2月13日にホンダが国内モータースポーツ
の活動発表会を行い、これでやっとトヨタ(レクサス)・日産・ホンダの今シーズンが始まりました。
特に2015年の国内モータースポーツの大きな話題となっているのが、小林可夢偉選手のスーパーフォーミュラ参戦決定ですね。
中嶋一貴選手やアンドレ•ロッテラー選手、J-P•デ•オリベイラ選手の他にも年間チャンピオン候補が増えたので、今シーズンのスーパーフォーミュラはとても楽しみです。
※昨年12月に岡山国際サーキットで行われたテストで、ちょい濡れのパイパーコーナーを鋭いアクセルワークで立ち上がる小林可夢偉選手です。
私のみん友さんが写メールで送ってくれました(^^)
そんな中、ひっそりと日本を去るフランス人ドライバーがいます…
小林可夢偉が乗る予定のマシン、
KYGNUS SUNOCO LeMansの8号車を昨年まで乗っていたロイック•デュバル選手です。
※2007年のフォーミュラニッポン岡山戦のピットウォークで、僕が「ロイック~♪」って呼んだときにこっち向いてくれた貴重な携帯ショットです(^^)
日本を去るというよりは、日本のモータースポーツから卒業する…、という言い方の方が合ってますよね( ^-^)
2006年から2014年までの丸9年、日本のモータースポーツファンにフランスの風を運んでくれてありがとう☆
…と感謝の気持ちを伝えたいです。
私がロイック•デュバル選手の名前を知ったのは、来日した2006年の前年、2005年のF3世界一決定戦マカオGPでした。
名前は忘れましたけど、とある大物ドライバーの代役として急遽、他人のマシンに乗ったにもかかわらずマカオで予選トップになったのを覚えています。
その活躍を知ってからか、もしくはそのマカオ以前からツバつけていたのかは知りませんが、
2006年からナカジマレーシングのあの白いレーシングスーツに袖を通し、日本でのレース人生がスタートしました。
スーパーGTでは武藤英紀選手とタッグを組んでEPSON NSXを駆り、フォーミュラニッポンでもナカジマレーシングのゼッケン31を付けてエントリー。
以来、2014年シーズンに至るまで、常に国内モータースポーツの第一線で活躍してくれました。
逆に調子が悪いと実況や解説からアレレ、どうした?と疑われる存在でしたね。
ロイック•デュバル選手のスゴいところは、順応性の高さだと思います。
スーパーGTのパートナーの名前を振り返ってみても…
2006年…武藤英紀選手
2007年…ファビオ•カルボーン選手
2008年…平中克幸選手
2009年…中山友貴選手
2010年•2011年…小暮卓史選手
2012年…中嶋一貴選手
…と、年間チャンピオンを穫った2010年以外は毎年入れ替わってました。
マシンもNSXからHSV-010、最後にはSC430と多種多様(^^ )恐れ入ります。
フォーミュラニッポンを振り返ってみますと…
2006年~2009年…ローラFN06
2009年~2013年…スウィフトFN09
2014年…ダラーラSF14
…と、3種類のマシンをドライブ。
しかも、全てのマシンで優勝を経験し、2009年には新車のFN09で年間チャンピオンを獲得。
もう、日本人ドライバーは何やってんのo(`ω´*)o
…と、言いたくなりますwww
そんな素晴らしい成績を残してくれたロイック•デュバル選手は、とても日本を愛してくれました。
年々増えていくファンに対しても、自らの名前や肩書きにおごることなく優しく接してくれました。
そんなイケメンドライバーに対し、
二次元・三次元 イケメンカモーン!(屮゚∀゚)屮な私のwifeはソッコーで食いつきましたww
まだwifeがパニック障害を発症する前の2008年、スーパーGT 第2戦岡山のレースウィークの金曜日にパドックにお邪魔したとき、
ナカジマレーシングのモーターホームでお弁当食べてるロイック•デュバル選手をwifeが見つけ、必死にラブビームを送りながら「…ロイック~♡」って声をかけると、
ロイックは弁当を置いて、私たちの元に来てくれました(^-^)
もうwifeは胸ズッキューンですわww
ロイックを自分のモノにしたwifeは、スーパーGTでもロイック•デュバル選手を応援し、一喜一憂してました。
ロイックに当ててくるドライバーがいたら、テレビに向かって ( *゚Д゚)ゴルァ!!
ブリヂストンユーザーが上位を占める中、ダンロップタイヤを履くEPSON NSXが下位に沈むと…
wife「なんでブリヂストン履かないの~?」
…と、ユラタクヤも困るような質問を私にぶつけてきたりしました。
まーいつも「ダンロップは先に行く☆」と私は答えてましたがwww
ロイックが来日して6年目、2011年3月11日におきた東日本大震災では…
あれだけの大きな地震を味わっても、母国フランスから放射能の心配をされても、電力供給に不安があっても、
ロイックは私たち日本人のそばにいてくれました。
大震災で日本中が悲しみに沈み、直後に行われた春のセンバツの選手宣誓で全日本が泣いた頃、
アメリカで行われたスポーツカーの耐久レース『セブリング12時間』で優勝したロイック•デュバル選手は…
優勝した直後にこの写真を日本に送り、「この勝利を日本の皆さんに捧げる」という言葉を添えてくれました。
カッコエエ… めちゃカッコエエ~~(^o^;
その後もロイックは日本でレースキャリアを重ねます。
異なるカテゴリーのマシンが混走するスーパーGTでは、GT300のマシンを互いに尊重しながらパスするという、わびさびの精神を学びました(^^ )
またフォーミュラニッポンにおいても、日本各地にあるサーキットを何年も攻略するうちに、ドライビングスキルをひたすら磨いていきました。
ロイックは顔を真っ赤にして熱く走るタイプではなく、クールという言葉がピッタリのドライバーでしたね。
表彰台の頂点に立っても、喜びを大爆発することなく、常に先を見つめる目をしていました。
ロイックの見つめる先…、それは母国フランスで行われるル・マン24時間耐久レースのことなんだと、私は思いました。
日本での活躍が認められ、アウディのワークスドライバーとして召集され、世界のスポーツカー耐久レースが盛り上がってきた2013年、
ロイック•デュバル選手はとうとう、念願のル・マン24時間耐久レースの総合優勝を手にしました\(^o^)/
トップチェッカーを受けた後、ル・マン恒例のピットロード箱乗りパレードでもみくちゃにされながら祝福されるロイックの顔は、日本では見たことのない程ほぐれた笑顔をしていました(^_^)
カートレースでデビューして21年目、日本で修行を積んで8年目の栄光です☆☆☆
若年化が進んだF1にはもうなかなかチャンスはないかもしれませんが、これからのロイック•デュバル選手の活躍を遠い東の島国から祈ってます。
できればヨーロッパでもシングルシーターに乗って欲しいですね~
そして、たまには日本にも遊びに来て下さいね(^^)/
ありがとう!ロイック•デュバル( ^o^)ノ
…とかなんとか言いながら、GT300の下位チームの助っ人ドライバーとして帰ってきたりしてwww