
行き当たりばったりの旅。

たどり着ければ当時立ち上げて3ヵ月にも満たない大阪支社と心の中で呼びたい、事務所も見に行こう、と話していた中に、

九重ホテル泊のあとは、三度目くらいになるのか浜松エアパークに来ました。

最近は「まぐろに塩とみりんつけたら美味しい?」という疑問も生まれているようで、

ばぁばの家でテーブル天板に頭をぶつけないか心配していたのが、

気が付けば天板をおでこの高さが越え、走る我が子をみれば天板に目をぶつけないか心配していたのが、

さらに気が付けば、天板が胸の高さになり、

あっという間に大きくなってと思っていたら、今度は天板の高さが胸の位置を越え始め、

パパは
毎度この構図を撮る足踏みぶりですが、一緒に歩いていても写真の頃より頭の位置が近くなり、子の成長、その早さに驚かない日はありません。

ミニ映画ですが、名古屋のリニア博物館以来か、大人しく見れるようにもなって、

「何十年、何百年、何千年」とGReeeeN氏のキセキを一緒に口ずさみながらの道中、せっかくなのでオリジナルCDを買おうと立ち寄りました。最近はクリスマスを英語バージョンで口ずさむようになりました。

1、2、1、2
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ママと貿易摩擦の火種を作りながら折衝の末、手に入れた旅のクールダウン。

GWにてハンバーグが3時間待ちとのことで高速に乗り、次はどうしようか、と車を走らせながら会議です。

会議の結果、SAでご飯。浜松エアパークの目立った戦闘機は今回ですべて彼の手中に収められました。

スクランブル発進、要請の可視化です。

着弾。年内お弁当が中旬前には終わり、連日「ラーメン食べたい」と幸楽苑へ行ったりしながら、幼稚園も年内は昨日で終わり、スタジオの撮影も行き、その帰りも幸楽苑。とうとう常連化の証しである「いつもの」で注文するようになり「基準の味その一つになっちゃったよね。将来、ああやってクルマ乗りつけて、幸楽苑来るのかなぁ」と呟けば「その頃には潰れているでしょ」とお気に入りの味なはずなのに手厳しいご意見でした。

タイヤに見とれながらご飯を終えた後は、

グリコ。今思えば大阪を示唆していたのかもしれませんが、

ここからさらに浜名湖SAを堪能する時間となります。

ホテルの無料遊覧船に乗ったにも関わらず、どうしても浜名湖SAから乗れる遊覧船に乗りたいというオーダーに応えてみれば、

これが当たりでした。

わくわくする気持ちが伝わってきながら、

救命胴衣をつけてもらい、

30分という十分な時間、大航海時代の幕開けです。

細やかに解説もしてくれながら、風を感じ、船を楽しみ、浜名湖を感じ、心地よい思い出を作るひととき、という風合いで、次回の機会も選択肢に入れたいアトラクションに思います。

お客様は神様です、という考えや感覚がありますが、

多少スタンスを変えて、しかしほぼ同義と言ってもいいかもしれませんが「お金をもらってやっているプロなんだから、しっかり仕事しろよ」という仕事に対する厳しい態度を若いころは持っていました。敷衍すれば社内幹部にも「高い金払ってんだからしっかりたのむよ」と同じ考え方を押し付けることができそうです。

飲食店やディーラーなど、不満足が大きいものならば「お金を払って不愉快を買ってるわけではない」と叱責モード、しかも全開でした。

それがやがてファミレスで一時間以上待たされても、感謝するようになり、感謝しようね、と子供に教えれるようになり、ちなみに外国へ行けば総じて着丼は遅く、中国でマッサージへ行けば、肩で携帯を挟み電話しながら接客でも、彼の地へいけばそれが当たり前となれば腹も立たず、日本だから立腹モードになりやすく、という経験を通じただけではありませんが、

仮にサービスレベルがかなり低くとも、ルーズな心で構えて、何ら不満に思うこともなくなりましたが、

お客様は神様です理論の下支えは「神様はお金くれねーけど、お客様はお金くれるんだよ、だから神様より有り難いんだよ、大事にしろや」という論調を内在する場合もありますが、

確かにビジネスというものは、お客様がいないと多くの場合成り立ちません。

顧客へ提供する商品またはサービスを一定の品質にしておかないと、競合にお客様を奪われて、閉業や閉店に向かっていきます。お金を稼ぐことは大変であり、お客様も何らかの苦労をして得た経済価値を支払うわけなので、債務の本旨を気持ちよく受け取りたいわけであり、債務の本旨+αも必要になってくるかと思われ、あまりに低品質というのはときに詐欺的行為と言ってもいいかもしれません。

しかしお客様は神様です理論は「こっちは金払ってんだから」と何でも要求することに繋がっていきやすく「金やるから言うこと聞けや」と言っているのに等しく、これは資本主義や市場原理というよりも、拝金主義そのもの、または拝金と親和性が高い理屈であることと考えられる中、

あなたはお金をもらえるのであれば何でもするのですか、という話しになりますが、あるいはお客様になったという契機が根拠だとしても、おそらくは要求者もしくはクレーマーも同じ言われる・受ける立場になれば、お金をもらって何でもするはずもなく、と思われますと思いますの気がします。

