
私が結婚した翌年…1995年1月17日午前5時46分、成人の日を含む3連休が明け、また忙しい日常が始まる…ハズだった未明の早朝「ドン!」と、まるで爆撃を受けたような激しい縦揺れに襲われた…
平成7年 兵庫県南部地震…いわゆる「阪神淡路大震災」である。
「午前5時45分50秒をお知らせします…ピッピッピッピーーー」「黙祷〜!」
あの日から30年、数多の遺族や関係者が集まり30回目の『1.17のつどい』が執り行われた 〜兵庫県神戸市中央区加納町6丁目「東遊園地」〜

昨日(1/16)の帰り…

「1.17のつどい」会場の…

竹灯籠などの準備も整っており…

早くも報道陣の姿も見られた…
あの日、まだ深い眠りに落ちていた私と妻は、半年前(平成6年6月)に結婚してその新居として購入した神戸市中央区の海上都市(人工島)ポートアイランドの自宅マンション(14階建の12階)寝室で、爆撃のような激しい縦揺れに見舞われた…
一瞬、何が起きたのか理解出来ずに“恐怖を憶えながら”目を覚ました瞬間、グラグラグラ〜ッ!と今度は激しい横揺れに襲われ、思わず妻を抱き抱え揺れが収まるのを待った。
その後も、間を置いて激しい横揺れが続き、大きな地震に遭っているのだ…と、ようやく理解した。
神戸でこれなら東京や関東、東海など地震の多いエリアはもっと酷い状況なんだろう…と、まさか自分達が“震源地エリア”だとは思わず、日本列島はどうなってしまうのか…などと的外れな心配をしてしまっていた。
夜が明け、しばらくすると明るくなり出し、余震が続くなか(スリッパを履き)恐る恐るリビングへ移動…家中あらゆるモノが倒れて散乱している…
テレビをつけると、どうやら兵庫県を中心に大地震が起きたようだ…と判明した。
まさか!
関東や東海エリアなら、しょっちゅう地震が起きていて、いずれ大地震が起きるんだろう…な、と思っていたが、まさか関西…しかも神戸で大地震が!?
常日頃、油断をしているつもり…は無いが、まさに“青天の霹靂”とはこの事だ。
その日は、歩いて神戸大橋を渡り、三宮周辺の…まるで“終戦直後の焼け野原”のような街を目の当たりにして、正直その時は「もう神戸は向こう10年は立ち直れない…」と肌で感じ、悲壮感に苛まれた。
あちらこちらで、ビルは倒れたり潰れたりしており、西の空を見上げれば、数々の黒い煙が立ち登り、次第に真っ黒な空に覆われた…
手に入れられたのはチョコレートなど僅かで、大した食料さえ調達出来ずに自宅に戻り、翌日夜明けと共に、リュックに必要最低限の貴重品だけ詰めて、妻を連れ自宅を出発した。
ニ人とも会社が大阪だった為、瓦礫の街の中とにかく東へ東へ…と歩いて行き、「甲子園」だったか記憶も定かでは無いが、大阪との間でピストン輸送していた電車に飛び乗り、大阪(梅田)まで辿り着いた。
そこには、サラリーマンやOLが行き交う“普通の日常”があり…驚愕してしまった!
僅か30kmしか離れていない「神戸」が、終戦直後の焼け野原のような惨状で、数え切れないほどの行方不明者や死者が出ているのに、目の前の「大阪」には普通の日常が広がっていたのだ!
それから月日は流れ、JR、阪急、阪神とライフラインが復旧してゆき、最後ポートライナーが復旧した約半年後(8月半ば)、お世話になった堺市泉北ニュータウンにある妻の実家を後にして、神戸の我が家に戻って来れた…
あの日から30年…
今朝は、いつもより30分ほど早く起き5時10分頃に自宅を出て、いつも通り歩いて「東遊園地」まで来て…5時46分『1.17のつどい』に参列して、震災で犠牲となった方々に1分間の「黙祷」をした。

5時46分から1分間、静かに「黙祷」が行われた…

その後…

「東遊園地」内の…

「見晴らし台」では、僧侶らによる祈祷もなされ…

数多の人々が竹灯籠を囲み…

5時46分で止まった時計を抱えるMARINA像

「見晴らし台」でも、まだ人々が…

想いを胸に…

祈りを捧げている…
本日2025年1月17日(金)、阪神淡路大震災の「追悼式典」は、神戸市中央区の県公館で行われ、天皇陛下も参列され挨拶されます。
神戸とその周辺阪神淡路エリアでは、今日一日“祈り”につつまれます…
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2025/01/17 09:32:44