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CatDogのブログ一覧

2015年10月08日 イイね!

世界遺産「白川郷」を行く 雨の上高地の翌日 は食当たりで・・

世界遺産「白川郷」を行く 雨の上高地の翌日 は食当たりで・・上高地の翌日。
朝は飛騨高山の見物だが私は観光バスの中。

前夜の夕食後に急な腹痛だった。
子供の頃、ちらした事のある盲腸の痛みのようだった。

脂汗が出て来た。これ以上痛むなら救急車と思ったが
幸いそれ以上は酷くならず、さりとて和らぐ訳でもなく
結局、一睡も出来ず朝を迎えた。


全く食欲もなく朝食も摂れずバスに横たわる。
この後の白川郷を見学したい一心で回復に努める。

この頃になると前夜痛んだ腹部は、全体的に膨満感でパンパン。
胃部は、痙攣したように痛んでいた。
どうやら、不調の正体が見えて来た。

この後、多分発熱するだろう。既に発熱しているかも・・・。
何とか高熱になる前に、白川郷を見学したい。

私の地元川越にも似た飛騨高山の街を後にして、バスは白川郷を目指した。


ここから白川郷は、80Km近くある。昼前にようやく白川郷到着。
広い駐車場も、観光バスで一杯だった。
帰る日に天候が回復すると言う、いつもの旅行パターンと今回もなりました。




友人が、以前来た事があると言うので案内してくれた。

ひとりでは、あの高台から白川郷を見下ろす事は出来なかったろう。
友人に感謝である。

体調不良で、私の最高時速は2Km/h に低下。
しかし、同体格の友人は歩くのが遅く、一緒に歩くには丁度良い速度だった。




駐車場内にある食堂・土産物屋も全て合掌造り。
昔からあるのか、それ用に建てられたのかは不明である。

下は土産物屋の様子。



村の神社の鐘楼。ここで一休み。気温がぐんぐん上がってきた。


ここから白川郷のメインストリートを歩く。
カメラを構えると、友人がこっちで撮影した方がアングルが良いと道の向こうから
手招きする。無視して撮影する。これがなければ良い男なのだが・・。
そう言う自分の写真は、とんでもないアングルなのに・・(笑)。

今回の写真では、タイトル写真と下記(両方共、無修正)が、最もお気に入りなのだ。
秋のうろこ雲・黄金色の稲穂のコントラストが素晴らしい。
やはり、写真には青空が良く似合う。




色んな形の合掌造りがあるが、屋根の角度は共通だ。冬の豪雪ぶりが伺える。
5分ごとに休憩しながら、そろりそろりと歩いた。





同じ合掌造りでも、国指定の重要文化財と県指定のものに分れる。
黄金の稲穂の田、風にそよぐコスモス。心安らぐ日本の原風景である。





さほど、大きな集落ではない。ゆっくりでも、20分も歩けば集落の端に出た。
ここから、友人お勧めの見晴らしの山にシャトルバスで登る事に。
気温は、既に30度近い。大汗が噴き出す。昨日の上高地とは偉い違いだ。

下写真が、山からの集落の眺望である。


江戸の昔にタイムスリップしたような世界だった。
路行く人の急ぎ足も、自然とゆっくりになる。




見晴らし台で、この日唯一の食事となったソフトクリームを食べた。美味しかった。

今回を逃せば、二度と来る事はないとわかっているから必死で歩いた。

白川郷を微速歩行ながら回遊出来た。他のツアー客にも迷惑をかけないで済んだ。

こうしてバスは帰路に着く。友人にも感謝した。


まさに人生は一期一会なのだ と言う事を痛感した旅でもあった。


*松本まで往復した振り子特急スーパーあずさ。
松本-八王子2時間と、車よりは大分早い。ネットより借りました。

松本を立ったのは、もう日没後。自宅には深夜着。
やはり、その晩から高熱。以後、3日間の記憶がない。今思えば、良く帰れたものだった。

急性胃腸炎。胃と腸が、別々になった事はあるが同時発症は初めてだった。
現在も治療中だが、ほぼ回復したようだ。

大雨と胃腸炎と散々だったが、それでも思い出深い良い旅にもなった。

 


