
現代の名工(右)と未完の大器(?)@東銀座N社ショールーム新型フェアレディZ発表会。
質問1と2への回答ありがとうございました。
質問1の意図は、「21世紀のクルマ作りに、20世紀の”より速く”というスローガンを基本とする開発手法を継承することは、資源や環境問題を前提に考えるとどう考えても無理がある」誰もが抱いている疑念を、具体的な数字で表わすことで現実を問題化するところにありました。
人それぞれで数値が異なるのは当然で、各個人の提示した数値そのものは論評の対象にはならないと思います。重要なのは、実際のクルマ達が有している高性能と皆さんが提示したスピードとのギャップではないでしょうか。
現在の高性能は、ほぼ高速性能と同義語になりますが、我々が手にするクルマのほとんどが、多くの皆さんが『このくらい』と挙げた数値を大きく上回るスピードを発揮できるレベルにあります。
面白いのは行政の対応で、エンジニアが苦心して実用化させた高性能をあまり根拠のない180㎞/hでリミッターを作動させる自主規制を強いている。
にもかかわらず、メディアはほとんど消費されることのない『性能』のレベルや質を発展途上段階の20世紀の論理で捉え、依然として価値あるものとして評価している。
それを言ってしまうと、身も蓋もない話になってしまいますが、そのような現状に目をつぶって相も変わらずの高性能談義で(クルマの)未来を語ることに疑問を感じています。いままで通りでやって行くことは相当困難になってきている、という実感があります。
スピードの限界を追求することに異論はありませんが、そろそろ現実的な速度で楽しさを考える時期に来ている。速度の絶対値に依存しない面白さ。
その視点からクルマを考えるのは悪くはない、と思うわけです。ここはもっと掘り下げる必要のある重要なポイントです。答えを急ぐことはないと思います。
質問2は、正解を求めるものではありません。当然失われて良い器官はないわけです。そんな中でわたしは、プライオリティを考えると『目』かな、と思っています。
視力を完全に失った状態でクルマを運転することは不可能です。目から入る情報量は圧倒的で、高速で移動する時間軸の中で処理される情報の大半は、目からもたらされている。
速度が高まると視野が狭くなり、不安を覚えるようになるのは、単位時間内で飛び込む情報量が処理能力を上回るから。
目-脳-手足という情報経路を駆け巡る神経伝達スピードが、目前の景色が刻々と変化するクルマの速度に追いつかなくなる状況が視野狭窄の原因であり、恐怖の源泉です。
同じような理屈はタイヤのハイドロプレーニング現象にも共通します。単位時間あたりにタイヤグルーブ(溝)が排水できる量には限界があって、それを超えると水に浮く現象が発生してします。それを抑制するにはスピードを下げる以外にない。
一般的に、250㎞/h(69.5m/sec)付近にスピードの生理限界があるようです。これは自らの経験則に基づく主観値ですが、この速度の壁に迫る時はいつも緊張します。人間の視覚神経伝達速度に起因するもので、生理的には万人に共通する感覚ではないかと思います。
プロフェッショナルドライバーは、目前の対象物を超人的な能力でさばいているのではなく、経験値に基づく予測で事前に情報を処理し、現場に至った時には操作が完了している。そうでなければ間に合いません。
アマチュアドライバーは、現場対応処理能力に優れることがドライビングスキルが高いと勘違いしますが、トップドライバーの資質はそれ以上にその先をイメージして的確に対応する能力にある。まあ、この辺の話はまだまだ先があるのでこれくらいにしましょう。
スピードを下げる強い意志を持ちながら、しかし商品の本質に関わる楽しさや面白さをいかに満足させるか。ダウンサイジングの発想を含みながら機能/性能を追求して行くと、FRは有力な選択肢として急浮上してきます。
かなりの部分を省略しているので、かなり乱暴な展開になっていますが、まだまだ話は四方八方に広がって行きます。
勢いついでに質問3と4
まず質問3:あなたが満足できる動力性能(パワー/トルク)はどのくらい=何馬力ですか。
質問4:FRという言葉から連想するイメージはどんなものでしょう?
フェアレディZの国内発表会に出掛けてみました。あらためて見ると、とても綺麗で雰囲気のある仕上がりですが、何か時代に合っていない感覚が先に立ちます。GT-Rにも共通する、未来に希望が持てるサムシングを欠いた『不用意な』と表現できる重厚感。これを題材にFR論を展開するのはかなり辛いと思わせるところに、新型Zの難しさを感じているわけです。
Posted at 2008/12/03 00:12:19 | |
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