
1938年5月26日 ドイツ ニーダーザクセン州の
ミッテルラント運河近くの広大な荒地で
盛大な起工式が行なわれ一人の男が、
誇らしげに演説を行いました。
「ドイツ国民のための全く新しい小型乗用車は、
ポルシェ博士ら優れた技術者の英知と努力とによってここに完成した」
そしてこの時、一台の車が、この男により命名されました。
「KdF-Wagen」(KdFワーゲン)
後々までドイツを代表する一台『VWビートル』です。
そして、この車の命名者は、アドルフ・ヒトラーでした。
1933年2月11日、ベルリンで「モーターショー」で
その開幕式でヒトラーは「国家を真に支えている多くの国民大衆のための
自動車であってこそ、文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれる。
我々は今こそ『国民のための車』を持つべきである」と演説
「国民車(フォルクスワーゲン)計画」が開始されました。
設計をボヘミア出身で電気自動車や電気とガソリンの混合動力車、
ダイムラー社で伝説のスポーツカー、メルセデスSS、SSKなどを開発していた
フェルディナント・ポルシェ博士に依頼します。
作業は急ピッチに進められ1938年ニーダーザクセン州に
生産台数80~100万台を目標とする大工場の起工式が行なわれます
「KdFワーゲン」は、国威を誇示する意味から、国内外のマスコミに披露され
販売のためのカタログやポスターが大量に作られ、大々的なプローモーション
が行なわ一般大衆に広くアピールされましたが、翌1939年9月、戦争に突入
当初の予定を変更し、生産工場では「KdFワーゲン」をベースとした「軍用小型車」
(キューベルワーゲンやシュビムワーゲン)が製造されることとなります。
そして、戦後すぐに生産が再開され、『VWビートル』は爆発的な人気で
誰もが知る車として世界を制覇することとなります。
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Posted at
2010/05/26 22:25:09