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CatDogのブログ一覧

2012年12月25日 イイね!

師走・少し暖かくなったお話(怪我した鳩? と怪我ない私?)

師走・少し暖かくなったお話(怪我した鳩? と怪我ない私?)昼頃の事だ。

写真の場所を、車で通りかかった。

すると、前の車が急に右にハンドルを切った。

なにかと見れば、車の前方には鳩がうずくまっていた。




ご覧のような狭いガード下で急ハンドルを切れば、対向車との接触は避けられない。

私は、側道に入り、そこで車を止めて鳩に近付いた。
車の列は上下とも、鳩の前で停止して、私の行動を見ている。

鳩は眼をつぶり、うずくまっているので、もう死んでいるのかと思った。


しかし近付くと鳩は目を開けて、UFOのように垂直に舞い上がった。

これで安心と停車した車が動き出すと舞い上がった鳩は、またも垂直に同じ位置に、
舞い降りたのだった。

あわてて急停車する車の列・・・。

手に持っていた袋を、軽く鳩の前に出すと今度は、小走りで路肩に逃げ込む鳩。

車が発進しようとすると、また小走りで出て来て、同じ位置に座ろうとする鳩。


こうして私は、衆人環視の中で道路の鳩を追いかけて右往左往。

まるで、お笑い芸人だ。車列は、次第に増えていく。



*イメージです。

数回の追っかけで、やっと写真の道路端の障害物ブロックの陰に入った鳩。
(説明中の鳩-本物  しかし、鳥の首はよく回るもんだ。)


動き出した車列を見ると、車の中の皆さんが笑顔で私に、
会釈をしてくれている。

なんだか、少し嬉しくなって心が暖まりました。

お騒がせな、鳩ちゃんのお陰です。まさに平和の使者だ。


車列が去って撮影に応じる「鳩」。
(子供時代から犬・猫・鳥などの小動物が寄ってくるのです。)

見れば、しっかり歩くし怪我の様子もない。
なにか、病気かと思ったが写真通り眼光も鋭く、毛並みの艶もある。



*張本人の鳩

持っていた食パンをちぎって、鳩の周りに置いて車を出した。

帰り道には、鳩はもういなかった。パンも半分なくなっていた。

日当たりが良いので、日向ぼっこをしていたのかも・・・。

私に追われてキョトンとしていた鳩ちゃん。


鳩に豆鉄砲か・・・。(笑)
怪我なくて良かったね!
この鳩、家のベランダに止まり音楽を聞きに来る鳩に似ているなー。



* 新林道見っけ! はエスクフォトギャラのほうに、そっとUPしました。
  (完走出来なかったので・・。あー格好悪い・・。)
2012年12月20日 イイね!

便利Goods 2012 MY グランプリ トラウマを消してくれたもの

便利Goods 2012  MY グランプリ トラウマを消してくれたものあれからもう16年位になるだろうか?

いつもの大手カー用品店で、オイル交換
をしてもらった。


*写真は、ネットより転載。

夏休み初日にオイル交換を行い、そのまま高速道に
乗って旅行するのが当時の習慣だった。


しかし、この年だけ家族一緒になるのが翌日だった。

なので、日帰り温泉でも行こうと駐車して、温泉施設の玄関に向かった。

駐車場の出入り口付近に、なにか黒いものが落ちていた。
見るとエンジンオイルキャップだった。 しかもSUZUKI のロゴがあったのだ。

慌てて自分の車に戻り、ボンネットを開けるとオイルキャップがない。
エンジンルームには、オイルが飛散していた。

オイルキャップの締め忘れであった。オイル注入口に、乗せただけのキャップ。
駐車場入り口の段差で、キャップが脱落したのだろう。


あの時、いつものように高速道路に入っていたら・・
と思うと、未だに恐ろしい。



* 「どうしてこうなるの?」 と言う、ネットの事故写真を転載。

この時の車はスズキエスクードTA-01W (1600cc)だった。その翌年、現在のTAー51W
(2000cc)に乗り換えたので、時期をよく覚えているのだ。


話が長くなりました。

と言う訳で、キャップにはトラウマがあるのだ。
燃料キャップが、セルフGSのキャップ置き場に忘れてあるのを、
たまに見かける。

すると必ず、この事を思い出す。


自分は忘れた事はないが、忘れそうになった事はある。
そして、いつかは忘れる事もあるだろうと感じていた。

忘れないためには手に持つか、視線の範囲に置いていく事が一番だ。

お友達のSUNリンさんに、教えて頂いた下記の用品が今年度の便利用品NO.1である。


ヤック・マグピッタン。 転ばぬ先の杖である。

カー用品店ならどこにでも置いてあるヤック製品、ところがいくら探してもこの商品はないのだ。
上記カー用品店にも聞いてみたが、扱い外商品は取り寄せ送料がかかります  だと。
(時は流れ、FCのこの用品店の経営母体も変わった。)