*追加写真 
左は歩く友人。若い頃は、裕次郎と言われた位の男前だ。この日は、お世話になりました。
右は池と言うか、用水路があるお宅の庭先。ミニ水車で何か挽いていた。
写真を拡大すれば、澄んだ水にも驚きだ。廊下も懐かしい。

2023.11 追記 上高地の帰り、つまり白川郷の前日に宿泊したホテルの夕食途中、
それは起こった。子供の頃の、記憶にある盲腸の痛みのようだった。
脂汗をかきながらベッドに横たわり、これ以上酷くなったら救急車を呼んで貰おう。
と思いながら、遂に痛みで一睡も出来なかった。
食当たりは、自分だけだったから、ホテルの食事ではなく、その前の上高地で食べた
おにぎりが原因だろう。上高地の売店で、自分だけが食べたのはこれだ。
帰宅したのは当日深夜。そして発熱。すぐ床に入り、3日間起きられなかった。
動けないので、病院に行ったのは、熱も引いた4日後だった。細菌性の急性胃腸炎だった。

高山市の朝市は見られなかったが、白川郷は何とか見られた。他の客にも、迷惑は
掛けずに済んだので良かった。気遣ってくれた友人・添乗員には感謝している。
今でも、この時の痛みを思い出す。忘れられない旅だった。
ホテルのご馳走が夕食半分・朝食食べられずが唯一の心残りだ(笑)。

Posted at 2023/11/12 05:22:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鐡道・バス・飛行機の旅 | 日記
2015年10月04日 イイね!

上高地の秋  霧雨の中の大正池から河童橋まで

上高地の秋  霧雨の中の大正池から河童橋まで憧れの観光地は殆ど雨。
今回は最初の上高地訪問を紹介します。


秋の上高地を歩いてきました。
函館に続き、またもや雨の中でした(泣)。
だが、本当の泣きはこれではなかった。

西洋の諺に曰く。ナポリを見てから死ね。



日本では「日光を見るまで結構と言うな。」 と言う諺に相当するものだ。

私にとってのナポリは、上高地なのである。

マイカー規制を知らず現地で足止めを喰らい、それから20年以上が経った・・・。

シルバーウイーク後、ようやく念願を果たす事が出来た。
今回は、電車とバスの旅だった。




途中のダム湖そばにある道の駅。平日で雨なのに大勢の客で賑わっていた。
*友人が買ったワサビメンチを頂く。美味しかった。
奥に行くほど、物価は高騰していった。ここで1枚200円のメンチが、上高地では450円に。

そして、マイカーでは入れない山道を進む。隧道の連続であった。
*1975年 環境保護の為、マイカー規制が日本で最初に行われた地である。

大正池に着いた。ここから河童橋まで雨の中のハイキングとなる。
河童橋までは約7Kmの道のりである。

以前、雑誌で見た大正池とは印象が異なったのは、水面に出ている樹が雑誌で見た
頃より、少なくなったせいかも知れない。



*雨にけぶる大正池 あと数十年で、池自体が消滅するらしい。

すたこらと歩く友人。奥様には、なるべく長く連れ出してくれと、いつも頼まれる。

何故かって? 一緒だと、あーしろ・こーしろ と、結構小うるさい(笑)のである。
カメラも持っていないのに、私が撮影していると、そこはアングルが悪いとか小うるさい
事、この上ない。*ちなみにカメラには全くの素人。

