• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

NEOCAのブログ一覧

2012年10月28日 イイね!

西門町とスネ夫号 [台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告 No.20最終回]

※バックナンバーはこちらから。

#通貨について:この旅行記では、ニュー台湾ドル(新台幣)を“元”、日本円を“円”と表記しています。なおこの旅の段階での為替は1元≒2.6円を目安にしてください。



● “台北の原宿”こと西門町へ


北投温泉での入浴を終え、台北市内へと戻り、“台北の原宿”とも呼ばれる西門町へ。





見ての通り、日本で言うところの原宿・渋谷と言った街で、台湾におけるファッション・サブカルチャー・オタク文化の中心地になっているとの事。


ちなみに元々は日本統治時代に日本人向けに発展した繁華街で、西門“街”ではなく、西門“町”と書かれているのがポイント。

日本語では「街」も「町」も似たような意味合いで使われているものの…
中国語では「町」に「town」の意味合いは無く、「田畑の境界のあぜ道」という意味になってしまうため、「西門町」という地名は日本統治時代の地名ということになるのである。(中国語で書くなら「西門街」となるはず)

但し実際には中華民国による接収後に住所表記が改められ、現在では住所表記上は「西門町」という街(地名)は存在しないのだが、この地域一帯を示す愛称として今日でもこの名前が使われ続けているということらしい。


そして台湾最後の夜はこの街で夕食をとることにして…

近代的な街並みで、ついつい日本にいる気分になって、こんな店にフラフラと


入っても良かったのだが、つい二ヶ月前に香港で“海外の吉野家体験”をしており、香港の店舗とそんなにメニューも変わらないようなのでスルー…と、言うか、帰国前日にわざわざ吉野家でも無いだろう。


そして「台湾らしいお店」ということで、有名店でもある「鴨肉扁」というお店へ入店。


「鴨肉扁」という店名にも関わらず、鴨の肉は扱って居らず、実態は「ガチョウ専門店」。
何でも昔は鴨専門店だったのだが、鴨の固さや癖を嫌う人向けにガチョウを提供し始めたところ、こちらが名物になってしまい、いつの間にか鴨を止めてガチョウ専門店になってしまったとのこと。


有名店にもかかわらず、日本語は全く、そして英語も殆ど通じない店で、ゼスチャーと中国語の単語だけでオーダー。

先ずは「麺」(小麦麺)か「ビーフン」(米麺)かを訊ねられ、麺類が運ばれてくる。今回は「麺」をチョイス。


もちろんスープはガチョウから取ったスープ。ちなみにお値段は50元(≒130円)。


そしてゼスチャーで、「肉は要るのか?」と言ったことを訊ねられ、もちろんオーダー。


ガチョウの燻製で、お値段は100元(≒260円)と台湾にしては高級な料理。
まあ日本円で考えるとそんなに高くもないのだが、台湾の物価になれると、この100元というのがとてつもなく高く感じてしまうのもまた事実。

味の方は、柔らかさの中に、燻製らしい歯ごたえと香りが同居しており、また皮の部分のうま味も楽しめてナカナカ。
但し骨抜きが少しいい加減で、食べていると直ぐに骨に当たってしまうことだけが残念だろうか。


あとこの店でユニークだと思ったのは、メニュー立てのような金具を「割り箸袋置き」として使っているところ。


台湾の割り箸は必ずこうした袋に入っており、清潔な反面、あちこちに袋が飛んでしまって厄介なのだが…なかなかユニークなアイデアでなかなか素晴らしい。
(そしてこの金具をきっちり使って、袋を散らかさない台湾の人々も流石)


