5月13日に行われました
122th仙台・泉ヶ岳ミーティング(イッズミー)
参加車両のご紹介は・・・
本日がラストになります。
宜しければ、ご覧ください。<(_ _)>
さて・・・
5月20日は・・・
河合奈保子さんが不慮の事故で
第一腰椎圧迫骨折の重傷を負い、
40日以上の入院・闘病生活から
復帰する迄を綴ったエッセイ
わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ が、
1981年のNHKホールの転落事故から2年後
多忙な日々から、気持ちの整理がついたと思われる
1983年にワニブックスより出版されました。
不慮の事故とは言え・・・
2ヶ月に渡る入院と療養は
この当時、新曲を季節ごとにリリースする、
いわゆる3ヶ月ローテーションという暗黙の決まりの中で
活動していた奈保子さんには、「ムーンライトキッス」のプロモーションは
頓挫を余儀なくされ、新曲のレコーディングも足踏みと
決して望ましくない状態となってしまった事実は変えられず。
今となっては、考えられませんが
こうした最中でも会社としても
人気も上々でヒットを連発していた奈保子さんを、
完全休養をさせる訳にもいかなかったのか
雑誌取材など多くの仕事が、持ち込まれ・・・
エッセイの中では、大好きな音楽世界での仕事に対して
奈保子さんの生真面目な姿勢と責任感が人一倍強い
姿勢をうかがう事が出来ますが・・・その事が、痛々しく感じられます。
1981年11月30日の『夜のヒットスタジオ』において
新曲「ラブレター」で腰にコルセットを巻きながら、
奈保子さんは、歌番組に復帰するのですが
奈保子さんの真剣に歌い上げる切迫感
緊張感が、TVを通してお茶の間に伝え
いつにない感動を与えてくれました。
それゆえに・・・この当時を知る世代にとっては
奈保子さんの歌いあげた多くの楽曲の中で
「ラブレター」に対して特別な思い入れを持つ方は
結構いらっしゃると思います。
それにしても・・・完全な安静を必要としている
怪我が完全治癒していないのに、
ローテーションを変えることなくシングルリリースしてしまう、
当時のTHE 芸能界システムは・・・・壮絶だと感じます。
という事で・・・・今宵の奈保子さん動画は
1981年3月7日放送のTBSラジオ
MC 金田賢一さん 河合奈保子さんで
「賢一・奈保子のSounds with Coke(サウンズ・ウィズ・コーク)」
ゲストは・・・デビュー10周年を迎えた、西城秀樹さんと
奈保子さんとは、同期の三原順子さん
TVスタジオライブ 「エスカレーション」→「ラブレター」→「コントロール」→
「けんかをやめて」→「オリビアを聴きながら」→「唇のプライバシー」
※わたぼうし翔んだ(奈保子さんの闘病スケッチ)の話を
6分35秒位から、奈保子さんが語られております。
そして・・・
1981年11月30日の『夜のヒットスタジオ』 復帰「ラブレター」
#NAOKOfanmeeting
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Posted at
2018/05/20 22:59:08