うるさいと言っても言うのを止めない。今回は、先に行ってもらった。



こんな感じの山道を進んで行く。湿原も随所に見られた。

*標識右のウェストンとは、上高地を世界に紹介した人である。
因みに上高地の語源は、神降地(神が降り立った地)と言われる。




色づく湿原。平野部では見られない紅葉の色合いである。
この辺りの標高は1500m程。 気温は12度程度だった。

大汗かきの私だが、上着を羽織っても汗はかかなかった。
歩くには、自分にとって丁度良い気温である。



1時間15分程歩いた後は、梓川に出て以後は川沿いに歩く。
途中には立派なホテルが建っている。帝国ホテルやプリンスホテルもある。




大正池から歩く事、二時間近く。ついにあの河童橋が見えて来た。

しかし、今日はかなりの雨。観光雑誌のような風景とはいかない。



上が観光雑誌の写真。3000m級の奥穂高連峰。下が当日の写真。 


しかし、この梓川の澄み切った水・・・。
かなりの雨なのに、水はあくまで透明だ。川底が透けて見える。



*追加写真

昨晩も、この場所をNHKで放映していた。
出演者が「こんなきれいな水は初めて見た。」と言ったが、まさに同感である。


宝石のような水の流れである。

長い時間歩いたが、美しい自然の中では、時間の長さも疲れも感じなかった。
ともかくも、念願の上高地を散策する事が出来た。。




河童橋の様子。明治初期に初代が架けられ現在は、5代目だそうだ。

ここで雨が更に強くなり、傘を差してもカメラが濡れる。雨を拭っていたタオルも紛失。
これ以上、カメラを濡らすと故障の危険がある。撮影は、ここで中止した。
*今回は主砲のデジイチを、望遠レンズと共に持参しようと思ったが、荷物が多く
 結局いつものニコンP340となりました。

それにしても良く歩いた。寄り道も足すと10Kmは歩いただろう。

下は河童橋傍の案内所にあった日本の高山。ご参考に。




しかし、もう午後2時だと言うのに、お腹も空かない。
不思議だが、これがあの予兆だった。
おにぎり二個を買って食べた。食事も楽しみだったのだが・・。

これから安房トンネルを越えて飛騨高山で一泊。
明日は、世界遺産「白川郷」の散策である。

普段泊まれぬような良いホテルで、ゆっくりと温泉に浸かる。

そして夕食だ。飛騨牛も出たが、陶板焼きなのにシャブシャブ用の薄さが数切れ。
ツアーだから仕方ないか。

が、この後大変な事に・・・。



*追加写真 クリックで拡大出来ます。


2023.11.11 追記 この後、2018年に再訪 やっと快晴に恵まれた。
河童橋付近から見る夢のような景色。



山小屋と明神岳 


この翌日は白川郷へ。待望の晴れだったが、文中の大変な事は食当たりで動けず。
帰宅後1週間静養していた。白川郷の様子は、この次にあります。
Posted at 2023/11/11 08:39:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鐡道・バス・飛行機の旅 | 日記
2015年05月17日 イイね!

函館行 エピローグ

函館行 エピローグ旅のエピローグ(終章・あと書き)を、ここに記します。
1.飛行機  色々あったボーイング787-8型だった。

機体は炭素繊維複合材で、軽量かつ強度が高いもの。
部材の三割以上を日本が製造しているのだ。

タイトル写真は、離陸する同型のANA機。
自分が乗ったのは、JAL機である。

全長 56.7m、翼長 60.1m  座席数最大250席の中型機で主に国内線向けだが、
航続距離は15,700 Kmもあり、国際線も可能である。実際に米国行も就航している。

最高速度は、マッハ 0.85 時速に直すと 1,041km の快速機である。
こんな大きな機体が、音速近くで飛べるなんて人間は凄いものを創る とぞ思う。



機内の様子。2-3-2で、横一列に7人が座れる。客室乗務員は4人もいた。
通路は、真ん中3列シートの両脇にそれぞれある。

足元は以前の機体に較べて少しゆとりが出来た。幅は、ギリギリサイズだ。
格安航空の席は、より多くの乗客を乗せる為、更に狭くなっているらしい。

出入口は緊急時を除き1か所なので、降りる時は最大で15分位かかるだろう。



*巡航高度1万メートルの世界。最大で1万3千メートルまで飛行可能だ。
宇宙までもうすぐ?