更に他の牛肉麺の店へもハシゴして、更に台湾グルメを満喫。


この店には日本語メニューもあり、「揚げ豆腐の中華煮」というメニューもオーダー。


しかし中華煮とは言いつつも、完全に日本的な味付け。
台湾の食文化は日本の影響が強いので、一週間滞在していても「日本食が恋しい」などという事も無い。


そして近代的なビルの並ぶ西門町の一角にレトロな煉瓦造りの建物を発見。


何でも日本統治時代の市場として作られた建物で、今でも西門町のシンボルとして残されているとのこと。


内部には簡単な展示コーナー(日本語解説あり)もあり、当時の写真なども展示されている。







日本統治時代は、日本人向けの市場として、また映画館が多く、台湾における芸能の中心地として栄えたとのこと。


そして現在でもオシャレなショップなどが内部で営業中。



中には縁起物の切符やキーホルダーなどを扱う、鉄道系のショップも


但し「鉄道系」とは言っても、いわゆるグッズショップではなく、縁起駅名の切符やキーホルダーなどが中心で、なかなかオシャレな雰囲気。ここでお土産用に縁起駅名の切符などを購入。



● “スネ夫号”に乗車


こうして西門町の散策を終え、台北駅近くのホテルへと戻る。

宅急便のトラックを横目に見て(現地企業がヤマト運輸からのライセンスにより営業)


ビルの谷間に日本統治時代の建物があったり


日本統治時代以前に存在した台北城(日本による再開発のため棄却)の数少ない遺構を眺め



ホテルの客室へと落ち着く



中級ホテルで、客室が狭かったり、眺望がないなど、決して豪華ではないのだが…
リーズナブルな価格と、台北駅へ徒歩圏内という立地、そして流暢な英語を話す親切なスタッフ(道順など色々とお世話になった。更に一部のスタッフは片言の日本語も話す)…と、ナカナカ穴場なホテル。

すっかり気に入ってしまい、この4ヶ月後にバンコクへのトランジットで台北に滞在した際もこちらのホテルを利用した次第。


そして朝食バイキングも豪華ではないが、ツボを押さえた献立でナカナカ。



中華粥を中心に、お粥とのマッチはもちろん、日本人の口にも合うおかずが揃っているのが嬉しいところ。
(お粥そのものも香港と違ってジャポニカ米なのも嬉しい。)

しかもスタッフがこまめに料理の補充やテーブルの拭掃など行っており、気持ちよく食べられるのもポイント大。


そして最終日は昼のフライトなので、チェックインや出国手続きの時間を考えると、ホテルで焦らず朝食を取って出発するとちょうど良い時間。

これで台湾ともお別れ。



駅へと向かう途中の本屋に張られていたポスター
※諸事情により写真を削除しました

「特別収録 酒井法子給台湾読者的 真情告白」などと書いてあるが…

ここ中華民国も、大陸と同じくアヘン戦争の記憶から薬物には厳しい国。
実際、桃園空港には「中華民国へ薬物を持ち込むと、死刑もあり得るぞ!」と言った文言が目立つように書かれているわけで…

何を考えているのか知らないが、下手に彼女がこの国で復活してしまうと、「日本って、薬物にはマンモス寛大で~す!」などという誤ったメッセージを送ってしまいそうで怖い。


そしてリムジンバスで直接空港へ向かっても良かったのだが、多少時間に余裕があるので、一般の交通機関を乗り継いで行くことにする。

まず台北駅から板橋駅まで、区間車(普通列車)で移動。
ちなみに板橋駅というのは、東京で言うと上野駅のような駅で、台湾高速鉄道の開業当初の始発駅でもある。


そしてやって来た列車がコレ。


EMU700型という電車で、ユニークなルックスから「阿福号」と呼ばれている車両。
ちなみに「阿福」というのは、ドラえもんの「スネ夫」の中国名であり、日本語で言うと“スネ夫号”ということになるのだろうか。


しかし見ての通り、あまりに強烈なルックスで…

現地で買い求めた「台湾鉄道文化志」という本には「完全無視火車線條流線形設計概念的台鉄通勤電車塗装、為典型的失敗代表作。」(大さっぱに言えば「ラインと塗装が変」という事か?)とまで書かれている有様。