仕方なくネット通販で、商品価格(1コイン)より高い送料を払って2個購入した。
給油時にも常に視界と言うより、視線の先にあるので安心だ。


こうして私は、やっとキャップへのトラウマから解放されたのです。
(少し大袈裟だが、単に便利用品と言うだけではないのです。) 
SUNリンさんに感謝です。


*番外編  舐めんなよ! 役には立たなかったが、満足しているもの。

長い間、工具箱の中にでんと座っていた激安工具。最後まで残ったのはラチェツトのソケット。
舐めるなヨ ! と思いつつ、使う度に(ボルトを)舐められっぱなしだった。

頻繁に使うものでもなく、コンビレンチで事足りていたが、ついに辛抱堪らず購入した。




スナップオン、KTCのような高級品ではないが、自分にとっては、それなりのものである。
夏頃の購入。当然(?)と言うか、未使用。 「揃えた」 と言う、意味合いの強いものだ。

工具箱の中身も、やっと激安工具がなくなり、スッキリンコ である。
最下段にあるのが、この「ソケットセット(ホルダー付き)」だ。


使わなくても、置いてあるだけで満足。ささやかなる贅沢です。



* MY便利用品・歴代NO.1

昨年の購入だが、もう価格の何倍も働いてもらった。月1-2回は使用している。
スィフトパーツレビューに、UPしてあるので詳細は書きません。
(写真はエスクードに充電している所。実際の充電では、マイナス端子を外す。)
*エンジン横の排気管カバー(銀色)、タワーバー等は、再塗装したものだ。




本年も、すぐ最終週になります。

皆様も、年末の事故・怪我等にお気を付けてお過ごし下さい。


*写真のものは、パーツレビューにUPしています。(除.ソケットセット)
Posted at 2012/12/20 09:19:58 | コメント(10) | トラックバック(0) | 車弄り・用品購入 | 日記
2012年12月17日 イイね!

年末 山登り(恥ずかしながら・・。)

年末 山登り(恥ずかしながら・・。)選挙も終わり、気分は年末モードに。

週末は、今年最後の山登り(?)でした。
飯能市にある、天覧山と言う山です

後方に見える、小高い丘のような低山だ。



ここは「ミニ上野公園」と言うような地形だ。この辺り一帯が、高台となっている。

写真の場所は、桜の名所のひとつである。市の文化施設がある。

春は花見で賑わう場所だ。山の麓(写真奥)には名刹「能仁寺」がある。

市の中心部に、このお山があるのだ。


*能仁寺。官軍に追われた彰義隊残党などの幕府軍が本陣とした。
 官軍の砲撃で、全焼し再建された。

タイトル写真が登山口? だ。 当日は午後から雨の予報。チャッチャッと登る事にする。




低山ながら登山道の雰囲気はあるでしょう?  全部が、こうではないけれど・・・。

登り始めて、30分かからず頂上に到着。
途中で散歩中の柴犬をかまったら、顔をペロペロ舐められた。

標高は、僅か195mだが意外に眺望は良い。
麓一帯が明治時代の陸軍演習場であり、明治天皇が視察された事から、この名が付いた。
(江戸時代までは愛宕山。天覧山と言う地元の銘酒もある。)

写真奥の山の向こうは、東京都青梅市である。そろそろ、降りそうな雲行きだ。帰ろう。




未だに紅葉なのだ。奥武蔵のハイキングコースになっている。

肌寒かったが坂を登り、少し汗ばんだ。

山登りと言うと笑われそうだが結構、登山服姿の人々も来ていた。
(私は普段着に、スニーカーでした。)


「ドライブ+散歩」 は週末の日課です。
心身ともにリラックス出来ます。

みんカラで迎える2回目の師走だ。
年々、時の流れが早くなる。


*前回ブログは、多くの方たちにお読み頂き、沢山のイイね!も頂きました。
 (不吉な総数だがー17日現在) この場を借りて御礼申し上げます。
 
*なお、自分の基本スタイルは、今回のようなツーリングレポなのです。
(ご覧でない方は、リンククリップもご覧下さい。)
2012年12月13日 イイね!