2.中国パワー  その勢いを観光地に見た。

反日教育を受けてきた中国本土の人々が日本観光から帰ると、殆どが親日に変るそうだ。
聞くと見るでは大違いと、彼らは口を揃えると言う。嬉しい事である。

治安の良さ、駅のトイレに代表される清潔さ、日本人のマナーの良さに皆、感服すると言う。

中には中国の悪質観光業者の激安ツアーにつられて来日し、旅行代金の数倍の土産物
(殆どが中国製粗悪品。中国人経営の悪質観光業者提携の店で)を、買わされて日本の
印象を、更に悪くする旅行者も結構いると聞く。

それら悪質業者は、次第に淘汰されていくだろうし、そう願う。




彼らが喧嘩するような大声で喋りまくるのには閉口する時もあるが、こんな光景も目にした。

土産物屋で、大きなカニを手にして記念写真を撮っていた女性たちは、撮影が終わると
店の人にカニを返して、何回も頭を下げてお礼を言っていた。


好感が持てる光景であった。

日本のGDPが中国に抜かれたのは最近と思っていたら、その差は既に2倍に拡大している。

中国がGDPで米国を抜くのも、もはや時間の問題だろう。

日本を訪問する外人観光客の消費は、昨年2兆円に達した。
うち中国人の消費が最も大きいのだ。



*中国人好み?の色使いの大型観光バス。

日本の生きる道は、最先端技術の開発と言う事は周知されている。
しかし、観光客の増加も同じように今の日本には大事なのである。

香港人のファツション・文化の発信地は、「TOKYO」 なのであります。
どんどん日本に来て欲しい。


観光して、日本の良さを中国全土に広めてもらいたいものだ。


3.雄大な風景 

道は狭く、どこへ行っても渋滞(除.林道)の埼玉県とは大違い。道は広く、渋滞もない。

今回は、北海道のほんの玄関口への訪問だったが、当地との違いは歴然であった。



*八ヶ岳を望む長野県富士見町・原村の景色にも似た大沼に向かう沿線風景。


*海と山が隣接する風光明媚な函館。横浜にも似る。帰るこの日だけ晴れた。


*大沼周遊観光船 110人乗り 雨の中の周遊で、駒ケ岳は見えず残念だった。

*湖には128もの小島が点在している。新日本三景の大沼国定公園。

雄大な景色と、素晴らしい温泉。
中国の方が多い中の観光で、異次元の世界を満喫出来ました。

お読みくださりありがとうございました。
前・後編は、この前に並んでいます。
Posted at 2015/05/17 17:34:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鐡道・バス・飛行機の旅 | 日記
2015年05月16日 イイね!

函館へ 後編・大沼国定公園 ー新日本三景 (写真差替・追加)

函館へ 後編・大沼国定公園 ー新日本三景 (写真差替・追加)宿泊したホテルは、高級ではないものの数百人が
泊まれる大規模ホテルだった。

ここでも、宿泊は中国人ツアー御一行様だ。
ホテル内は、中国語が飛び交っていた。

しかし、日本人が少ない為に良い事もあった。
Do you understand me?