ちなみにこの本では、台湾の鉄道文化(車両、閉塞から、時刻表、駅弁に至るまで様々なテーマ)を、日本の鉄道文化との比較で扱われており、(これはこれで興味深い書物なので、また改めて紹介したいと思う)その中でN700形は「是超来超奇特余怪奇」(「超エキゾチックで、超奇妙」と言うことか?)との事。もちろんこの後に機能的な意味合いについての補足はしっかりされているのだが。


で、「何処の国で作った車両だよ、コレ?」などと思っていると、何と日本製…(正確には初回納車分のみ日本製で、それ以後は台湾でのノックダウン生産)

しかも納入に関わった日本の某商社が「日本で実績のある通勤電車をベースに、交流化した車両…」などと書いているではないか。

「日本にこんな不細工な車両は無いぞ!」と思っていたのだが、何とベースJR東海の313形との事…
313形自体はJR西日本の221・223・225形と並ぶ、快適で良くできた通勤電車だと思うのだが…このあまりに恥ずかしいデザインだけは何とか出来なかったのだろうか。正直こんな車両が「日本製」だとは思われたくない。


しかし車内は、何となくではあるが313系の趣がなきにしもあらずのような気もしなくは無いような感じも全くしないというわけでもない(笑



そして板橋駅で台湾高速鉄道(台湾新幹線)に乗り換えて桃園駅へ



高鉄の乗車体験については以前に記載しているので割愛するが、1駅だけなので自由席で十分…と思ったのだが、ガラガラの指定席に対し、2両しかない自由席は満席で立ち客もいる有様。まあ1駅だけなのでデッキで過ごすことに。


更に高鉄桃園駅からは連絡バスで桃園空港へ。近いうちに桃園にもMRTが開通するとのことで、鉄道で直接桃園空港までアクセスできる日も近い様子。





● 台湾との別れ


こうして台湾での全行程を終え、台北桃園空港へと到着。



チェックインを終え、まだ時間があったので、フードコートで最後のランチ。



まあ、ここ桃園空港の食事は「高い」と評判で…実際、台湾の市価から考えるとビックリするほどの金額。

正直、直ぐに機内食が待っているわけで、少し迷ったものの…結論から言うと、食べておいて正解。


そして空港内にある、故宮博物院のサテライト(?)に立ち寄り



特に文化財そのものが展示されているわけではないのだが、VR的なお遊びで所蔵品の世界に触れられるという趣向。
まあ、正直「お遊び」程度なのだが…今回の台湾の旅で、故宮博物院はもちろん、一般的な観光的な要素が全く無かったので、一応これで「故宮博物院を訪問した」と言うことに…と言うのは無理があるだろう(汗


そして出発ゲートへと向かうわけだが、定刻12:50分発の大阪(関西)行き中華航空機は、出発が13:20に変更。ゲートで待機することに。

ようやくB747-400に搭乗。


スカイチーム加入を記念した特別塗装機で、内部のリニューアルも行われており、往路に搭乗した同型機よりも数段快適。
(搭乗体験や、機内食については、往路でまとめて書いているので割愛)


そして定刻より随分と遅れてスポットを離れたかと思いきや…
直後に桃園空港の滑走路が閉鎖になり、そのまま誘導路で待機。しかも一時的なものではなく、滑走路の点検などで完全に閉鎖されてしまい、誘導路上でドリンクサービスまで始まる始末。

結局、滑走路での離発着が再開したのは15時過ぎ。しかも誘導路上に多くの飛行機が待機し、更に着陸待ちの飛行機もあったわけで、離陸までの順番待ちもあって、実際に離陸できたのは15:20頃と、約2時間もの間待機していた事になる。

