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CatDogのブログ一覧

2015年12月27日 イイね!

もう走れない・懐かしの南アルプスの道(旧野呂川林道他) 写真追加

もう走れない・懐かしの南アルプスの道(旧野呂川林道他) 写真追加旧いブログから自分でも興味深いものを発見。
今は走れない野呂川林道の動画がある。
林道ファンはご覧ください。2018.1.10
以下、当時のまま

南アルプスの峡谷沿いを走る道・芦安-広河原-
奈良田間が、まだ走れる時代に、1回だけ友人と
走った事がある。90年代まだ初頭であったと思う。
当時の四駆乗りの聖地でもあった。

友人と山梨県・身延山から、長野県・松本市へ旅する途中であった。
*タイトル写真は、八ヶ岳高原の常宿


当時、既にエスクの1600㏄が愛車であったが室内は狭く、乗り心地も悪いので
友人のクラウンで行く事になった。

この時、90年代になっていたので、クラウンは10年落ち近いものだった。

たしか、友人は新車時からリースしており、リース期間終了後10万円で、買い取った
と記憶している。 なので支払総額は、当時でも400万以上したと思う。

*全幅(1720mm)は、現在のクラウンに較べて随分狭い事が判る。



宿泊した宿は、小学校を改造した早川町営の温泉宿。教室を分割して客室にしてある。
当時は、写真のようなきれいな建物ではなく、山小屋のような感じだった。
窓から見えるのは、校庭と山々だった。




山梨県道37号・通称 南アルプス公園線 沿いの山中に宿はあった。



翌朝は稜線沿いに奈良田温泉・広河原・夜叉神峠を経て、芦安村(現・南アルプス市)
に向かった。上記航空写真の通り、スケール雄大な道である。*山梨県道37号

当時は、奈良田ー広河原を野呂川林道そして広河原ー夜叉人峠ー芦安を電源開発道路
などと言ったと思う。現在、芦安から夜叉人峠を経て広河原までは、通年通行規制がある。



*南アルプス林道起点近く。
起点・南アルプス市・旧芦安村-終点・長野県伊那市・旧長谷村

つまり現在は、
もう通れない道や林道を走った思い出である。

走った車は、自分のエスクではなく、上記クラウンであった。

奈良田から広河原までは悪路(下・動画参照)で、良く走破出来たと思う。
トルクコンバーターが働くATだから、エンストせずに走れた事も、支えになったと思う。



*南アルプス林道。環境保護の観点から開通時から一般車乗入れ禁止。と言うか、
乗り入れ禁止を条件に、開発を許可された林道なのだ。市営バスが夏のみ走っている。
開通年は1979・11だが、バス運行の開始は翌年1980年である。


1.宿から奈良田温泉まで。 *ここは現在も、夏なら走行可能。

宿を出て、道は更に標高を上げる。やがて未舗装路となった。風が爽やかだった。
夏だったのに暑さは感じなかった。
吊り橋が、途中に架かっていて上を歩いて見たりした。

道の状態はおおむね良好で、クラウンでも普通に走れた。

やがて、突如として集落  と言うより温泉宿などがある一帯に出た。
横にはダム湖がある。奈良田温泉である。
一度、ダムの湖底に沈んだが、温泉を再度掘り当て温泉宿を復活させたのだ。

奈良時代の女帝である孝謙天皇が晩年、湯治に来た歴史ある温泉らしい。
ネットなどで見ても源泉かけ流しで、評判は上々である。



*奈良田のダム湖  温泉宿などが、湖底に沈んでいる。

集落の先には、ゲートがあって夕方には施錠されたと記憶している。

ダムと相まって秘境に忽然と現れる、商店街のような集落には驚いたものだ。


2.奈良田温泉ー広河原

ここから北岳などの登山入口でもある広河原までは、野呂川林道と呼ばれていた。

全線・未舗装で、随所にある手掘り隧道の中は、水たまりと言うより沼地であった。
それでも、乗用車も走っているのに勇気づけられて、恐る恐る走った。
あー、エスクで来れば良かったと、この時思った。右は南アルプス林道の機械彫り。




