
きょう沖縄戦から79年の「慰霊の日」 20万人超える人が犠牲に
2024年6月23日 8時00分
沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎え、戦没者を追悼し、平和への願いを新たにする一日となります。
太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。
6月23日は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日で、沖縄県が「慰霊の日」と定め、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、正午前から戦没者追悼式が行われます。
県内のシンクタンクの調査によりますと、戦争を実際に体験した県民の割合は全体の1割を下回っているとみられています。
こうした中、先月には旧日本軍が首里城の地下に造った司令部壕のうち、住民の犠牲の拡大につながる作戦が決められたとみられる重要な場所の新たな映像が公開されました。
当時のことを証言できる人が少なくなる中、専門家からは沖縄戦の実相を伝えるための方法が、体験者の証言から、“物言わぬ語り部”とも言われる司令部壕などの戦跡に転換する分岐点にあるのではないかという指摘も出ています。
一方、県内には依然として全国のおよそ7割のアメリカ軍専用施設が集中し、国が沖縄を含む南西諸島の防衛力強化を進める中、自衛隊の新たな部隊の配備や強化も計画されていて、日本の安全保障に伴う沖縄の役割や負担は増しています。
県民の多くが命を落とし、平和への強い思いを持ち続けてきた沖縄。戦没者を追悼する23日は平和を見つめ直し、願いを新たにする一日となります。
「平和の礎」には24万2225人の名前
平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」は沖縄戦などで命を落とした人々を悼み、悲惨な戦争の教訓を後世に継承しようと、戦後50年の1995年に建てられました。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった人の名前が刻まれています。
また、沖縄県出身者については沖縄戦だけでなく、昭和6年の満州事変以降に戦争が原因で亡くなった人の名前が刻まれています。
毎年6月23日の「慰霊の日」に合わせて新たに申告があった戦没者の名前が追加されていて、ことしは県出身者24人、県外出身者157人のあわせて181人が追加され、礎に刻まれた人はあわせて24万2225人となっています。
「平和の礎」の前では、23日朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげていました。
Posted at 2024/06/23 08:10:28 | |
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