本田宗一郎の見事な引き際と、そうでなかった人

本田宗一郎の見事な引き際と、そうでなかった人チルチルミチルの100円ライター。覚えていますか?
製造は、東海精機(現トヨタグループ)。


あの本田宗一郎が、かつて経営した会社なのだ。
かつてのホンダの本拠地は、スズキと同じ浜松だった。



1. 見事な引き際

終戦後、宗一郎は東海精機の経営を譲り、戦後の挫折感から、家で酒ばかり飲んでいた。
やがて、やりたい事があると一念発起。この時、宗一郎は38歳であった。
立ち上げた2輪メーカーを不動のものとし、N360で今度は四輪メーカーの地位を築いた。


そして、1969年 普通乗用車のホンダ1300を開発・販売した。
(タイトル写真はセダン。クーペもあった。)

当時、誰もが、アッと驚く100馬力(エンジン単体馬力のグロス値。今の90馬力程)。
1.3Lの自然吸気エンジンでは、同排気量他車の50%増の馬力だった。
だが、この車は空冷エンジンだった。音が大きく、うるさい空冷エンジン。
「もう空冷の時代ではない。」と社内の技術者は大反対。

しかし、宗一郎は「空冷こそが自然だ」と持論を曲げず、社内の反対を押して発売。
音が静かならいいんだろうとばかりに、エンジンを2重に囲うなど結果としては、
水冷エンジンより複雑な構造で、重いエンジンとなったのである。

結果は散々なものだった。販売不振により、僅か3年後の1972年生産終了。
それは、経営の足を引っ張るほどであったと言われる。


「俺も、世の中の流れが読めなくなったな。」

周囲にそう漏らし、短命だったホンダ1300販売終了 翌年の1973年、社長の座を辞した。
本田総一郎 66-67歳の頃だった。
身内も社内から引かせた。これは、後にホンダの飛躍に繋がった。

宗一郎が、その後も社長の座に居続けたら、ホンダは倒産していたと言う人も多くいた。


かくして本田宗一郎は、歴史にその名を残す事になったのだ。


*ホンダN360  後期型ー写真はみなネットから転載。


1980年代に大ヒットしたシティ&ターボ Ⅰ・Ⅱ。自分もシティとターボⅠ に乗っていた事がある。
ターボⅠは100馬力(グロス)の車重690Kg。ドッカンターボで、凄い加速だがシテイより燃費良。
街中でもL 15Km、高速巡行では、東北旅行の際、L 23Kmを記録した。



2.世襲に執念。会社を滅ぼした経営者

かつて流通業の覇者として、一世を風靡したダイエーと中○功CEO。

本社に商談で訪れる取引先に、「使い捨ての紙コップ」で、お茶やコーヒーを
出す事だけでも、合理主義の米国流であり、日本の社会常識を覆す事だった。

日本初のセルフサービス店を、大阪千林駅前に出すと主婦の圧倒的支持を受けた。
「よいものをどんどん安く。」を旗印に、やがて百貨店を凌ぎ、小売業トップの
売上高となった。ダイエーのやる事は、革新的だとマスコミの寵児ともなった。

地方と都会の庶民の服装の差を埋め、海から遠い場所でも刺身が庶民の口に入る
ような豊かな食生活になったのは、スーパーの功績が大である。
スーパーなどの流通業が、政治が出来なかった社会構造を変革したとも言える。

更に、最高経営責任者という意味の、「CEO」を使い始めたのもダイエーだった。


*かつてのダイエー本社だった浜松町芝パークビル。間口140m。奥行50m
14階建て 延床10万平米以上。東京ドームの2.5倍。
内部も見たが、その巨大さから通称「軍艦ビル」と言われる。


「流通業界のホンダ」などと、もてはやされた。

だが、出来の悪い息子に跡を継がせようとして悲劇は始まった。

当時、アメリカで流行っていた「ハイパー」と言う業態(売る方式)をいち早く取り入れたダイエー。
広大な国土のアメリカでは、数時間かけないとスーパーに行けない人もザラである。

またキッチンも冷蔵庫も日本よりずっと大きい。米国の買い物は、週に1回が基本だ。
肉も大きなポンド単位のブロックで買うのである。冷凍野菜も多く使われている。

この売り方を日本に取り入れ、各地に「ハイパーマート」を建設したのが息子(副社長)だ。
米国のような大容量を中心に据えた販売をした。
ユニットプライス(G単価)は通常のスーパーよりかなり安かった。

だが、狭い国土に小さな冷蔵庫の日本では鮮度の良いものを、毎日買うのが習慣である。
(この頃、スーパーは既に日本全国にあり、大体は自転車があれば行けた。)

一例だが、ハイパーでは冷凍の焼き鳥が、100本入りの箱売りだった。
単価は1本30円と安くても日本の冷蔵庫、冷凍庫には入らない。
刺身は、お造りは置かずに柵ばかりだった。安く売るから、自分でお切りなさいと言うのだ。


