北海道を旅するのは、短い夏から早い秋の訪れを感じさせる、この季節がお気に入りです。
昨年の長期休暇も、この時期に北海道を旅して
地震による非日常に巻き込まれた旅から1年になります。
そんな、非日常の記憶が薄れないよう
いま一度、思い起こしてみたいと思います。
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やや強い揺れが長く続いた地震発生時は、帯広の小さな宿に宿泊していましたが
宿も付近の住宅も被害はなく、ほどなく停電した部屋から見上げた星空がキレイだったことを覚えています。
(揺れ事態は、東京で経験した東日本地震のほうが強く長かったです)
夜が明けても停電は復旧せず、情報収集にはスマホが大いに役に立ちました。
そんなスマホからは、思った以上の災害であることを伝えては来ますが、北海道全域で停電していること以外は全く情報不足でした。
※北海道をブラックアウトに陥れた発電所は、新潟へのフェリー埠頭の対岸にあります。
そのときは、それほどの危機感は感じていなかったのが正直なところですが、停電をトリガーにした影響の連鎖は、思った以上の広範囲に、じわじわ広がったものでした。
それを実感するのは、地震当日の朝には営業していたガソリンスタンドや小売店は、時間が経過するにつれて閉店する店が多くなり、昼にはほとんどが店を閉め、食事や飲料に困ったものです。
それでも、自家発電のある道の駅は、燃料が切れるまでは営業しているところもあり(空港も通常営業でした)
スーパーでは、非常備蓄品(レトルトご飯や電池等)に限定して、電卓で販売してくれたり、そんな数少ない営業している店から当面の食料を確保できたのは幸いでした。
北海道のライフラインともいえるガソリンは、非常時でも給油が出来る災害時指定スタンドで給油は出来ましたが、並んでも10~20ℓの給油制限が設けられていました。
給油制限は停電解消後も数日続きましたが、同じ市街地内でも無制限のスタンドもあったりして、温度差(企業努力の差?)もありましたね。
地震による最も大きなダメージは、食料品の物流の復旧が思ったよりも捗らなく、旅を終えて北海道を離れるまでの10日間、スーパーに並ぶ食料品の品不足は解消されなかったです。
なかには、地震翌日から弁当や総菜の提供をしてくれたスーパーもありましたが、大半のスーパーは何もない状態が数日続きました。
そんななか、北海道のコンビニ、セイコマでは、自動車のバッテリーから簡易端末を稼働させての販売を行っており
暗い店内でも商品がある限り営業を継続して、停電が復旧しても閉店し続けた全国展開の大手コンビニを傍目に、店内調理の暖かい弁当をいち早く提供してくれたものです。
セイコマではパン類も早くに店頭に並びました。
たぶん具材の少なく調達しやすかったのでしょうか。塩昆布パンはお世話になりました。
結果的に旅を続けるリスクは、停電と停電に伴う物流(食料)でしたが
宿泊先を決めただけの自由な旅だったこともあり、計画自体に大きな変更もなく続けることが出来ました。
地震当日も、幸いなことにガソリンを満タンしたばかりで、帯広から次の拠点である屈斜路湖への旅を続けることが出来
無事に到着した屈斜路湖では、震源から離れていることもあり震度2程度の揺れで被害もなく影響は停電だけでした。ただし停電の復旧は、北海道でも一番遅いグループだったので、影響が長引いた感はあります。
※地震の影響で観光客は皆無。こんな砂湯も珍しいのでは。
それでも、宿泊したログハウスでは、水道もガスも使えたので影響は軽微と言えたでしょうか。
日が暮れればランタンでの食事も美味しいもので
選り好みせず調達した食材での食事は数日続きましたが、日々、調達できる食材が増えてきて、それなりに満喫してました。(基本レトルトカレー+1品(目玉卵、モヤシ炒め、ジンギスカン・・・)
最後の晩餐は、有り合わせ全部込みの栄養満点でしたね。
ただ、停電の長期化による影響は、思わぬところにありました。
モバイルバッテリーとクルマからの充電で食い繋いでいたスマホからの情報収集も、携帯電話の基地局の非常電源切れ(約24時間)ばかりは、どうしようもなく、スマホも電波がなければタダの板と化しました。
この時ばかりは如何ともしがたく、家族との連絡も取れなくなり心配もさせてしまいました。
そんな貴重な体験から、早くも1年が経ちましたが
いまだに被災され、日常に戻れない方も多いと聞きます。
力になれることは限られますが、少しでも役に立つことを心がけていたいものです。
一番は北海道に行くことでしょうが、せめて北海道のものを買うようにしています。
Posted at 2019/09/08 18:05:46 | |
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