野呂川林道・動画
*追記 現在は削除されていて見る事が出来ません。お詫び致します。


*1995年に走った貴重な動画を発見。最初の4分で十分様子が判ります。
  私が走った数年後なので、見た風景も近いものだと思う。
  ランクル40や、初代エスクも4分以内に出てくる。

3.広河原ー芦安

かつては、広河原に車を置いて南アルプスの山々に登ったが、現在は芦安の
駐車場からバスでないと来られない。

通行した時は、広河原に多くの車があったのを覚えている。



*写真はイメージです。

そして、1車線の夜叉神トンネルを越えると芦安の駐車場に出る。



*イメージです。


現在、車で来られるのはここまでだと思う。
この建物は現在もあるはずだ。多分、ここからバスは出ているのだろう。
*既に冬季通行止め期間だが・・。

現在迄
 最も印象に残る道を聞かれれば、文句なくこの道 である。

もう走れない道だと、言う事もあるだろう。

でも、一番仲が良かった友人と走った、楽しい旅行の最中だった事も大きい。

その友人が亡くなって、来年は13回忌を迎える。 旅行前の突然の死であった。

もう、夢でしか会う事は出来ない。


*鳳凰三山・白鳳三山・白峰三山などの名峰が林立する南アルプス。
 標高2位の北岳・3位の間ノ岳は、白峰三山の二峰である。
 間ノ岳の標高は、最近3190mに改定され、奥穂高岳と並び3位になった。


ご覧頂き、ありがとうございました。


*写真は、全てネット上の公開画像を借りています。
一部、名前等が違う場合も、あるかと思いますがご容赦下さい。



* 奈良田ー芦安までは数多くの手掘り隧道がある。  右・夜叉神峠からの眺望。

2015年12月21日 イイね!

ネットもみんカラもない時代の車情報は?

ネットもみんカラもない時代の車情報は?昔は写真のような雑誌で、各種情報を得ていた。
オートメカニックで、車の構造と働き・整備方法などを
2年間学んだ。

色々な四駆雑誌があったが、中でも4WD-EXは
異彩を放っていた。
他雑誌が、改造やパーツ紹介・クロカンテクニックを
中心としていたのに対し、4WD-EXは人と車の
拘わり方を、その編集方針としていた。


今で言えば「お洒落な四駆雑誌」と言うところだ。中身は、こんな感じである。






またエスクが愛車の編集部員が、定期的にエスクM/Tも開催していた。
当時のエスク・ジムニーは四駆のベスト5に入る人気だった。*下・写真参照



私は毎号のように購読したが、一般受けはしなかったようだった。
やがて四駆ブームも沈静化した1999年10月 を持って廃刊となった。

下が貴重な最終号。この中に、印象的な記事があった。





当時、若手の四駆評論家 こもだ晴雄氏である。

商売柄、複数台を所有する氏であったが、中でも最初の愛車の三菱ジープへの
思い入れは強く、
墓場まで一緒だと書いている。

自分も、こんな愛車に出会いたいと思ったものだ。

この頃、我がエスクは丁度、満2歳の誕生月だった。



当時は、この初代2Lエスクがそうなろうとは、思いもよらなかったのであった。

軽に間違われるサイズに、150馬力近いパワー。
車重も、クロカン四駆としては異例の軽さ1.23トンのフレーム付ボディ。

床下に重量物が集中しており、見た目より重心が低くスポーティ走行が可能だ。
副変速機は1.8倍のギア比だが、低速トルクもあり問題ない。

燃料タンクは、クラウンと同じ70Lで航続距離は800Kmに及ぶ。だが、何も積めない。
内装はチャチだが、足回りは当時のセルシオより高価なパーツを使っていると、トヨタ
のメカニックが、仰天したと言う逸話がある。スズキ初の2L車。力が入ったのだろう。

*仰天の真偽は不明だ。
 だが純正ダンパーは確かに、かのモンロー以上の価格で、かつモンローより太かった。
 1台当り利益が、ダントツ最下位のスズキの、面目躍如の話しではある。

更に、ホイールベースは現行ジムニーより短く、スィフトより小回りが利く。
だが乗り心地は、2スト・板バネ・ジムニーより、ましという程度か?


