供給者目線より、消費者目線が求められている……そうじゃなかったの?
いっぽうで、無料化社会実験の恩恵を受けて交通量が増えたIC周辺などにも取材に出掛けて変化の様子を伝えていた。何事も祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり…時代は変わるものである。無料化によって交通量が増え、結果としてそれまでになかった渋滞が発生した。
当然問題の根は交通集中にあるけれど、そもそも日本の高速道路には特有のシステム上の欠陥がある。そのことに無知で無自覚なドライバーと彼らのスキルの低さが重なって、渋滞は深刻化を極めて行くのだが、だからといって元に戻せば良いということにはならない。
西瓜屋のために不便な一般国道を行く必要もなければ、今までの高速道路を前提にあれこれ言うのもナンセンスだろう。日本の高速道路の渋滞は道路そのものの構造的な問題を多く含んでいる。最大の問題は、”償還主義”を楯に世界でもっとも高い通行料を取る仕組みを基本に高速道路網が体系づけられていることだ。
お金を取りやすい仕組み、これなら払ってくれるだろうという所にIC(インターチェンジ)や料金所が作られている。本来高速道路も道路であって、一般的な国道や県道や市道や私道と有機的に結びついていないとシステム的に問題が残る。
(日本では)料金を取ることが前提となっている高速道路が盛大に渋滞するので問題化されるが、渋滞とはひとえに人口問題であって、クルマの保有率が高く人口密度の高くなった先進国の都市部ではどこにでも見られる現象だ。
日常的に存在する都市部の渋滞をとやかく言う者はいないが、盆暮れ正月、大型連休という皆が揃って移動したがる定番的に語りやすい事象を捉えてニュースとして垂れ流す。涼しい東京のスタジオの中で高い報酬を約束されて上から物を言う。その時点で『ふざけるな!』なのだが、それを聞いて同調するアホな視聴者が山ほどいる。
そもそも道路は無料が原則。これは道路法という基本的な法律に明記されていることです。日本の高速道路をはじめとする有料道路は、道路整備特別措置法といういわゆる特措法を根拠に正当化されているにすぎない。この辺の経緯を知るにはそもそも……という歴史観を身につけなければなりません。
そもそもは、戦後復興に始まっている。戦前の日本はそれなりの国力を備えていたけれど、欧米流の工業化社会との間には開きがあった。それが敗戦によって世界最貧国のレベルに落ちた。復興の原資は海外からの借金(借款)に頼る他はなく、生命線となるインフラの整備はIMFの加盟(1952年)を経て世界銀行からの借款を得ることから始まった。東名・名神高速道路も東海道新幹線などはそうで、他にも電力、鉄鋼、国鉄、航空機、通信、干拓、港湾整備……などもすべて世銀からの借款で再興された。
有名な話として記憶していることに、首都高速1号羽田線がある。1964年の東京オリンピックに合せて、当時唯一の国際空港だった羽田から都心を結ぶ高速道路が計画された。すでに高度経済成長が始まっていた60年代の東京はすでに道路の過密状態が始まっていたというが、まだ66年のカローラ、サニーが登場してモータリゼーションが花開く前の話である。
当時の建設官僚は日本の経済に脆弱性を根拠にクルマの需要とその交通量の判断を低く見積もり、借款の償還リスクを恐れて今から思うとしょうもないスケールの羽田線(片側2車線)で手を打った。官僚という存在は前例主義に凝り固まった保守的な存在で、自らリスクを負うことを極端に嫌う人種だと聞いている。
未来を積極的な意識で予見することなく、過去の知見をたよりに手堅いところに落とし込む。役人の役人たるところだが、もしも優秀だと言われる官僚があれから50年後の現在を予見できたなら、羽田線は片側4車線にしたことだろう。都心環状線などは少なくとも片側6車線が妥当で、それにともなって都心部のデザインも別物になったに違いない。
現在の湾岸線やレインポーブリッジを想定できるような壮大なスケール感を持つ、真の意味での優秀な天下国家を論じることができる人材が霞が関に存在したら、過去50年の歴史はまったく異なるものになっていたことだろう。そうならなかったから、今これを書いている。
実を言うと、世銀からの借款は1990年に返済がすべて終了している。つまり原則論からすれば東名も名神高速も無料になっていなければならない。返済後は無料にするのが償還主義の大前提だからね。なぜそうならなかったか?
