
"子供と一緒に、どこ行こう"オブラディ・オブラダの軽快なメロディに乗ってステップwgnが登場したのは1996年5月のことである。
そのタイミングは、ベースとなるシビックEK型(6代目)から8ヶ月後、ホンダ・クリエーティブムーバーの元祖として一時代を築いた初代オデッセイ登場の19ヶ月後だった。
多くの人にとってはすでに記憶の彼方に沈んでいると思うが、バブル崩壊後のホンダは急激な業績の悪化に直面していた。
物質的な豊さの極致ともいえるバブル経済は、それまでの大量生産/大量消費を前提にした年功序列&終身雇用制度を背景にした画一的、均質的なクルマ作りを突き抜け、格差をともなう多様化の時代を出現させた。
その一つの現象として90年代初頭に盛り上がったのが"新しいモノ探し"の結果としてやってきたRVブームだった。パリダカラリーの盛り上がりという副産物もあったが、パジェロを牽引車とする三菱の隆盛は、ホンダを合併によって呑み込む?という噂さえ立ったほど。
そんな時代がいつまでも続くはずないよ……1フリーランスの諫言など聞く耳持たぬ態度で変化への対応を怠った同社が、後に様々な問題を噴出させやがて存亡の危機に瀕したのはご承知の通りである。
オデッセイが登場する前の90年代前半。90年に初の本格スポーツNSX、翌年に軽ミッドシップBEATを発表したところでバブル崩壊。RVブームに対応する術もなかったホンダは存亡の危機に瀕する。
そこで90年に社長に就任したカワさんが取った施策が、まずレジェンド、アコード、シビックという屋台骨を支えるセダン系を、販売面での量的主力市場となる北米向けに仕立て上げること。
こんな退屈なクルマを作るメーカーに入ったわけじゃない!当時の若手エンジニアや広報マンからどれだけ愚痴を聞いたことか。しかし、カワさんの深謀遠慮はやがてホンダを活気づけることになる。
3本柱をきちっと作った上で、それをベースに最も遅れて参入するファミリー向けのマルチパーパスをシリーズとして展開する。その嚆矢が1994年10月20日に発売されたオデッセイだった。
北米シフトを強めて初めて3ナンバーボディ化したCD型アコード(93年9月発表)とプラットフォームを共有し、同じ狭山工場でアコードの生産ラインを変更することなく流せるよう車高を1650㎜以下に抑える。
画期的なアイデアによる3列シート、スウィングドアのミニバンは、発表と同時に爆発的なヒットとなったが、当のホンダはこれまでのクルマ作りとはまったく異なる新機軸に半信半疑。よほど不安だったとみえて、事前に栃研にジャーナリスト20人近くを集める大規模クリニックを行なった。
そこでの評価は「走りはホンダらしくていいけれど、このスタイリングは……」お歴々は一様にネガティブというトーンに終始した。そこでの僕は確か最年少だったと思うが、大方の意見に反して「間違いなくイケると思います」唯一全面的にポジティブと断じた。
その場での発言だけでは不十分だろうから、後で意見を書いてFAXするよーに。言われて送った書面があったから、開発陣/広報サイドには了解されていたはずである。
初代オデッセイにはユニークな点がたくさんあったのだが、開発責任者RADが個性的だった。いわゆるエンジニアではなく、広報/営業畑を歩き、POWERED BY HONDAなど数々のキャッチフレーズを考案した個性派だった。
アリさんがオデッセイ開発に際してエンジニアに指示したのは「エンジンは余計に回すな」に始まる、それまでのホンダイズムにはない発想。ホンダといえばVTECに代表される高回転・高出力を以て良しとする社風。だが、ファミリーカーにそれはないだろう……徹底した現実主義が貫かれた。
2.2Lの北米アコードをベースにそのまま3列シートのミニバンに仕立て上げた。今では何の違和感も持たれないが、目線の高いその乗り味は間違いなく新しかった。
余談ながら、初代オデッセイの試乗会は神戸のメリケンパークにあるホテルオークラをベースに行なわれた。翌年1月17日の阪神淡路大震災で倒壊した阪神高速を走り、芦屋から六甲山を巡るのが試乗コースだった。
3ヶ月なんて地球の時間軸からしたら誤差の範囲。ひょっとしたら、自動車メディアの多くが被災したかも……というのは、まああまり褒められない黒い冗談だ。
このオデッセイの大成功がホンダの今につながっている。カワさんによって幕が下ろされた第2期F1活動が第3期で復活することができた端緒はここにあるわけだが、カワさん/アリさん体制の目論見は単発のその場限りではなかった。
95年9月に6代目EK型シビックが発表された。ミラクルというサブタイトルが与えられたシビックの試乗会は、たしか箱根のハイランドホテルで行なわれたはずである。山あり谷ありの人生の中で上昇機運にあった僕は、その場で率直にいろいろな意見を述べた記憶がある。
「このシビックにはワゴンがなければおかしい」北米向け重視が鮮明になったセダンと、やっつけ仕事にしか見えないハッチバックを見て鋭く迫った。時代性を考えればワゴンがなければ不自然だ……と。
帰宅すると携帯が鳴った。「明日和光に来るよーに」名物広報マンとして名を馳せたMさん(故人)からだった。夕刻だったかと思うが指定時刻に出向くと、Mさんとアリさんが待ち受けていた。案内された広いスペースには、あれまぁ……!!息を呑む光景が。
ステップWGN、SM-X、CR-Vそしてオルティア。翌年以降姿を現す試作やモックアップがずらりと並んでいた。そのすべてが直観的に成功すると思える魅力的な雰囲気を備え、新しいデザイン感覚を持っていた。
ステップWGNと名づけられるというスクエアデザインは、軽自動車のステップバン(72~74年)をリアルタイムで知る世代に取っては涙ものの郷愁漂うグッドルッキング。
スライドドアを左側だけにしてコストダウンと安全性を考えた合理的なデザインは、5ナンバーという現実と合わせてその場で成功を確信した。求められたコメントはすべてのモデルに対して全面的にポジティブということに終始したはずである。
長くなったので
翌日に連載します
Posted at 2009/11/14 16:54:52 | |
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