
一昨日8月7日元俳優の中島春雄氏が亡くなりました、享年88歳。
と書いても、ほとんどの人は「誰、それ?」でしょうが、彼の姿(仕事中の)はほとんどの人が目にしていることでしょう。
それは、

怪獣ゴジラのスーツアクターです。
日本を代表する特撮映画として世界的にも知られるゴジラシリーズですが、そのゴジラの着ぐるみの中に入って演技をした人です。当時はそんなかっこいい呼称は無くて吹き替えと言っていました。
日本に於ける特撮の神と呼ばれる円谷英二氏(ウルトラマンを生み出した円谷プロの開祖)が、最初に製作した特撮怪獣映画がこのゴジラです。
それまで大部屋俳優だった中島氏は、円谷氏に見出されゴジラの初代のスーツアクターとして、1954年「ゴジラ」から1972年「ゴジラ対ガイガン」までの12作品を演じました。
各時代の作品で多少違いがあるものの、ゴジラは古代から現代まで海底で密かに生き延びていた恐竜(怪物)が、水爆実験の影響で安住の地を追われて、地上に出現し破壊の限りを尽くす、というのが基本の設定です。
怪獣という巨大生物が街を破壊するというシーンは特撮でのお約束ですが、それまでは人形を使用してコマ送りで撮影した画像を繋げてアニメーション的に製作されていたものです。

代表例は1933年アメリカ映画のキング・コングです。しかしこれは手間と時間が莫大に掛かって、コストも高いという手法でした。
それを着ぐるみを来た人間がミニチュアで作って再現したセット内で演技するという方式に改めたのが、円谷氏です。
主役のゴジラは恐竜に近い怪獣という格好になったのですが、それまで存在しない生物なのでどんな動きをするのか誰にも分かりません。
そのため、中島氏は動物園に通って動物の動きを観察して演技の参考にしたというのは、ファンの中ではよく知られています。
しかしゴジラスーツは操演ギミックを搭載して100kg以上あるので、着て歩くだけでもかなりの肉体労働。しかも着たまま水中で他の怪獣と格闘とか、着たままで宙吊りになってワイヤーアクションをするとか、常人にはとても不可能な想像を絶する大変な仕事です。
トラブルも当然あって、プールの中で溺れかけたり、ワイヤーロープが切れて落下したりとかもあったそうです。
今ではCGがあるのでそういう危険は少ないのでしょうが、実際の立ち回りを重視して、いかにリアルな生物に見せるかにこだわった点が、先駆者としての業績だと私は思います。
ゴジラを降板した後の後半生は、余りよい境遇ではなかったようですが、アメリカではミスターゴジラこそ中島氏であるとの定評で、晩年のファンイベントでも人気を博していました。
ところで、プロフィールに書いたように私が最初に映画館で観たのは、

1964年のモスラ対ゴジラでした。
何分幼かったので、ザ・ピーナッツの「もすらーや、もすらー」の歌が一番印象に残っている程度ですが、ゴジラは怖いというトラウマも植えつけられました。
その後観たガメラ対ギャオス(1967年)もギャオスが人間を捕食するいう描写などがかなり怖くて、特撮物を落ち着いて観れるようになったのは小学校6年位になってからでした。
特撮物を子供騙しと軽蔑する人もいますが、ゴジラシリーズについては(1970年代には一部怪しいのもあるが)時代背景に即した教訓があったり、製作意図に共感出来る要素が多いです。
子供向けであっても、円谷氏や中島氏が手を抜かずに真摯な態度で製作したゴジラシリーズは、50年以上経っても私はファンです。
中島氏のご冥福をお祈りします。
このブログは、
ゴジラ1954-1999超全集 小学館2000年発行
を参考に、一部写真は転載しました。
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Posted at
2017/08/09 00:50:05