こんな思い切りアンバランスな車 は、もう二度と出る事はないだろう。


厳しい財政状況の中、1年がかりで買い集めた純正パーツ。

満18歳、人間なら成人だが車では老年だ。
リユーアルが必要だ。オイルシールはほぼ交換したので、今回は外装中心だ。

みんカラには、整備手帳部門志望で入社したようなものだ。
下手の横好きだが・・・。



エスク整備手帳も、メモリアルの100回目となる。
今の愛車に長く乗りたい方は、ご参考にどうぞ。


100回記念ですから・・・。

今は、みんカラのお蔭で、みんトモさんも出来て嬉しいね。
絆の輪が、増えている。

この頃は、一人で雑誌を読んで、一人で林道が当たり前だった。

殺伐としたと、言われて久しい世の中だが、悪い事ばかりではない時代でもある。

下は、上記雑誌に出ていた新発売のジムニーターボ。この型式の最終型である。



今回は、前回のブログで宣言してから速やかに実行しました。

何せ100回記念ですから・・・。




今回一番高価な、テールライトを交換したところ。18年間お疲れさま、ありがとう。

今日は、みんカラの調子が悪いのかな?
エラーがしばしば出たり、下書きしていたのにUPされたようだ。

手帳は、これから書きます。明日になるかも・・・。
この位の大きさの文字も、眼が疲れてダメ。やはり明日にします。

100回目 出来ました。 2015.12.22 15:00
2015年12月19日 イイね!

エスクDogのリニューアルと、こんな事あんな事 (完)

エスクDogのリニューアルと、こんな事あんな事 (完)
いよいよ、時が来たようだ。

旧車パーツは、年々値上がりすると言うので
ストックしていた主に外装パーツ交換である。
タイトル写真は、昨日到着したシフトノブ。

*事情により今回も、脳内ブログとなりました。



ストックしてきた外装パーツ(一部を除く)。


中央に缶スプレーが見えるが、これは無塗装黒樹脂パーツ用の専用塗料だ。

今年初めか昨年末に購入して、暖かくなったら塗ろうと思いつつ春が過ぎ、夏も過ぎて
とうとう季節が一回りしてしまった。
宣言でもして自分を鼓舞しないと、中々始まらない(笑)。

昨日は、ボンネットインシュレーターと言う通常は、余り見られないパーツも届いた。
注文したから当然? いやいやそうでもない。既に、ないものもあるのだ。

下写真の一番下に映るパーツである。大きいのは、スィフト・ボンネット裏用防音シート。



取敢えずシフトノブを交換して見た。
手に持っているのが旧品でピカピカ。こちらが新品のようでもある。

素材はABS樹脂の塊と思っていたが、交換して表面が合皮のようなもので覆われて
いる事が、初めてわかった。*サイズは、違うように見えるが同じだ。

人間にも、あるきっかけで相手の心が初めてわかる時があるように・・。




自分は手先が不器用だが、整備も写真も下手の横好きである。

今回は、2015.整備総集をUPしました。フォトもあります。
整備に興味ない方もいるので、興味ある方のみどうぞ。


・Escu Dogとは自分の車の愛称だ。
ESCUDOがスペルなので、それを分解してH/N にちなんだ。
以前みんカラで、愛称を登録しようと言う活動があったのだ。

