4月16日のブログには、暖かいお祝いのコメントを頂きありがとうございました。
おかげさまでお友達も100人を超え、みなさんと楽しくみんカラが出来る事を嬉しく思います。
そして、今日4月19日私は誕生日を迎えました。
まあ、歳をとるのがあまり嬉しいと感じることもありませんが。いや、ちょっとは嬉しいかな。
幼い頃よりクルマのおもちゃ以外は見向きもしなかったという、当時よりカーマニアな私ですが、この機会に自分の原体験を語ってみようということで、ステップワゴンのネタではありませんし、長文なので別にスルーしてもらっても結構です。
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マツダクーペR360、東洋工業(現マツダ)が初めて発売した4輪乗用車です。
マツダの創業は20世紀始めにまで遡りますが1950年代終わりまではずっと3輪車を生産していました。今でもごくごく稀に材木屋さんが使っているのを見掛ける3輪トラックTシリーズがそうです。
1960年4月、R360クーペ(以下クーペ)は、先輩格の名車スバル360よりもはるかに安い30万円という価格で発売されました。
当時の軽自動車は、360CCエンジンで大きさも現在の軽自動車よりもふたまわり程小さな規格でしたが、スズライトフロンテ360とスバル360を除いて「何とか動くおもちゃ」程度の代物でした。
クーペは360CCという非力なエンジンをカバーしようと、2+2のリヤエンジンリヤドライブのクーペタイプのデザイン、ボンネットやエンジンフード、その他外装パーツにアルミを多用し(但し初期型のみ)、リヤウィンドーはアクリル製、エンジンは4サイクル空冷Vツインでドライサンプ、タペットカバーやオイルパンはマグネシウム合金、サスペンションも4輪独立懸架、マニュアルミッションは4速フロアシフト、国産車2番目というトルクコンバーター式オートマチックミッションもあるという、当時としてはかなり凝った軽量化で車重わずか380kgでした。
価格の安さ(でも現代の貨幣価値からすると300万円くらいか)で、マイカーを求めるサラリーマンにも何とか手が届く存在になり、1962年にキャロルが登場するまでかなりの人気を博しました。
電気技術者だった父は当時自転車通勤でした。しかしメカマニアである父がクルマに注目しないはずがなく、我が家にやって来たのが1960年式クーペで、1962年10月のことでした。
ボディカラーはマローンルージュで、ちょうどソリッドカラーながらバスクレッドパールを彷彿させる赤茶色です。
2年落ちの中古でしたが格安だったのは、フロント回りをクラッシュした事故車だったからです。実際フロントパネルなどは再塗装の跡が見え見えで、しかもボンネットのチリは狂ったままでした。
それでも、クルマがある家などかなり珍しかった時代です。さっそく母がシートカバーとリヤウインドー用にレースのカーテンを作りました。ハンドルカバーはボディ同色の赤、標準でなかったラジオは後付でフロントフェンダーに穴を開けて電動アンテナを付けていました。
写真では小さくて分かりづらいですが、ワイパー下にある室内エアインテークダクトには、雨でも外気導入できるように父がアクリル板を加工してバイザーを自作していました。フロントガラス下にある黄緑色の物体がそれです。
しかし、まだ自動車=故障という時代なので、クーペもあちこち壊れました。
当時はオーナードライバーならば、路上で立往生しても自力で修理すること余儀なくされたものですが、ドライブシャフトのジョイントが壊れて走行不能になったときは、1日掛かりで父母2人でエンジンを降ろしてドライブシャフトを取り外し、ジョイントを交換していました。
空冷Vツインエンジンなので、2人ならば何とか持ち上げることが出来てしまうのです。夏の暑い日でしたが、私はずっとその作業をながめていた記憶があります。
4年あまり我が家にいたクーペですが、家族4人で初詣に行き隣県の成○山の入口の急坂をセカンドギヤで登ろうとしたらエンストしてしまいました。原因がクラッチなのかエンジン自体だったのかは判明しませんでしたが、2+2の非力なクーペでは次第に成長した私と妹を乗せるには荷が重かったのは間違いありません。
くたびれたクーペに別れを告げ、リヤエンジンリヤドライブながら全く違うエンジンを載せたスズキフロンテ360デラックスがやって来たのは、わずか25日後でした。
そして2009年の今、クーペは絶滅したわけではありませんが、50年近く前の車ですので路上で見ることはほとんどありません。石川の日本自動車博物館や、愛知のトヨタ博物館には展示してありますが。
個人所有もありますが、16PSではとても現代の交通事情に付いていけないので、オブジェと化していることが多いです。
実動されているのは、
このご兄弟 以外に数台らしいです。
オーナーズクラブの代表である彼らとは、会報誌の初版を1994年に購入して以来お付き合いがあります。
その会報誌を含むクーペのフォトギャラリーは
こちらです。
3mX1.3mX1.3mと、今の目線で見ると本当にちっぽけなクルマです。
それでも私の家族にマイカーの夢を与え、私がカーマニアとなる基礎を作ってくれたR360クーペ、これほど懐かしいクルマはありません。
Posted at 2009/04/19 02:00:00 | |
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