(どうも私は桃園空港との相性が悪いようで、かなりの高確率で「離陸待ち」「着陸待ち」を体験することになる。実際この4ヶ月後にはバンコク→台北線で桃園空港に着陸できず、高雄上空をグルグルと旋回し続ける羽目になってしまっている。)


そしてようやく離陸したと思えば…


僅か1時間後には九州上空。

※日本と台湾の時差は1時間なので、到着地(日本)が17:22なら、台湾は16:22

但し雲が厚く、日本の地は未だ見えず。


東行きの飛行機は速いとは言え、台湾と日本は驚くほど近いのである。
まあ考えてみれば、異国とは言っても、与那国島のすぐ隣な訳で、絶対的な距離も近いのである。


結局、飛行時間よりも、離陸待ち時間の方が長かったというオチが付いて、飛行機は無事に関空に到着。

そしてラッシュの逆行となるよう、リムジンバスで少し遠回りして、上り列車を利用して自宅へと向かい、今回の旅も無事に終了したのだった。



台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告<完>




最後に


全20編、写真850枚オーバーの「台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅」にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

僅か1週間の旅にも関わらず、このボリュームになってしまい、しかも1年近くに渡る長期連載、更に途中の中休みも多く…毎回読んでいただいている方には本当にじれったく感じられた事と思い、申し訳なく思っております。

しかし毎回、興味を持って丁寧に読んでくださり、更にコメントやイイね!を頂戴し、そうしたやりとりを励みに、楽しく作業を続けることが出来ました。皆様には本当に感謝しております。


ただ「台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅」という、壮大なタイトルを付けてしまったことは少し反省で…

どちらかと言えば、「公共交通で台湾一周することで、とりあえず旅の感触を確かめてみる旅」といったほうが正確で、今回の旅を通じて台湾の交通事情や、宿、食事、その他旅のノウハウをようやく掴みかけた…そんな旅だったかも知れません。

しかも“鉄道文化”と掲げておきながら、台湾原住民文化園区や、温泉など、明らかに鉄道とは関わりないスポットも多く、旅のテーマから逸れて「NEOCAが行きたいところへ行っている」事が多く、読んでくださっている方には「そんなの興味ないよ」と言われそうではあるのですが、この点に関しては「プロの旅人」ではなく、あくまで「個人旅行」ということでご容赦いただきたく思います。


今回の旅の最大の成果は「台湾(特に地方)の勝手がわかった」こと。
実際4ヶ月後のバンコクからの帰路のトランジット滞在でも、短い時間で効率的に動けていた訳で…

また鉄道以外にも、温泉、食、日本統治時代の産業遺産、台湾原住民…色々と興味深いテーマの一端を垣間見ることが出来、次回以降の旅でも、こうした中から何か軸となるテーマを設定し、今回身についた(?)“台湾の旅のノウハウ”を活かして、楽しい旅が出来そうな自信すら感じています。

「鉄道文化」という意味でも、まだまだ突っ込んだ探求が出来そうですし、何より台湾は日本と距離的にも、文化的にも、予算的にも、精神的にも近い国でもあるので、もっともっと台湾に足を運んで、いろいろと探求してみたい…
今回の旅は、そんな今後の足がかりとなるであろう旅だったのでは無いかと思うところです。


最後に、重ねましてではありますが、長きにわたるお付き合い、本当にありがとうございました。

2012年10月28日 NEOCA
Posted at 2012/10/28 21:46:43 | コメント(9) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2012年10月20日 イイね!

