
数え切れない命を奪った二つの大震災
「1・17と3・11」
1995年1月17日 午前5 時46分に発生した
阪神・淡路大震災から丸18年が過ぎた・・・・
ニュースを見ながら・・・
もう18年経ったんだ・・・
と改めて考える・・・・
3・11東日本大震災から、もうすぐ2年。
改めて思うこと。、”忘れられないコト”
時間が過ぎていくなかで、「1・17と3・11」
「地震大国日本」
私たちは決して忘れてはいけない。
今日行なわれた追悼のつどいには、
東日本大震災で被災した
東北の人たちも参列し、ふたつの大震災の犠牲者に
祈りを捧げている・・・・・
改めて優しさやあたたかい思いが伝わってきた
先日の事・・・・
今年のセンバツ高校野球大会の開会式の入場行進曲はに
東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」が選ばれた
「花は咲く」は、東日本大震災の被災地の
復興を応援するテーマソングとして、
震災から1年後の去年3月に制作された曲だ
行進曲となると・・・ちょっとテンポが難しいのでは
という疑問符はあるものの
阪神・淡路大震災の被災地でもある
甲子園球場で、この曲が流れるのは良い事だと思う。
誰かが誰かを思いやる心、この曲を通して
お互いの辛い経験を語り続けながら、希望を持って
少しずつでも未来へと歩いていければと・・・・思う。
「教訓、次世代に」 記憶の風化や経済振興に課題も
6434人の犠牲者を出した阪神大震災は17日で丸18年を迎え、兵庫県を中心に各地で追悼と鎮魂の祈りがささげられる。東日本大震災では、被災者支援など阪神で得た経験が生かされたが、いまなお多くの課題が残っている。
阪神大震災の被災地が時間とともに直面する課題の一つが“記憶の風化”だ。昨年11月現在、神戸市民の震災未経験者は41%(前年同期比2ポイント増)に上る。
こうした事態を受け、県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」は同日公表した今年の「1・17ひょうご安全の日宣言」の中で、南海トラフ巨大地震など次の災害に備え、阪神の教訓を次世代に伝えていくことを訴えた。
16日夕には、兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園で犠牲者の数と同じ6434本のろうそくを灯す「追悼のつどい」(ユー・アイ・アソシエーション主催)が行われた。厳しい冷え込みの中、約400人が暗闇にゆらめく火を囲み、黙とうをささげた。市立南中学校2年、遠山奈々美さん(14)は「多くの人が亡くなった阪神大震災は忘れてはならない。安らかに眠っていただけるよう祈った」と手を合わせた。
17日には神戸市中央区の公園「東遊園地」で、発生時刻の午前5時46分に合わせ、「1・17」の形に並べた竹灯籠の周囲で市民が黙とうし、遺族代表の女性が追悼の言葉を述べる。昨年に引き続き、東日本大震災が発生した午後2時46分にも黙とうをささげるという。
2013.1.16 21:13 産経ニュース WEST配信
阪神大震災18年:背負った苦しみ、分かち合い
神戸に生き、東北を思う
6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から丸18年の朝を迎えた。多くの人生を一瞬で変えた午前5時46分、被災地は鎮魂の祈りに包まれ、失われた命と、生き抜いてきた年月に思いをはせた。11年3月に起きた東日本大震災では、関連死を含む死者・行方不明者が2万人を超えた。阪神大震災の被災者は、18年たっても心身に癒えない傷を抱えている。だからこそ、ともに支え合って笑顔を取り戻したい。近い将来には、南海トラフ巨大地震の発生が懸念される。悲しみを繰り返さないため、大きな犠牲を強いられた震災から教訓を学び取り、命を守る次への備えに生かしたい。
◇学び備える
神戸市中央区の東遊園地では、同市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」があり、東日本大震災の被災者も含め約5000人(午前7時現在)が訪れた。「1・17」の形に並べた竹灯籠(とうろう)約7000本に火がともされ、参列者は午前5時46分の時報と同時に一斉に黙とうをささげた。
神戸市灘区の主婦、竹場典子さん(47)はあの時、1月9日に生まれたばかりの長男に自宅2階で授乳していた。激しい振動で自宅はつぶれ、母と1歳2カ月の長女を亡くした。「『助けて』という声を何度も聞いたが、どうすることもできなかった」。長女が生きていれば今年、成人式だった。「華やかな振り袖姿を見てみたかった」。ろうそくの前で黙とうすると、涙があふれた。
「母と兄の死を認めたくないんです」。同市須磨区の納(おさめ)みよしさん(75)は言葉を絞り出した。震災当日の夜、同市兵庫区の実家に駆け付けた。家は半壊で、母・荒川スミさん(当時90歳)と兄・荒川信夫さん(同60歳)は無事だった。2人はみよしさんの慌てた様子をみて「こんな遅くに何しに来たの」と逆に驚いた。安心して帰った翌日、警察から電話があった。「火事で2人が亡くなりました」。漏電が原因だったと後で知った。震災10年以降、ようやくつどいに参加できるようになったが、心の整理はつかないままだ。
犠牲者の名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前では、震災で弟を亡くした歌手、森祐理(ゆり)さんが復興応援歌「しあわせ運べるように」を独唱。10歳だった長女を亡くした藤本圭子さん(55)=同市東灘区=が遺族を代表してあいさつした。.
毎日新聞 2013年01月17日 大阪夕刊配信
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阪神淡路大震災 | 日記
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2013/01/18 00:49:35