生きていくために心肺機能を鍛える本能だと解釈していますのが、これに素直に従う我が子の自由に任せ、登って一気に駆ける、何本も走り

ゴールかと思いきやこのあと肩車登坂までお供して、

見つけたFJも鑑賞しました。

浜名湖SA、なかなかに充実しています。

美味しそうなイチゴも仕入れ、

「しいれって?」売るために買うこと、と教えてみて、

最近は家のお風呂でアイスを食べれば「最高だね」と味をしめています。

名古屋に泊るか、大阪まで一気にいくか、あるいは京都も悪くない、と会議をしながらのドライブ、一気に大阪を目指すことにします。

若い頃は隠れて怠けお金は欲しがる大人に、あるいは抜きに出る努力をせず矛盾に満ち溢れたネットの投影に怒りがふつふつでしたが、段々と変わり、それが世の中であり人間である、と等身大として素直に理解するようになり、

もしくは、給与が上がるように能力も引き上げる努力をし「階段登りたいなら、お前も変われ」と強要し、できる価値観を身に着けろと押し付けて、一方で安い給与でこき使ってやろう、という気持ちもありましたが、

お客様など立場は関係なく人は皆対等であり、尊厳が一人ひとりあり、コンビニでレジをしてくれることも当たり前ではなくと体や心で思うようになり、あるいは皆苦労して、正確に言えばその本人なりに精一杯生き、エネルギーが満ち溢れないときはない常にフル充電な若いときは気づきもしませんでしたが気力に体力限界ギリギリで生きている人もいて、

常に環境変化があり変動的なので、100%は出来ていないと思いますが、今は「正直、非常識な水準だと思います」と若い方から具申される水準な「少しでもよい待遇で、仕事も裁量制でつまり出勤も退勤も仕事量も自分で調整でき、私用の用事も好きに入れてよく、かと言って他の社員氏という十分な人手も用意し、アルバイトにお願いして楽をしてもよく、一人ひとりの負荷は最小限に」という方向で、マインドとしては「働いて下さる方を大切に、大切にさせて頂きます」ということを土台にデザインし、運用していると、

ある日、面白いことに気が付きました。

会社というものは、成長の場である、と若い頃は考え、社員同士は同じ釜の飯を食う戦友であり今の時代は会社での人間関係が歪み湾曲し薄弱でストレスの権化となっている中に、見方を変えて厚い絆で結ばれるべきであるとも考えていましたが、

この点も改説し、いや根本的に感覚も変わり、会社または仕事は単に給与というお金を得るところであり、仮にまたは個別に成長を望む場合でもそれは二の次以下である、という感覚で、会社としては「お金を得て頂く場」という感覚に特化していいのではないか、と考えるとそれ以上望まなくなり、

例えば、若い方から誘われればいきますが、そうでない限り、飲みもなし、強制の空気もなし、誘いもなし、たまの交流会もありましたが、人が増えてきたので年に一度2時間の忘年会だけとして、なぜならば戦友ではなく、単なる相互にそれぞれの事情や状況で、この会社に単に生きていくためのお金を得にきており、できれば余裕を持ちたく、そのできればも満たし、業務負荷も少ないので、時間や疲労の余裕を持って生きてもらい、

他方で10年20年30年先と生きていかねばならないので、その点はしっかりと利益を出して社を存続させていきますのでご安心下さい、というスタンスで経営をしていると、

若い方達は「前の会社では考えられなかった」と自ら土曜、祝日、家にいてもしかたないので、仕事したい、結婚する前のほうが自由に仕事できるのでもっとしたい、そうして今のうちに自分の人生の土台となっていく会社を少しでも盤石化していきたい、成長したいという心の声が聞こえてきそうなときもあり、

まだまだ余裕なのでもっと仕事振ってください、なんでもやります、という声が届くようになった女性社員氏もいてくれたり、

依頼せずとも、データを集め、分析を重ね、次の一手を毎日のように提案もしてくれたり、

私もそうですが、あまりに暇でも人生辛いので、

働かずしてお金を得たい、安心を得たい、保証を得たい、のではなく、

やっぱり人は働いていたいものであり、それが適度であればそのような本能も自然と芽生えてくるものである、という印象を持つようになりました。正確にいえば、そう自然と思える環境を整えていくことが働く方々にとっても、会社にとっても、大切なのではないかと考えるように、いや感じるようになりました。

この先どうまた感覚が変わっていくのか分かりませんが、この状態を整えていかに維持していくかは難しい論点かとも思いつつ、少なくとも若い頃からのような、

強引な押しつけ型、型入れ方式では、今のような「人は働きたい」という機微の顕れに気づくことはなかったように思います。

「伊丹にいこう」と我が子鶴の一声で大阪に着きました。

さらに「こっちまで来ちゃったね」の声に時刻をみれば19:30。

最終までまだ間に合う、行ってみよう、と強行軍してみれば見えてきました。

どうやら近場に駐車場も出来たみたいで、これは子連れにもかなり助かります。

そして聖地につきました。

轟音の降臨を体で感じて、

いざ、夜の千里川土手へ、

ルンルンの気持ちで最終アプローチ向かいます。

今日のカメラフォト。