・エスクの今日まで        Since 1997

今は、保存活動に熱心に思えるだろうが、それは車歴が10年を過ぎてからである。
それまでは、クロカン四駆に相応しい使い方をしていた。




ここは、かつてのクロカンメッカの河川敷。よく遊んだものだ。
こんな事にもなった事がある。


*写真はイメージで、本文とは関係ありません。

1.川にはまる

お出かけ前の練習とばかり、川岸の砂地を走り回った。
しかし、突如スタックしてタイヤは空転するばかり。
降りて見ると、足がずぶりとめり込むほどの状態だった。

台風が通過して間もない時の出来事だった。台風など忘れていたのである。
常なら必ず降りて路面状態を確認するが、慣れた場所だったので油断したのだ。

携帯電話が、まだ普及していない頃だった。

懸命に歩いて橋までたどり着き、橋の欄干から車を見ると傾きが酷くなり、増水してきた
川の水に、エスクが水没しそうに見えた。


夕日がエスクを照らしていた、あの光景を忘れる事はない。


*写真中央の左川岸の突き出た辺りだった。時期は秋だった。

まずJAFに電話したが、四駆のレッカー車はないと言って来てくれない。

その頃、入会したエネオスカードに、ロードサービスが付いていたのを思い出し連絡した。
親切に対応してくれた女性は、四駆のレッカー車を派遣してくれた。

しかし、レッカー車もスタックしそうになり、エスクには近づけない。

再び電話をかけて待つ事、数時間。

深夜になって遠路・茨城から、ウインチ‣M/Tタイヤ装備のパジェロと、レッカー車が来てくれた。

途中のオフロードでパジェロがスタック、私が運転を代わった。河原に到着。
しかしパジェロは、エスクの2倍近い重量。M/T 装着でも、近づく事は出来なかった。

パジェロ装備のウインチのワイヤーを伸ばし、もう限界と言う所でエスクに届いた。

リアフックにワイヤーを掛けて巻き上げてもらい、ようやく脱出出来た。
水は、既にフレームを浸していた。 夜明けまでは、持たなかっただろう。

本当に助かった。



*その時にワイヤーが擦れた傷が、リアガードバンパー(リアフォグ横)に残っている。

「こんな凄い場所に来たのは初めてだ。(こんな所に来れるとは)凄い車ですねー。」
レスキューしてくれたパジェロのドライバーが、感心したように言ったのを覚えている。

普通なら鼻が高いが、この時は恐縮するばかりであった。

時間は、もう午前1時近くになっていた。週末だったのは、不幸中の幸いだった。

後に請求が来てビックリ。延べ3台のレスキュー車の代金は、約8万円也。

エネオスカードに、事故の前週に入会したばかりだった。年会費は500円だった。
それが請求の10%で済んだ。公道ならば無料だったようだ。助かりました。

この時の窓口の女性は、本当に親身に対応してくれた。忘れた事はない。

あれ以上、経ったら車が流されていたでしょう。本当にありがとうございました。

御礼の意味を込めて、敢てカード会社名を書きました。




2.土手から落ちた

雨の荒川土手道路を走行中、対向車を避けて路肩に寄ったら、そのまま路肩が崩れた。

とっさにハンドルを谷側に切り、真下を向いたので横転は免れた。

しかし、着地してそのまま沼地にはまり、身動き出来なくなった。

そこへピックアップトラックが来てくれた。確か、またも三菱のストラーダ(四駆)であった。

手持ちのソフトカーロープが役に立った。オーナーは、オーストラリアンラリーに出た事があると言って
ハンドウインチを見せながら話が止まらない。

しかし脱出してからは、土手を登る道に至るまでストラーダは二度スタック。

今度は、こちらが引っ張った。お礼を言って、ランチ代を受け取って貰い別れた。

その後は、このストラーダを見かけた事はないが、オーナーはお元気だろうか。



*この位の新雪ならば、A/T タイヤで走れる。八ヶ岳山麓にて。

その後も、まだ未舗装だった群馬の御荷鉾林道の山中で、猟師に銃を突き付けられ
たり、遠くから散弾銃を撃たれ、破片が車に当ったりと、散々な目に遭った。

最近は、健康の為もあり「林道走行+徘徊?」が、楽しみとなっている。


楽しみ方は違えど、林道が好きな事には変わりがない。

今後もエスク・スィフト兄弟で、出来るだけ長く走りたい。

それだけに、近年の不法投棄(時に遺体まで)には、危機感を感じているひとりである。
2015年12月15日 イイね!