答えは、中国人は日本人程・風呂好きではないので、温泉はガラガラだった事だ。

滞在中延べ6-7回程、入ったが広い大浴場は、毎回ほぼ貸切状態だった。
身体の芯まで暖まる良い温泉に、ゆったりと入る事が出来たのは良かった。

日本人は、世界一の風呂・温泉好きである。

さて、函館駅からローカル線に乗り大沼公園駅に向かう。電車写真は途中駅にて。


二両連結の車内は、ご覧の通りガラガラであった。

30分ほどで目指す大沼公園駅に到着した。雨が降って来た。
車もワイパーOnである。



公園前の食堂で、昼食を取り傘を買った。少し歩くと大沼に出る。

そこに数台の大型バスが到着。
またもや、中国人ツアー客である。朝市からずっと行先が一緒のようだ。

8分程で大沼に出た。この遊覧船で、大沼・小沼を周遊するのだ。
小雨の中を出発 ! ツアー客は乗って来ない。
乗客は、我々も入れて5人である。100人が乗れる船なので、ゆったりできた。




大沼は、駒ケ岳が大古の昔の噴火で出来た堰止湖である。隣の小沼と繋がっている。
沼となっているが、実際は大きな湖である。湖には、128個もの小島がある。


*所々に碑のようなものが立っている。


*小・松島と言う光景である。


上写真の湖前方に、駒ヶ岳(1131m)を望む絶景なのだが残念である。


本来の姿は、下の写真なのだ。*ネットからやむなく借りました。


*昭和4年に我が国で20世紀最大の大噴火を起こした駒ヶ岳。
メイン写真が、借り物とは情けないが雨では仕方ない。それにしても美しい写真だ。


日本三景は、江戸時代から松島・天橋立・厳島と言われている。
だが、大正時代になり投票で新日本三景が選ばれた。

この北海道・大沼、静岡・三保の松原、福岡・耶馬溪が

新日本三景と称される。

大沼は、子供時代に記念切手を見て以来、いつか来たい
と思っていた場所なのだ。


憧れの地に来られて嬉しかったが、上記のような切手に描かれたような風景が見られ
なかった事が少し残念である。
また・・はないかも知れないが、この美しい島々の風景を、心に焼き付けて大沼を後にした。






ギャー ! いきなり登場のヒグマ。

途中の休憩所に立ち寄ったら入口にいたのだ。
剥製なので可愛いなんて言えるが・・・。





*五稜郭

函館駅まで戻り、市内にある戊辰戦争最後の戦いが行われた五稜郭を見学した。
五稜郭は、ここと長野県佐久市の龍岡五稜郭のみが現存する西洋式の城郭である。

函館戦争慰霊碑と土方歳三の碑が城外にあった。
日本人同士が殺し合った内戦だった。もう二度とない事を願う。



*石垣と五稜郭タワー。


*5年前に再建された城内にある函館奉行所。


*空から見たタワーと五稜郭。想像していたより、小さかった。

こうしてメインの観光は無事終った。
全くこんな時期に台風が来るなんて・・・。
私は、ここでバッテリー切れ。

函館山から望む、100万ドルの夜景もパスしたのでありました。
友人は、バスツアーで行ったが帰る頃には自分は夢の中でありました。

翌日の午後は、函館空港から羽田空港へ。

羽田からは、モノレールを使い浜松町へ。*写真は、ネットで借りました。

車内では周りが、日本語を話している。当然な事ではあるが、久しぶりにも感じた。
年々豊かになる中国の国力を、実感させられた出来事でもあった。


函館から帰ったと言うより、中国から帰国した気分だ(笑)。


東京駅-大宮駅まで新幹線に20分乗車。
*在来の通勤急行(急行料金なし)と較べても、10分しか早くないが快適だ。
特急料金千円増しのプチ贅沢である。在職中は、神奈川の帰りに自腹でよく利用した。




飛行機を降りて二時間後には自宅に着いたのでした。  

お読みいただきありがとうございました。


*エスクフォトギャラに、歴代青函連絡船があります。
Posted at 2015/05/16 21:37:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鐡道・バス・飛行機の旅 | 日記
2015年05月15日 イイね!