兵庫県立考古博物館

#このエントリーは以前にアップしていたものです。
#諸事情により公開を見合わせていましたが、一部分をカットしたうえで再公開します。



昨日、神戸市内のアポが午前中と五時半と、中途半端に空いてしまったので、半休にして、以前から気になっていた播磨町(明石市と加古川市の中間)の兵庫県立考古博物館へ行くことに。


朝、出発するときに、あわてて標準ズームをカバンに放り込んだつもりが、現地で鞄の中から出てきたのは、FishEye…確かにサイズ的にはよく似ているのだが…
(まあフィッシュアイは、面白いレンズではありますが、旅やお散歩の記録には向いていませんね…)


午前中のアポを終え、神戸駅にて



先ずは地下街で食事をして


JRで土山駅へ移動し、「であいの道」という遊歩道を通って、お目当ての博物館へ。
(※復路分の写真も一緒に紹介しているので、日の傾き具合など、一部おかしな所もあります)




このブログを見ている方の中には、きっと何か「ピン」と来られた方がいるかも知れませんが…
そう、この遊歩道は1984年に廃止になった、別府鉄道土山線の線路跡を整備した遊歩道。


そしてフィッシュアイレンズも使い方次第では、“ちょっと樽型収差の強いオールドレンズ”で撮った画像にも見えなくはないような…



橋を渡って



線路跡は公園の中へ



ここは「大中遺跡」という遺跡で、「播磨大中古代の村」という公園として整備されている。


そして遊歩道はここで終わり、この先は道路に転用されているのだが…廃線跡探訪ではないので、これ以上の深入りするつもりもなく、園内施設の見学を開始。


先ずは播磨町郷土館


展示そのものは1部屋だけの質素なもの。


そして敷地内に別府鉄道の車両が保管・公開されている。



先ずは機関車





次に客車




そしてようやくお目当ての兵庫県立考古博物館へ


エントランス


屋上


遺跡公園内に在ることから、周囲の景観にも配慮した施設…との事。
確かに「建物」というより、「山」に近い存在感ではあるのだが…ちょっと微妙な気も。


更にここの博物館は、開館当時から「工夫が凝らされている反面、偏った史料や学説に拠っており…」と、展示そのものにも賛否両論ある施設。

とは言え、先ずは見学してみないことには何も言えないわけで、館内へと進む。



発掘現場を模した展示で、子どもたちが“発掘気分”を味わえるようなコーナー。



みんカラ的には何とも解りやすい例え…



そしてメインの常設展示では、自然の中で生きた時代から、シャーマニズムの発生、そして戦乱の中で権力が生まれ、王が誕生し、権威の象徴として古墳が作られ、更に権威の象徴が古墳から寺院へと変化し、船を使った交易で富と権力が更に…といった流れを紹介している。(但し船云々は、復元船を展示の目玉にしたいという意図と、平清盛と無理矢理にこじつけた感も…)






まあ考古学や史学に関して、私はド素人なので、学説云々について批評することは出来ないのだが…
文献が残っているわけでもない時代の歴史を、考古学から紹介しているわけで、どうしても「どの学説を採用するか」という問題が発生してしまうのは仕方が無い話だとも思える。

ただ個人的には、教科書では大雑把にしか学んでこなかった日本の先史時代の流れを(学説や客観性云々と言った細かな事は別にして)解りやすく紹介しており、今まで意識することが少なかったような時代の歴史を、解りやすく新たな概念で見ることができ、少し目から鱗だったかも知れない。


ただ個別の展示が凝っている反面、こうした全体的なテーマや流れが捉えにくい感じは否めない。

私もド素人とはいえ、“展示を作る側の意図”や“史料が少なく、文献もない時代を扱うことの難しさ”などは理解できるのだが…
何も知らずに子どもたちが見学に来ても、目先の工夫・趣向ばかりを楽しんで「ただ楽しいだけ」に終わってしまわないか心配になるのもまた事実である。
もう少し全体的なテーマを意識し、展示に“流れ”を意識した工夫が欲しいところである。

また「評価が定まっていること」と「まだ推測の域であり、一つの考え方にすぎないこと」を区別し、そこから考古学そのものの役割について考えるような工夫が欲しいところ。

(楽しい趣向が多い反面、それらが“考古学の成果に基づいている”という実感が薄い。折角“考古学体験”的な趣向のコーナーがあるのだから、もう少し他のコーナーとの有機的な繋がりが欲しいところ。体験と展示が分断してしまっている気がしてならない。)


