
VWゴルフが発表されたのは1974年。僕はまだ22歳の小僧であり、明日のレーシングドライバーを夢見て川崎北部の多摩川沿いにあるGSでバイト稼業に励んでいました。
前年の10月6日、エジプトとシリアが突如イスラエルに占領されていたシナイ半島とゴラン高原に侵攻。第4次中東戦争が勃発します。これを受けて10日後にOPECに加盟するペルシャ湾岸6ヶ国が原油公示価格を70%引き上げ、翌日にはOAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟国がイスラエル支持国への石油禁輸を宣言。さらに73年末には($3.01→5.12)を$11.65に値上げすると発表するわけです。
ま、この辺の詳細は当時のガソリンスタンドの兄ちゃんには皆目分かりませんでしたが、ガソリンを売る立場からそのパニック状態をリアルに経験しました。道路に溢れて行列をなすお客に「すいません、お一人様10ℓしか給油できないんですよ」頭を下げながら告げると「バカヤロー、それっぽっちじゃ仕事にならねぇじゃねぇかッ!」どれだけどやしつけられたか。
今なら、買い占めは情報不足がもたらした群集心理の産物にすぎず、一度に殺到したから物流が間に合わず在庫不足になっただけのこと。デマがスーパーからトイレットペーパーを消したと言えるわけですが、人間切羽詰まるといろいろやらかすものです。
70年代前半は、外国車といえばまだアメ車が主流でした。近所のメッキ屋の社長のお気に入りはカマロ→モンテカルロとシボレーだったし、GSの共同経営者はマーキュリーモナークを愛用してました。田中角栄さんのクライスラー好きは、刎頸の友が国際興業の社主で、そこがかつてクライスラーの輸入代理店だったから……というのも渋い蘊蓄かも、です。
メルセデス? ほとんど見かけなかったですね。当時はもっぱらベンツと呼ばれましたが、身近で見た記憶はありません。ウルトラマンに出演していた俳優(名前は忘れた)が時折VWビートルで来店したくらいかな、欧州車は。一部のスノッブのものだったと記憶しています。
ゴルフⅠが視野に入ったのは、いまの仕事を初めてからです。9年というロングライフモデルでしたから、初代はリアルタイムで試してます。シンプルで固くてお行儀がいい。クルマの性能やその評価は常に相対的なものです。当時の日本車と比べたら進んでいるところも多かったけれど、それが使用環境に合っているかどうかというとかなり微妙でした。もちろん、エキゾチシズムという意味では立派に舶来モノだったし、その感覚は今とそれほど変わりません。
ただ、僕としてはゴルフⅠの2年前に登場したホンダシビックSB1にぞっこんだったわけです。☆レンジ付きホンダマチックのGLを「これからはFFだぁ、ATに乗らなくてどうする?」若気の至りの新しもの好きでわけの分らないことを言って、買いましたSB1。どこがFR絶対主義だ?(このふたつ後に初代プレリュード4ATにも手を出した)でありますが、あの時以来ゴルフ何するものゾの気分は抜けません。
現代風の横置きFF2ボックスというパッケージをグローバルに広めたのはシビック。北米での成功をはじめ世界中への浸透を正当に評価すればそうなる。妙にバタ臭いゴルフⅠは、強すぎるドイツ風味と自らのクルマ作りへの自信が招く融通のなさが災いして、アメリカの風土に溶け込めなかった。そういう歴史が残っている。
あらためてゴルフ歴代を振り返ると、基本形は変えずにアップデートと大型化によって伝統を繋いでいる。形を変えないで変って行く……典型的ともいえるドイツ流。それよりも長い歴史を刻むシビックはというと、状況に合わせて変化してきた歴史です。今となっては源流を受け継ぐのは欧州シビックだけ。需要のある市場に自らを適合させながら今日を迎えている。ゴルフは今でこそ北米でもプレゼンスを回復しつつありますが、そのスタンスは絶えず一貫していました。
しかしゴルフⅠと最新のゴルフⅥを比べると本当に隔世の感がありますね 。全長3725㎜、全幅1610㎜、全高1410㎜ホイールベース2400㎜で780㎏が、ゴルフⅥでは、それぞれ4210、1790、1485、2575㎜の1290㎏です。
堅苦しくて几帳面。そう表現したいドライビングスタイルを要求したゴルフⅠに、僕はそれほど親しみを持たなかった。注目するようになったのはかなり後になってのことです。ゴルフⅠを一躍有名にしたのは杉江博愛さんの伝説のベストセラー。今はなき出版社の編集者が命名したというペンネームとタイトルで一躍有名になった書籍に記された評価。これに負うところ大だったと思います。でも1976年の初版本を読んだのはずっと後の話です。
80年代の中頃、当時の輸入総代理店ヤナセ広報室とフォルクスワーゲンアジアのコラボによって輸入メーカー初のプレスツアーが始まります。ヤンソンツアーを知る人は少なくなりました。当時僕は最年少組で、多くが40代後半以上の大先輩ばかり。鬼籍に入られた方も多くなりました。そこでひと回り年上の徳さんを初めとする先達の薫陶を受けるわけです。情報の精度はともかく、話の面白さに関しては本当に退屈知らずでした。
