もし自動運転技術が普及すれば、きっと人類の生活は素晴らしい物になることでしょう。
事故が起こる頻度は大きく減ることでしょう。
多分、私のWindowsやスマートフォンがフリーズをするのと同じくらいの頻度になるのではないでしょうか。
本当に事故が減るのかはともかく、少なくとも判断能力が落ちた老人の間に普及すれば、出掛けらずにまともな生活ができずにいるお年寄りも減り、高速道路を逆走するような年寄りが自分で車を運転することもなくなることでしょう。
そんなにうまく普及するのかは分かりませんが。
しかし、ごく普通の判断能力を持っている人間にとって、車はそれほど危険なものなのでしょうか。
眠気、スマートフォン、脇見…。危険因子は数あれど、普通に、真っ当に運転していれば、普通の人間はそうそう事故を起こさないのではないでしょうか。
しかし、だとしても、人間は機械に勝てないのかもしれません。
ならば、安全のため、いずれ、人間が車を運転することが禁止される日が来るのでしょうか。
それは合理的な判断なのかもしれません。
最近では、合理的な判断をする人がたくさんいます。
車を買わない若者たちは実に合理的です。少なくとも公共交通機関の発達している都市部において、高い金を払って車を買って、車を維持して、保険料を払って、得られるメリットは大したものではありません。
あるいは、ネットスーパー。スーパーまでの移動時間を節約し、ウィンドウショッピングなどという何の役にも立たない行動をすることもなく、必要な物を必要なだけ、クリックするだけで、あるいは画面をタップするだけで手に入れることができます。
あるいは、恋愛。恋愛をしても、無駄な金がかかるだけです。心労が増えるだけです。だったら、恋愛なんかしないで、自分のことにお金を費やしたほうがいいのかもしれません。
しかし、ならば、人は何のために生きるのでしょうか。
合理的に生きるだけなら、ロボットにだってできます。
必要最小限のエネルギーを補給して、必要最小限の行動をするだけなら、人間が人間である必要性などないのではないでしょうか。
私が4,320円の年会費を払ってコストコの会員になっているのは、別にそれで元を取るためではありません。
ただ、楽しいからです。
スケールの大きな店内を巡りながら、巨大な食料品を巨大なカートに放り込み、フードコートで安いホットドッグを食べる。
そんな経験は、家の中でAmazon.co.jpを見ているだけではできません。
車を持つことの楽しさは、あえてみんカラを見ている人に説く必要性はないでしょう。
家に引き篭ってネットばかりして、とにかく何を聞いてもまず否定から入るような人達にとっては、車など危険なだけの無用の長物かもしれません。
外に出て買い物をすることなど時間の無駄なのかもしれません。恋愛など浪費以外の何物でもないのかもしれません。
でも、ならどうして、生きていて楽しいのでしょうか。
Posted at 2015/10/03 21:51:04 | |
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