小林勇三さんが死去 県俳句連盟会長、本紙民友文芸俳句元選者
2022年02月18日 08時50分
自宅前で「作句で大切にしたのは基本」と語る小林さん=2020年初夏
県俳句連盟会長で、1月まで本紙民友文芸の俳句選者を務めた小林勇三(こばやし・ゆうぞう)さんが16日死去した。87歳。会津美里町出身。雅号は雪柳。自宅は会津美里町字高田甲。通夜は18日午後5時、告別式は19日午前10時から会津美里町字布才地のたまのやこころ斎苑みさとで。喪主は長男賢司(けんじ)氏。
家業の豆腐店で働く日々の哀歓を歌った職業句を多く詠み、1981年県文学賞大賞を受賞。会津俳句連盟会長なども務め本県俳壇をリードした。吟社「航」同人。2011年9月からは10年以上、民友文芸選者を務めた。会津高田町議を通算3期、会津美里町議を1期務めた。
年経るごと作風に幅
食堂の主人、町議と、いくつもの顔を持つ人だったが、俳人としても年を経るごとに作風の幅を豊かに広げた。
俳句は20歳の頃、地元の句会で始めた。30代にかけ「大切にした」のが、仕事を詠んだ職業句だった。
高校卒業後、家業の豆腐店で夜明け前から午前中、豆腐を作り続けた。冬は寒さの中、水に手を漬け働くが、もうからない。「『いやんだなぁ』と思った。職業を歌うことで自分を軽くしたかった」と振り返っていた。当時の一句が〈酷寒の妻の手太る水の中〉。
その後、40代で目指した賞を取り、句集を出し、作風も変化した。この間を本人は「試行錯誤の長い道のり」「これといった作風はなく、大切にしたのは基本」と愚直さを強調していたが、この軽く淡々とした語り口が、まさに後半生の魅力だったと思う。
県俳句連盟の小山孝事務局長は「実直な句もたくさん作ったが、ユーモラスな句も素晴らしい。幅の広い人だった」と言い一句を挙げた。〈八十はまだ餓鬼のうちおらが春〉。少し早いお別れだった。
Posted at 2022/02/18 12:33:49 | |
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