1972(昭和47)年、道路審議会の答申により日本道路公団が展開する高速道路は1本の路線とみなす、としてプール制が採用された。これは国会での議決を経たものではなくて、時の田中内閣による政令に基づいている。結果、全ての路線で償還が終わらない限り、どの路線も無料にはできない仕組みとなっている。道路公団が民営化された今も、本質的には何も変わっていない。
高速道路は無料化したほうが良いに決まっている。というより、一刻も早くそうしなければいけない。この話は随分前から考えていたことだが、日テレのバンキシャが火をつけてくれた。
正義の味方を装うキャスターは、アシスタントに「○○さんはペーパードライバーですけど、この無料化による変化どう思いましたか?」と振った。応えた空っぽちゃんは「ヨーロッパでは、ECO意識の発達で脱クルマ化が進んでいるのに、日本は(無料化によって)CO2を増やす方向に動いているようにみえる……」みたいなことを言った。
僕が反射的に「バカヤロー!」と叫んだのはその時だった。東京でのうのうと暮らすペーパードライバーのお嬢ちゃんに、(無料化社会実験が行われている)地方のクルマがないと都会並の生活が難しい人々の暮らしぶりが分かるのか?日本以上に自動車への依存率が高いヨーロッパ諸国の何を知っているんだ?調べて知った上で言うならまだしも、拙い知識をすべてであるかのように平然と公共の電波に乗せる神経を疑う。TVの低俗際まれリだろう。
さらに、元検事の老人は『チャレンジ25』を掲げる政府のCO2削減方針をあげつらうかのように、無料化によってクルマの使用を増やすことに肩入れするなんてけしからん…みたいなことをインテリぶったしたり顔で言い放った(不要不急という言葉を枕詞のようにつぶやいた後で)。あんた庶民のささやかな楽しみも許さないというのか?
自らクルマを運転する必要もなく、むしろハンドルを握って過ちを犯すことを恐れて高みの見物しかしてこなかったに違いないのに、よく言うよ。大体、クルマが増えることそれ自体は何の悪でもない。従来型の燃費の悪い内燃機モデルばかりだったら問題だけど、今日本の自動車メーカーはICEもHVもEVもとにかく省資源、環境保全、安全性向上を最優先で世界中のライバルメーカーと鎬を削りあっている。
つたない今までの知見だけで、激変している現在に対応しようとし、聞くに堪えないトンチンカンな結論を恥ずかしげもなく言い放つ。これを老害と言わずして何と言う?経歴と見た目の人当たりだけで発言の内容には無責任。こういう人をコメンテーターと称して使うからTVは相手にされなくなるのだ。今でも民放にとっては最大級のスポンサーである自動車メーカーの、アンチクルマとしか思えない発言に対する寛容さには、本当に驚きを禁じ得ない。
少し頭に血が上って、書き連ねてしまったので筋が通っていない可能性もあるけれど、この話しばらく続けようと思います。高速道路の無料化問題は、タダにすればそれで終りということではありません。無料にしてお金を集める道路システムから一般道路と有機的に結びつくようにインターチェンジを増設し、使える道にすることで初めて一歩前進ということになります。
渋滞が増えるから無料化には反対とか抜かした輩もいたが、システムを変えずにそうしたら駄目に決まっている。全体を見通した上での議論ができなくて、何のジャーナリストだろう。キリがないので、つづく。
Posted at 2010/08/09 17:13:34 | |
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