日航機墜落事故からきょうで40年 遺族らが慰霊登山
2025年8月12日 11時56分
520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から8月12日で40年です。墜落現場となった群馬県上野村では、遺族や関係者による慰霊の登山が行われています。
1985年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、単独の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から40年の12日、遺族や関係者が、時折、雨が降るなか、朝から墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を行っています。
現場に着いた遺族は、亡くなった家族の墓標に花を手向け、手を合わせるなどして、犠牲者を悼んでいました。
また、墜落現場にある慰霊碑「昇魂の碑」の前では、遺族などが集まって黙とうをささげたあと、「空の安全を」などと書かれたメッセージを付けた風船を飛ばしました。
事故から40年となり、遺族の高齢化が進み、事故を直接知る人が少なくなるなか、どのようにして記憶の風化を防ぎ、教訓を語り継いでいくのかが依然、課題となっています。
このあと夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、参列者は墜落時刻の午後6時56分にあわせて黙とうをして、悲惨な事故が二度と起きないよう、空の安全を祈ることにしています。
日航グループ社員が黙とう 安全への誓いを新たに
事故機の目的地だった大阪空港では日本航空のグループ会社の社員が犠牲者に黙とうをささげ、安全への誓いを新たにしました。
事故を起こした日本航空では、毎年この日にグループ会社も含め、職場ごとに犠牲者を追悼しています。
このうち、事故機の目的地だった大阪空港では、午前9時半に日本航空のグループ会社の社員およそ100人が黙とうをささげ、安全への誓いを新たにしました。
32歳 客室乗務員
「座席の数だけお客様の命をお預かりしている。その一人ひとりには大切な家族がいることまで思いをはせて業務にあたっていきたい」
41歳 機長
「安全に終わりはなく、事故は起こりうるという認識のもと、小さなトラブルやエラーの芽を日々、摘み取っていきたい」
事故から40年がたち、日本航空ではグループ全体でも事故を直接知る社員はわずかとなり、記憶の継承が課題となっています。
Posted at 2025/08/12 13:03:16 | |
トラックバック(0) | 日記