自分で決めるからイイよ!

自分で決めるからイイよ!今週は、少し落ち着いている。

PCを初期画面にしていると、時々チャイムが
鳴って、Windows10が勝手にアルバムを作り
ベストショットを選定して、私に見ろと言う。

Windows10が選んだ最近のベストショットが、
下写真だ。




奥武蔵Gライン・刈場坂峠に至る奥武蔵支線途中の渓流。


ときがわ町の紹介・画像結合用に使った。何を基準に選んでいるのだろう?

自分の最近のお気に入りベストショットは、こちらだ。




初秋の白川郷。旅行中の急性胃腸炎で、フラフラになりながら撮った写真だ。
*今年は流行しているようだ。自分は、ノロウィルス性ではなかったがご注意を。

ところがこの写真、アルバムにはWindows10が選んだ写真をUPするのだが、
その選にすら入ってはいない。繰り返すが、何が基準なのだろう?


人工知能が、人間生活の領域に入ってくる。
いいよ、写真は自分で選ぶから・・・。


自動運転は、頑張ってもらいたいがね・・。

チェスより遥かに複雑な動きをする将棋。

10年前までは、プロ将士にコンピューターは勝てなかった。
それが最近は逆になり、勝てるプロ将士がいなくなった。
思考回路は、人間が作成・インプットするが、それから先の手はコンピュターが考える。

まさに人工知能であるが、もう勝てる人間はいないとして今後の開発を中止した。

映画「ターミネーター」に描かれたような世界が、荒唐無稽とは笑えなくなった。



*奥武蔵・白石峠から定峰峠に向かう奈田良線からの眺望。標高は700m程だ。

さて冒頭に書いたように、少しゆとりがあるので、数年ぶりにみんカラ徘徊をして見た。
と言っても、自分の愛車紹介にイイね!を付けてくれた方々である。

愛車紹介のイイね!は、気にして見た事がないので、今回が初めての徘徊でもある。
黒背景や極小文字の方以外は、良く読ませて頂いた。
返礼を、していない方も多かった。

改めて、お詫び申し上げます。



また更新が途絶えて、大分経つ方も多かった。長く続けるのは難しい事だ。
私もここ2年、年の三分の一は、お休みしていた。

当分、こんなペースになりそうだが、頑張らずに続けて行きたい。


*蛇足   お粗末な話し

リアのスペアタイヤは、クロカン四駆の象徴であった。

エスク購入時(1990-1997)は、クロカン四駆の全盛だった。
そのハードカバーは高額で、とても手が出せなかった。

ブームもとうに過ぎて、近年は自分にも買えるようになり、入手したのが一昨年だ。
背面は黒一色だったので、ダンロップのロゴを付けた。



うん、恰好イイね! と悦に入っていた。ブーム時代のソフトカバー並価格になった。
ところが、傷んだスペアタイヤブラケットを防錆塗装した後は、元に戻していない。



最近は、すっかり玄関の肥やしである(笑)。邪魔。   



少し大きいので新聞紙を巻いたり、下のロック部分がバンパーに当ったり、純正で
ない故に、使い勝手が悪い。また走行中にも、少しがたつくのだ。

カバーがないとUVでタイヤが、ボロボロになるのを見ている。

結局、取り回しの良いソフトカバーを再購入した。

しかし、我が家のカー用品在庫置き場を確認したら、ご覧の通り。
購入したカバーは、更に別である。
袋入りのカバーのほうは、未使用新品だった。



誠に、お粗末なお話しであります。

あー情けない! アホ !

*次回は、ドライブレポをUPしたい。
Posted at 2015/12/15 18:52:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2015年12月11日 イイね!