函館へ 前篇・朝市と青函連絡船

函館へ 前篇・朝市と青函連絡船遥々来たぜ函館 とは歌のセリフだが現在は羽田空港
から僅かに70分の飛行である。

だが、この時期には滅多にない台風の影響で雨。帰り
は快晴と、私の旅にありがちな天気であった(泣)。


出発は羽田空港から。羽田へは、函館への飛行時間
より、ずっと時間がかかる。


かなり前、伊豆大島からYS-11で帰った以来であった。
今回、搭乗したJALの同型機。(ボーイング787型)




離陸直後が、タイトル写真。下に、航空母艦のような滑走路が見える。
一緒に行った友人は飛行機が苦手のようで、とうとう函館まで目を閉じたままだった。

乗り物好きの私は、窓際の席で撮影出来た事に感謝。偶にはつきもないとね(笑)

高度1万メートルの雲海。



そして、あっという間に函館空港。遥々来たぜ  と言う感じでは全然ないが・・・。

既に夕方なので宿に直行。温泉に浸かった。
見た目は透明な単純泉だが、身体がポカポカと暖まる。
さすが北海道の温泉だ。宿は、湯の川温泉郷にある。

気温は埼玉より10度位低い。窓を開けると、夜は肌寒い位であった。

翌朝は、名物・函館朝市に行って見た。JR・函館駅前に市場街はある。
船のモニュメント風のJR・函館駅。二階の丸いものは、煙突のイメージだそうだ。



駅の裏手には、海が広がっている。


1.函館朝市



いやはや驚きました。大声で中国語が飛び交っている。中国人ツアー客ばかりだ。

何だか中国の朝市に来たようだ。

集荷のリアカーを引いている、クロネコのお兄さん以外は殆ど中国人である(驚)。

ロングスカートの女性も女性二人連れも、みんな中国人ツアー客だった。



近隣のスーパーより遥かに高い値段に驚く。この花咲ガニは、まだ安い部類だ。
この大きさの毛ガニなら、泊まった宿でもこの半額で販売していた。

友人は色々買って、クール便に乗せたようだ。
私はカニより、エスクのパーツが買いたい(笑)。



市場の後方には、あの100万ドルの夜景が見える函館山が霞んで見える


2.青函連絡船と、その歴史

岸壁に係留されている、青函連絡船「摩周丸」(経産省近代化産業遺産認定)を見学する。

最後の青函連絡船「摩周丸」。8,327トンと歴代連絡船の中でも最大の大きさ。



操舵室(上写真の最上階部分)と客室


昭和29年(1954年)の巨大台風で「洞爺丸」が遭難したのは有名だが、同時に4隻の
青函連絡船も遭難していた事を初めて知った。
洞爺丸以外は、湾内に投錨した状態で転覆した。

写真右は、初代青函連絡船「比羅夫丸」明治41年(1908年)就航。青森-函館4時間とある。



長く本州との交通手段になっていた青函連絡船が就航を終えたのは昭和63年(1988年)。
青函トンネルの開通で、最盛期には13隻あった青函連絡船も、その80年の歴史を終えた。


年号も、昭和から平成に変わる、まさにその年であった。

現在は、飛行機や特急で簡単に来られる函館だが、青函連絡船で数時間かけて
海峡を渡った時代は、まさに「遥々来たぜ函館・・。」であったろう。
当時は観光と言うより、必要に迫られて海峡を越えた人々が多かったのだろう。

海峡を越えた人々の、
苦労が偲ばれる青函連絡船の姿である。

青函連絡船は開業以来、延べ「1億6千112万7982人と貨物2億4千697万6302トン」
を、輸送したと記録にある。


青函連絡船の功績を称えて
この輸送実績を、パンフレットから抜き書きしておきます。


*操舵室から前甲板を望む。左桟橋に居るのも中国人ツアー客。正面左・函館山。

降りそうな空ではなかったがこの後、雨となった。
今旅の目的地・新日本三景「大沼国定公園」は、次回とします。

*歴代青函連絡船フォトを、エスクでUPしました。21時
Posted at 2015/05/15 17:15:14 | コメント(4) | トラックバック(0) | 鐡道・バス・飛行機の旅 | 日記

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