2016年10月02日
俺が若い頃に手放した車と再会した話 (ネットからの編集引用)
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誰もいないかも知れないが話してく
まあスレ名の通り若い頃に手放した車と再開したって話なんだけどさ
まあ聞いてくれ
俺は実家がかなりデカイ車屋ってこともあって俺はかなりの車好きだったのよ。 だから子供の頃レーサーなりたくてカート乗ってたし、親父の手伝いなんかもよくやってた。 親父の跡を継ぐ予定だった俺は高校卒業したあと、東京の結構有名な整備工場(グループAとかにも出てた)に親父のツテで就職したのよ。 昼は整備、夜は勉強&先輩の車いじりなんかをしてた。 そんな俺の夢はいつか自分の車を持つことだった。 1989年の事だ、NISSANからGTRが復活したんだ。 凄いって噂は聞いてたけどあんまり信じてなかったおれは翌90年のレースでGTRがトップ独占した事がきっかけでGTRが欲しいと思った。 いろんな所から借金してGTRを買った。初めての自分の車だったよ。 俺は更に借金を重ね、自分が学んだ全てをGTRにつぎ込んだんだ。 93年頃で800馬力オーバーのモンスターで俺は首都高を走ってた。 借金はまだかなり残ってたけどおれは幸せだった。
そんな俺にも彼女がいた。付き合って3年、結婚したいとも思ってた。ただ、俺には600万近くの借金があった。彼女には言ってなかったが(知ってたらしい)どうにかしなければなかった。
94年の夏、俺は社長に呼び出された。 酒の席で彼女の事、借金の事なんかを様々相談とかしていたが、真面目に呼び出された事はなかった。 社長は、お前はもう十分一人前だと、もう家を継げるって言ってきた。そして、お前がもし借金を返したいって言うならお前のGTR+退職金で700万出すって言ってきた。
悪い話じゃなかったし、借金無くせば結婚もできる。どちらにせよそのうち実家に帰る予定だったし、いい機会だと思った。
俺は次のオーナーのために、精一杯の整備をした。エンジンはOHしたし、消耗品も交換、予備部品も全部つけてやった。馬力は同じチューンのまま450馬力に落として、やって欲しい事を手紙にして書いた
俺は彼女と結婚して、息子と娘を授かった。
ファミリーカーを買って、それなりにがんばってたけどいつも頭の片隅にGTRの事があった。元気に走ってるかなって。
今年、息子が大学に受かり、再来年は娘か、、そんな話をしてる時電話が掛かってきた。家電にだ。しかも夜の10時。誰かと思って出るとむかし働いてた社長さんからだった。 社長さんは、業者さんオークションでお前のGTRを見たって言ってきた。 明後日入札があるからそれまでに見に来い。間違いなくお前のだって。
俺は会社を休日にし、車体番号を確認するために現地に向かった。KBNR32...100..... 間違いなく俺のGTRだった。
走行距離は7万1442キロ、俺と別れたあと3万8000キロ走ったそうだ。売り文句は、1500毎のオイル交換、必ず暖気後運転。オーナーは2オーナー、あの後、21年間大切にしてくれてたかと思うと涙が止まらなかった。
正直、即買いしたかったが、財布を握ってる嫁に電話する必要があった。諦め半分で電話をしたがあっさり了承された。いつも気にしてるの知ってたと、やれるだけやってみろと。 業者オークションで400万で俺はGTRを落札した。
売り主は、「そちらで整備した後、販売時には元オーナーからの手紙をつけて欲しい」と話をしてきた。 まあ俺がこいつの最後のオーナーになるわけだがなw
手紙にはこんな事が書いてあった
「この手紙は私の前のオーナーが書いてくれたものです。
オイル交換は2000kmより前にしてほしい。
どんなに焦っていても暖気は必ずしてほしい。
少しでも気になる所があったら解決するまで整備してほしい。
大切に乗ってほしい。」
この手紙を見た時もう涙が止まらなかった。
前のオーナーは本当に大事にしてくれたと。嬉しくて仕方なかった。
俺は前のオーナーに会ってみたいと売り主に話した。どうしてそんな事を思うのかも。 数日後、前オーナーさんから電話が掛かってきた。私も是非会ってみたいと。 前のオーナーさんとは一ヶ月後に会うことになった。
俺はそれまでにこのGTRの車検と整備をしてオーナーさんと会う時に乗っていきたいと思った。 電話をしてから数日後、我が家にGTRがやってきた。 嫁や娘は何でこんな車に400万も...とか言ってたけどな。
付属品の中には、俺が最初に選んだホイールや自作したエアロなんかがピカピカのまま残ってた。
とりあえずエンジンをかけてみる事にした。
電源と燃料ポンプをオンにしてセルを回してみる。
キュルキュル、、ヴォン
昔と何1つ変わらないエンジン音がそこにはあった。今となっては喧しいマフラーその一個一個に涙がでたよ。自分が泣き虫だって嫌になるくらいに
それから俺は仕事が終わってから毎日GTRを整備した。
毎日整備していると昔の時間が戻ってくる気がした。昔真面目に仕事をしなかった俺を変えてくれたGTRは今になっても特別だった。
前オーナーさんと会う一週間前、ナンバーを取得した。 番号は前と同じ••32にした。
整備してて驚いたことは、消耗品がほぼ新品であったこと。
