
広州酒家で朝飯。蛇(!)のお粥に、エッグタルトに、海老餃子(焼売?)に、おかずパン?に、大根餅……同席の地元の5人組に助けられながらあれこれ食してそれでも70元か。これだけでも来る価値がある……とか言いながら、完全に写真に収めるのを忘れた(笑)。
食後ホテルに戻るT君と分かれてしばし散策。いつもの上下九路の広場に来ると、なんだか真っ赤に派手な催し物の賑わい。なんでも中国十強ナントカとかというお茶の会社のイベントで、テントの下では入れたてのお茶が振る舞われていた。呼ばれて飲むと、苦みが先に走る微妙な味。舞台の上では、最初にお固い挨拶が続いたあと、いかにもの女子バンド(?)のパフォーマンスやらなんやらが始まった。平日の朝なのに、けっこうな人だかり。何している人達なんだろう?



第十浦(サンズイなし)路と上下九路界隈は広州でも古い味わいのある商圏のひとつ。歩行者天国のような第十浦路(ディシーフール)にはこんな銅像があちこちに。往時の雰囲気を今に残す趣向だろうか。


部屋に戻って、本ブログの更新を試みるも、通信環境が芳しくなくあっという間にお迎えの13時になっちゃった。広汽ホンダの工場見学を、こちらに出掛ける3日前のAJAJ懇親会場でホンダ青山広報のN井部長に駄目もとでお願いしたら、トントントンと話が進んで、新しい広汽ホンダ第二(増城)工場の手配が整っちゃった。N井さんが広報部に来る前まで中国に赴任していたこともあるけれど、このへんのレスポンスの良さがホンダのホンダたるところでしょうか。

高層アパートが林立する市内から東にズンズン1時間ほど行くと、2004年の第一回上海F1GP観戦ドリクラの際に立ち寄った第一(黄浦=サンズイではなく土篇)工場から15分ほど先に目的地はあった。
敷地面積は黄浦工場(60万㎡)の倍以上もある133万㎡。落成は06年9月で、生産能力は現時点では黄浦の24万台/年の半分の12万台。現在、倍増の24万台体制への移行が始められていて、そう遠くない将来ホンダの主力工場の基準とされる24万台=1ユニットが実現されることになっている。
ホンダとしては初めての試みが多く、メインのプレスマシンは中国製。中国国内自動車業界で初の排水ゼロのフル循環システムを導入して、年間34.35万トンの水を節約している。工場見学のルートも作業のグラウンドレベルではなく、ブレス行程から溶接、アッセンブリーまで、すべてを2階部分から見渡せるのも珍しい。組み立てラインを流れるクルマの景色も初めて見る感覚。
たまたまそういうことだったのかもしれないが、見渡すかぎり黒のアコード(US)ばかり。まあ、高級感が求められるセグメントでは、オーソドックスなセダンルックが人気で、大半の黒にシルバー、白が続くという市場特性からすれば納得なのだが、ここまで真っ黒だと壮観というほかない。現状の敷地で1ユニット化を実現するというが、土地はあとその倍は行ける余裕がある。5年後にはどんな景観となっているのだろう。
今回は僕とT君とO沢の3人に対し、ホテルまで迎えに来てくれた総務のU田さんはじめ、アッセンブリーのK峰さん、ウェルディングのF士さん、プレスのK島さん、ペイントのD川さんと総勢5名という豪華な対応。塗装を除くほとんどの行程を十分な説明とともに見学できたので、この手の本格的な工場見学初体験のT君にはいい刺激になった模様。残念ながら撮影は全面的に禁止だったので、視覚的に訴えることはできませんが。

クルマは工場で作られる。当たり前の話だけれど、案外自動車メディアの人々はそのことを忘れがちだ。とかく華やかなR&Dのスターエンジニアばかりにスポットライトが当たることが多いけれど、工場で出来ないモノはどんなに素晴らしいアイデアでも商品になることはない。それぞれのメーカーにはそれぞれの流儀やシステムや技術の蓄積があって、それがクルマの個性につながってもいる。機会があれば、もっともっと工場を見てみたい。たとえば、中国の民族系の吉利や奇瑞なんかをね。

広州市内に戻る帰路、U田さんの勤務地である黄浦工場に立ち寄り、ここでお別れ。この地では駐在員が自分で運転することは難しく、常に現地の運転手がステアリングを握ることになっているそうだ。6年前に見た広州ホンダのエントランスが懐かしかった。市内に入って覚えのあるテレビ塔を発見。これが当時目についた景色であり、現在の東京スカイツリーにも似た新テレビ塔をはじめとする高層建築のあれこれはここ数年、いやこの1年で随分変わったという印象すらある。


直前に行われたアジア大会は、08年の北京オリンピック、10月に幕を閉じた上海万博とならぶ、中国の発展の原動力にもなっている行事誘導政策(イベントオリエンテッドポリシー)という、かつての日本が採った手法を彷彿とさせるもの。日本は1960年頃から約50年かけて現在に至っているけれど、中国はその5倍速のスピードで一気にここまで来た。この先どうなるのか。是非見届けたいものである。
宿に戻って、3人で広州最後の晩餐は、歩いて数分の、ここも広州十大ナントカの人気の店。食って食って食いまくってまたまた激安だった。ここから、しばし夜のパトロール。黄沙には築地みたいな魚河岸(?)があって、生け簀に魚や海老蟹、貝などがどっさりという見たことのない光景が。去年に引き続いての珠江のナイトクルーズは、この国の勢いとある種の狂気をあらためて実感することになった。ここまで見て、広州モーターショーを考えるのが正しい姿勢言えるのではないでしょうか。
Posted at 2010/12/25 00:43:20 | |
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