そして地下にビデオコーナーもあるのだが…


博物館のメーキング映像などもあり、学芸員をはじめとする「作り手」が楽しんで作り上げた博物館であることは強く伝わってくる。

ただ枝葉の部分に凝るのも良いのだが、もっと広い視野で展示が作れなかったのかと、とにかく「“おしい”博物館」だというのが、私の個人的な感想。

(但しこれは“ド素人”の感想であり、見る人が見ればきちんとした評価になるのかも知れないのだが…)
Posted at 2016/05/24 20:55:06 | コメント(8) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記
2012年10月14日 イイね!

太魯閣号と北投温泉 [台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告 No.19]

※バックナンバーはこちらから。

#通貨について:この旅行記では、ニュー台湾ドル(新台幣)を“元”、日本円を“円”と表記しています。なおこの旅の段階での為替は1元≒2.6円を目安にしてください。



● 885系(?)「太魯閣号」に乗車


花蓮鉄道文化園区の訪問を終え、旧駅前に停まっていたタクシーを拾って、花蓮駅へと戻ってくると、既に列車の発車数分前。


それにしても今回乗ったタクシーはハズレ。まあぼったくられたとか、そういう話ではなく、運賃はメーター通りの適正運賃。

何がハズレかというと…まず車内が不潔。そして臭いが強烈。
そして汚らしい中年男性の運転手は悪い人ではないのだが、「オトーサン!」「オニーサン!」「エキ!」「デンシャ!」…と、自分の知っている日本語の単語を脈略無く連呼し(本人は歓迎しているつもりなのだろうが…)、しかも途中でビンロウ(咬みたばこ)を食べ始め…といった具合。
まあ短距離だったから良かったものの、長距離は乗りたくないタクシーである。

そういえば今朝、紅葉温泉から瑞穂駅まで乗ったタクシーの女性運転手はというと…こちらは至って清潔な車だったのだが、車内で強烈なお香を焚いており、日本人にはちょっと耐え難い香りだったりと…

台湾のタクシーで、ぼったくりなどの嫌な思いをしたことがなく安心して乗れる反面、こうした違った部分での当たり外れが凄いように思う。


さて、タクシーを降りて、慌てて改札を通り抜け、ホームへと急ぎ、台湾一周最後となる、台北行きの「太魯閣号」とご対面。


パッと見、JR九州の885系にも見えるのだが…それもその筈。このTEMU1000形電車は日立製作所製で、885系の台湾仕様の車両なのである。

ここ花蓮から台北までの路線は、台湾東北部を海岸近くの平野を三角形の二辺を走っていくような形になるのだが、近年高速道路がショットカットするルートで開通し、窮地に立たされた台湾鉄路管理局が、起死回生に振り子方式を搭載したこのTEMU1000形を導入したという次第。

また「太魯閣」は「タロコ」とよみ、中国語や台湾現地語だけでなく、日本語での発音のしやすさも意識して命名されているとのこと。


そして従来の自強号(特急相当)で2時間半~3時間を要していた花蓮-台北間を、わずか2時間という、驚異的なスピードで結んでおり、885系譲りのルックスも含め、大人気の列車になっている。
(細かいことを言うと、太魯閣号も列車種別上は自強号扱いで、厳密には「自強号太魯閣列車」となるのだが、今回は便宜的に「太魯閣号」という表記にしています)

そのため常に満席での運行が続いており、今回ももう少し遅い時間の列車に乗りたかったのだが…旅の途中で何度となく窓口で指定席を確保しようとしたものの、結局この14:30発の便だけが辛うじて購入できた次第。
(それでも最初は満席だったので、キャンセルが出て購入できたと思われる)