前オーナーさんは関西の人だったけど、俺が東北ってこともあり、東京で会うことになった。 待ち合わせの料亭で待っていると、程なく車椅子に乗ったおじいさんがやってきた。 自分の親くらい歳の何処か風格があるおじいさんだった。
世間話から始めようと思っていたが、おじいさんは俺にありがとうございました。の一言から始まった。
おじいさんは俺に、「自分は30台以上の車を乗ってきたけど21年間乗り続けたこの車は私の車人生で最高だった。一度でいいから作り主に話してみたかった」と話してきた。俺はおじいさんに車の説明、本当の馬力などを全て話した。 でも当たり障りの無い話題を最初は話してたと思う。
俺はどうしても聞いてみたかった。
これだけ愛してくれた車を手放した理由を。
正直、おじいさんは当時の俺より思い入れがあるように感じました。俺はそこまでの愛がある車を手放す理由がわかりませんでした。 この時の会話は今でも鮮明に覚えてます。
俺「一つ聞いていいですか?」
じいさん「なんでもいいですよ」
俺「なんでこの車を売ろうとおもったんですか?」
じいさん「.....」
俺「○○さんは当時の俺よりも話を聞いていて思い入れがあるように感じました。なぜ手放そうとおもったんですか?」
正直聞いてから聞いてはいけないことを聞いてしまったと思いました。
考えてみれば金の事もあるだろうし、おじいさんがあまり歩けないのは明白でした。
でもおじいさんは、
「俺さん、車ってのは何のためにあると思いますか?自分は走るためにあると思うんです。 私は3年ほど前事故で腰を痛め、ほぼ歩けなくなりました。でもリハビリをする気になれたのは、いつかまたGTRに乗りたい、その一心でリハビリを続けることができたんです。 1年半のリハビリ生活の中私は毎週、GTRのエンジンを掛けていました」
俺「....」
じいさん「リハビリが終わったあと私はGTRに乗りました。でも腰を痛めた私にもう乗れる車じゃなかったんです。私は車のほとんどを処分しました。でもこの車だけは処分できなかったんです。」
俺「だったら家に置いておいても...」
じいさん「俺さん、私は車は走るためにあると思うんです。GTRはまだ走れる、そして私にしてくれたようにまた夢を与えてくれる、って思いました。 だから私は俺さんがしてくれたように、変えれるだけの消耗品全てを変え、俺さんが書いてくれた手紙の様にまた手紙をかきました。」
そう言っておじいさんは一通の封筒をだしました。
おじいさん「これ、覚えてますか?俺さんが書いてくれた手紙です。メーターの上に置いてありました。私はすべて守りましたよ、、。」
俺はほぼ号泣でした。何も言えないくらいに。
おじいさん「だから私はこの車を手放そうと決めたんです。また走ってほしい、それだけで満足だって。」
俺「ありがとうございます」多分言葉になってなかったと思う。
それから30分くらいしてお開きになった。
俺はほぼ泣き続けてたと思う。
おじいさんと話して思ったのは、21年ぶりにこの車を手にしたとき、俺が最後まで乗ってやると思ってた気持ちが、いつかこの車に乗れなくなったとき乗れる人に譲ろう、、そんな気持ちでした。
帰り際おじいさんに、少しドライブに行きませんかと誘った、おじいさんは笑顔で了承してくれた。
21年ぶりの首都高、俺とおじいさんは無言で1時間ほど走った。
別れ際おじいさんと一つの約束をした。
俺「俺、自分が乗れなくなったらおじいさんみたいにこの車を乗ってくれる人に譲ります。」
おじいさんはうなずくばかりでした。
帰路に就く前、もう一度首都高に上った。昔と同じ800馬力オーバーのセッティングで。
やっぱりRは今でも最高だった。
21年ぶりの赤い光はやはり眩しく、財布に痛かった。
おわり
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(2021年1月7日追記) 何故かこのブログを読んでいただけるかたが急増したので、似たようなブログ記事をまとめる「リンク」を作ってみました。宜しければご覧ください。(ただこのリンクはPCからでないと動作しないようです。アンドロイド携帯から見ると白紙が出てくるだけでした。申し訳ありませんがPCからクリックしてみて下さい。)
車は単なる機械ではなく、思いや想い出をしまっておいてくれる存在なのでしょうね。 なので自分が昔乗っていた車に偶然遭遇したり、発見できたりすると「私の履歴書」が香りや色を伴って目の前に戻ってくるような気がするのかも知れません。 このGTRのオーナーの方々に倣って、今度譲っていただく愛車のオーナーの方からは「手紙」をいただくことになっています。 長い手紙になるみたいで。。今から楽しみですし、その手紙に書かれるリクエストと思いを引き継いでいきたいと思います。 そういう愛情を持てる車をメーカーさんには作って欲しいと思いますし、80年代・90年代と比べて最近はそういう車が激減してしまったように思えてなりません。
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車への愛情シリーズ | クルマ
Posted at
2016/10/02 09:42:39
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