F.ピエヒと縁戚関係にあるVWA代表(当時)のロバート・ヤンソンさんは、見た目は完全に東洋人。日本語を完璧に話すのでカタカナ苗字に違和感があるのですが、それ以上に達者なドイツ語を耳にすると"おおっ、違う"となる。彼の率いるツアーは、ドイツの名所旧跡を巡るオリジナルで充実したプランが多く、2泊4日が基本となった現在のビジネストリップにはないヨーロッパそのものを知る旅。まだアンカレッジ経由の時代ですから1週間かけてじっくりが基本。今にして思えば贅沢なものでした。
しかしゴルフⅡとシロッコに16バルブDOHCが載ったGTIの記憶はいまも鮮明だ。7台(ゴルフ4/シロッコ3だったと思う)の編隊が、まるで新幹線のように200㎞/hでつながってアウトバーンを行く。全開で走っても8.5㎞/ℓを記録。まだキャタライザーが付かない段階だったはずだが、衝撃だったなあ。そういう経験を経て、5ナンバー枠内に収まるゴルフについてはかなり肩入れするようになったわけです。
先日の2010ジュネーブショープレスデイ前夜、ジュネーブ市内のイベントスペースで行なわれたVWレセプションに足を運んだ時のことでした。ステージ中央のVIP溜まりに目をやると懐かしい顔が。何をしているんですか? 尋ねると、VWとスズキの提携は私の仕事ですよ……そうだったんですか!?。変わらぬ雰囲気のままヤンソンさんはさらりと言ってのけた。ご無沙汰だった人との思わぬ場所での再会に、継続は力なり……という言葉の意味を噛みしめました。
ゴルフⅡは全長3985㎜、全幅1665㎜、全高1415㎜、ホイールベース2475㎜の1030㎏(ベースモデル)です。現行のポロと被さるスケール……。5ナンバー枠に収まるゴルフⅢまでは、ゴルフはゴルフだったと僕は思っています。でもⅣ以降はずっと抵抗を感じてた。性能、機能、装備、品質……どれを取っても代を追うごとに良くなっているんですが、世紀末以降のゴルフはとめどもなく過剰領域に突っ込んで行った。魅力的ではあるけれど、フォルクスワーゲンは本当にこれでいいのだろうか? ずっと違和感を抱き続けてきました。
現在のゴルフⅥは、35年の歴史の果てにある洗練された性能と違和感のない機能、見て触って走って実感できる品質。右肩上がりを当然の方向として捉える価値判断では非の打ちようのない仕上がりを持っている。しかし、「合理性とは何かを形に興した」オリジナルを知り、そのレベルアップに踏みとどまった二代目の必要十分に感銘を受けた者としては、肥大化した現実に未来が感じられない。
限られた資源をセーブするため……ゴルフのオリジナルコンセプトは、そういうことで始まっている。そのためのダンテジアコーサ型FF2ボックスだった。ここまで大きくしていいのなら、FFでなくてもよかった。いまさらながらの思いが募ってきます。クルマ同士の比較論から求められる評価において、VWゴルフⅥは最新にして最良といえるかもしれない。でも、人や環境との調和……またぞろですが、人・道・クルマ=3重のシステムの視点から見たクルマということになると、必ずしもそうはならない。
ああ、またこうなっちゃいましたね……ですが、40年に及ぶ僕の価値判断に照らすと、単にハードとしてのクルマという意味で優れているからといって、即○ということにはならないんですよ。このままずっと石油資源が無尽蔵で、環境負荷にも問題がないというなら話は別ですが、どうもそういうことではないらしい。どうせ先に進むなら、心置きなく楽しめる方向を目指したほうがハッピーでしょう?
オーバースペック、オーバークォリティ、オーバーサイズにオーバーファンクション。量販領域ではとくに過剰性をどうやって押し止めるか。ここが勝負どころだと心得ます。日本におけるVWゴルフは、十分に小規模量販のプレミアムモデルといえますが。
40年前の高度経済成長のピークに自動車人生を始め、すぐにオイルショックと排ガス規制の荒波にもまれ、その最悪の時期にモータースポーツを志し、刀折れ矢尽きたところでメディアの世界に飛び込み、永遠の成長が信じられた80年代にお腹一杯様々な経験をさせてもらい、バブル経済を知り、その崩壊に呆然とし、清貧の時代に活路を見出し、ミレニアムに時代の変化を確信し、グローバル化とフラット化による津波状況に翻弄されながらも強気で自立の方向へと進み出したところでリーマンショックである。
振り返ってみればずっと激しいジェットコースター状態を生きてきたということになりますが、一個だけ確実なのはそれでも先に進むしかないということです。後戻りはできない。皆で渡れば怖くないという生き方に日和たくなることもしばしばですが、せっかくこういう立場にいるのだからジャーナリスティックに行きたいもの。因果な性格ですが、あえて空気を読まないスタイルでここまで来ています。貧乏は好きではありませんが、実力以上の豊さには魅力を感じない。寄る年波で、きれいごとばかり言ってはいられないのですが。
3月24日、58回めの春は、冷たい雨が降る底冷えのする一日でした。あと20年はこのままでやって行きたい。掌の生命線はそのくらい全然オッケーと出ていますが、さてどうなりますか。2010年は何としても乗り越えなければならないサバイバルの年。見通しを明るくするには、とにかく歩かないとね。3月末にNYからLAに飛び、4月は北京に行く。旅が僕の活力の素なのだ。
やるっきゃない……そんなもんでしょ?
Posted at 2010/03/24 23:36:02 | |
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