日本の購買習慣まで変えようと言う、この思い上がりが、やがて
破滅を招く事となった。



*かつてのダイエー仙台店。現在は吸収合併したイオン仙台店。

CEOに戦略の見直しを進言するものは皆、追放された。
やがて社内では、誰も物を言わなくなり、消費者もそっぽを向いた。

裸の王様の末路は、みなご承知の通りだ。
優秀な後進に道を譲っていれば、未だ覇者の座にいられたのかも知れない。


身内も一緒に引退させた宗一郎氏の潔さとは大きな違いだ。

「生活に夢を、生活を豊かに。」との志で、大きくなった二社。

自分の限界を悟り、世界に羽ばたく為に身を引いた経営者と、当初は豊かな社会の
実現に多大な貢献をしたが、最後は初心を忘れてしまった経営者の違いである。

奢れるものは久しからず。ひとえに風に前の塵に同じ(平家物語より) である。
経営者は、引き際を誤ると、従業員をも不幸にする。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」とは、よく言ったものだ。

ホンダ車の原点N360 後編終わり 
2024.02.01 補筆・写真追加しました。





3.無念な辞めかたも・・

きれいな文章を、書いていた方が退会するとの事。
素晴らしいイラストを、描いていた方も退会しました。

これらの方は、二人とも女性です。
自分の友達ではないが時々拝見し、偶然にも最後のブログを見たのです。
お二人とも、嫌がらせを受けて退会されるようです。


一言言いたい。情けないね、卑劣だ ! 弱いものいじめして。
エンジンフラッシングするように、心もフラッシングしろ と言いたい。




昨晩UP後、この方からお礼とお別れのメッセージが届きました。
さようなら、誠に残念です(涙)。 新天地でのご活躍を祈ります。

*なお、ブログ写真は、全てネットから借りました。
2012年12月10日 イイね!

日本の航空技術100年(何で猫が?) 国産初のジェット機

日本の航空技術100年(何で猫が?) 国産初のジェット機さて、前回書けなかった、ゼロ戦以外の飛行機です。

このヘリ、どこかで見た感じだと思っていたら・・。

胴体の膨らみが似ていませんか?

タイトル写真の猫ちゃんに・・。



*ヘリ内部

この猫は、お友達の「しらとらまさし」さんの愛猫です。

味わいのある、風格漂う後ろ姿なのです。

後ろ姿をもう一枚。

敢えて、前回と同じ写真をもう一度。(既に、ご覧の方はご免なさい。)
カラフルで今風な防空頭巾を被った子供達が、見学に来ていた。

・もう一度、同じ事を言いますが・・・。
この可愛い子供達が、大きく逞しく育つ社会でありますように・・・。



*埼玉県・桶川飛行場に就航していたセスナ機。自分も数回、遊覧飛行で搭乗した事がある。

*戦後初の国産ジェット機

敗戦国の日本は、飛行機の製造をしばらく禁じられていた。
1958(昭和33)年、その禁が解けると早くも国産・自衛隊ジェット練習機(T-1)を製造した。
最高速度はマッハ0.8.時速931Km。ゼロ戦の1.6倍の速度だ。

機体は富士重工製。あのゼロ戦のエンジンを製造した中島飛行機がルーツだ。
さらにエンジンも、5年後に国産IHI(石川島播磨重工) 製が使われた。

航空機製造を禁止されながら、今から50年も前に、国産ジェット機を製造出来たのは驚きだ。
ゼロ戦の技術は、受け継がれていたのだ。(あのYS-11が、就航したのは1965年。)
*日本は戦争末期、既にジェツト戦闘機を造っていたのだ。


自信を取り戻そうよ !



しばし童心に返り、ゼロ戦始め、展示されている飛行機を見学し撮影した。
航空公園の駐車場は2時間まで無料だ。2時間なら余裕で見学できると思ったら
あっと言う間の2時間だった。

館内のレストランで、ランチと思ったがバイキングなので断念。
ランチ代を館内のプラモショップでジープに回し、自分用の来館記念とした。

エスクのインパネに置き、ご満悦であります。


*残る写真は(沢山あるので)、厳選してエスクフォトギャラにUPします。
引っ張るなって? お疲れモードなのです。


エッ、差し支えない? ありがとうございます。

ゼロ戦の、飛行動画が前回ブログにあります。興味ある方は、是非ご覧下さい。

ゼロ戦三部作.終わり。
*ゼロ戦展示会の詳細を、おすすめスポットにゼロ戦とともにUPしました。

プロフィール

「[整備] #エスクード ヒューズ全交換結果  エスク VS スイフト https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855706/8263201/note.aspx
何シテル?   06/13 15:19
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