時空を越えて 青い目の人形 写真全差替え版

時空を越えて 青い目の人形 写真全差替え版赤い靴・七つの子・シャボン玉などの童謡を
ご存じと思う。詩人・野口雨情の作詞である。

現在では歌われなくなったが「青い眼の人形」と言う
童謡も、野口は作詞した。「青い眼をした、お人形は、
アメリカ生まれのセルロイド・」と言う、あれである。

下写真の人形がそうだ。*写真は荒川の悠久たる流れ。 
実際は、セルロイドではなく陶製だが・・。



昭和の初め、日本が中国に侵攻、世界の非難を浴びて国際連盟を脱退した頃の話だ。

アメリカも日本に石油の輸出を停止、日米関係は悪化する一方だった。


これを心配したアメリカの宣教師が、アメリカ人形を日本に贈ろうと言う運動を始めた。
運動は全米に広がり、各地から12,738体のアメリカ人形が集まり、日本に贈られた。
*その後、日本も返礼に日本人形をアメリカに贈っている。

この人形は、日本全国の小学校に贈られた。
学校では、入口や廊下などにガラスケースに入れて展示をした。



子供達は、それぞれに名前を付けて学校で人形に挨拶し、会うのを楽しみにしていた。


しかし、願い叶わず日米は戦争に突入「敵国の人形は焼却処分せよ。」 との命令が、
文部省から全国の小学校に出た。


こうして青い眼の人形は、学校で焼却処分された。
「お人形さんを焼かないで!」


と、子供達の泣き叫ぶ声も届かなかった。

日本だけで312万人、全世界で8000万人もの人々が死亡した第二次世界大戦。

戦後の平和が訪れても、人形は表に姿を現わす事がなかった。
全ての人形が、焼かれたと思われていた。

それが今から10年程前だろうか? NHKのドラマで、この人形の話しが放映された。

「お人形さんを殺さないで!」と、泣いて訴える子供たちに、心ある一部の教師が
応えて、人形を密かに学校の天井裏に隠したのである。

ドラマは、見つかれば教師が監獄行になると言う、勇気ある行動を讃えた。
そして、隠されていた人形に光が当たるよう訴えたのである。

TV放映の後、各地に隠されていた人形達が、70年の時空を越えて出て来た。
戦後70年、晴れて日の光を浴びる事が出来た。

*下写真は、東秩父村・和紙の里博物館展示のもの。名前はマーガレットフォツクスだ。
パスポートも持っている平和の人形大使だ。ー クリック拡大で




全国で現存する青い眼の人形は、僅か370体程と言われている。
中には暴行を受けて、傷ついている人形も、かなりあるらしい。

埼玉県では、ここでしか見たことがない。
横浜市では、二体展示されていたのを見た。ここも横浜市の人形も、幸い無傷だ。

下写真は、人形が密かに保管されていた村の小学校。




茶道教室の押し入れに、密かに保管されて生徒達も知らなかったそうだ。
代々秘密裡に、保管されてきたのだ。*現地で聴き取り取材した。

上・見晴らし台の後方に、村の戦没者の名を刻んだ慰霊碑がある。 
下・白い建物は、展示されている和紙の里・博物館。ここから下3枚は和紙の里。   



ユネスコ世界遺産・細川紙の紙すき体験施設。


移築された江戸時代の紙すき農家。中に入れる。広い土間がある。


人形が贈られた時代から、70年以上も経っているのに憎しみの連鎖・戦争は絶えない。
人形の青い眼に今の時代は、どう映っているのだろうか?
人形達に込められた当時の日米庶民の志を、我々は知るべきだ。

東秩父村近隣には、平和都市宣言を掲げる自治体が多い。

隣町・小川町(左)と、越生町(右)平和宣言看板。右・山上は、県立・世界無名戦士の墓。
*6月にみんトモさん達と、食事した印度人経営のカレー屋さん。



もしどこかの街で「青い眼の人形」を、見かける事があったら思い出して下さい。

この話しを。



*村の林道から、秋の里山風景を見る。

*4年前の入会年に前後編でUPしたものを、撮直し・追加写真と共に、全て書き直したものです。
語り伝えたい話しです。写真は小学校以外、全てを新しい物に差し替えました。

↓ 林道三昧ブログあります。↓↓ フォトギャラUPしました。

プロフィール

「[整備] #エスクード テールランプユニット防水シールDIY+交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855706/8326676/note.aspx
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