また台湾の優等列車は、日本のように「自由席」「指定席」に車両が分かれているわけではなく、基本的に欧州などで見られる「指定席券を持っている人に優先権があり、空いている席は自由席。」というシステム。

しかしこの太魯閣号と台湾高速鉄道(台湾新幹線)は例外的に、日本的な「指定席車」という概念で運行されており、指定席券を持っていないとその車両には乗車できないシステム。

更に太魯閣号の場合、「全車指定席」であり、指定券を確保できない限り、乗車すら出来ないのである。

駅にもこんな注意書きが張られている。


サービス品質や車内の余裕…と言ったことを理由に挙げているが、他にも台湾では馴染みがなかった振り子列車の導入に当たって、「揺れ」を警戒し、安全確保という意味合いもあるという話を聞いたことがある。


そして乗車


時間が無かったので、飲み物などは「車内販売で買えばいいや」と思っていたのだが…これは失敗。
2時間と所要時間が短いこともあってか、車内販売は乗車して居らず、台北まで飲まず食わずで過ごすことになってしまった。
花蓮で歩き回った後なので、水分補給くらいしたかったのだが…


車内とシート



台湾で標準的な「カップホルダーが2個窓側にある」仕様なのだが、台湾では珍しく格納式のテーブルが装備されている。

また885系の兄弟車ではあるのだが…水戸岡デザインの885系と比べると、ちょっと味気なく、しかも車内のフリースペースなどもなく、何だか寂しい雰囲気。
そして満席で隣にも人が居る状態で、あまりウロウロする気にもならず、台北までじっと大人しく過ごすことに。
(正直、885系を知っていると味気なく感じてしまい、今回のように“わざわざ時間を合わせて”までして乗る価値があったのかは正直「?」。次回以降は「一回乗ったから、もう良いか…」とノーマルの自強号を利用しそうな予感。)


列車はまず1980年に開通した北廻線を走っていくのだが、この区間はトンネルが多く、あまり景色は良くない。



そして鉱石の積み出し施設などを横目に列車は走行



その後、日本統治時代からの宜蘭線に入ると、ようやく鉄道旅行の雰囲気が高まってくる。

しかし花蓮を出発し、次の停車駅は台北市内の松山駅。まあ東京駅に対する品川駅のような駅で、松山駅を出ると数分で台北駅へと到着。



これで5日ぶりに台北駅へと戻ってきて、鉄道での台湾一周を達成。


で、これで旅の報告もおしまい…という訳ではなく、今回を含めてあと2編ほどお付き合いの程を…



● 「台湾百年文物特展」を見学


そして台北駅へと戻ってきたのだが…


台北駅のホームは台湾高速鉄道(台湾新幹線)を含めて全て地下に位置しており、改札口なども基本的に地下にあるので、地上の立派な駅舎は一部にフードコートなどが設置されているものの、基本的には広い空間があるもののガラガラな雰囲気。


そんなだだっ広い空間で、「台湾百年文物特展」という鉄道関係の展示が行われているので、ちょっと覗いてみることに。



改札口を模した入り口。


入場は無料なのだが、係員から台鉄の乗車券を模した入場券が進呈されるのだが、係員の女性が「ニッポン?」「キップ ノ ウラ スタンプ オセル」と、記念スタンプを進めてくれた。


上の改札口風の他に踏み切り風の入り口もあり、踏切小屋に至るまでナカナカ凝った造り。




そして展示物

改札鋏や車掌用端末


往年の切符印刷用版木


発券窓口用端末(台湾版マルス?)


各種車両のシート


往年の制服


車両パーツや保線用車



信号制御板


今回の旅で訪問した高雄港駅の現役時代の図面


そしてこれから乗車予定の淡水線の図面


今回の旅でも何度か見かけた鉄道パーツで作ったロボット



更に屋外にも展示があるとのことで外へ出てみると…


前回のブログで紹介した東海岸の台東線(花東線)に関係して、ナローゲージだった時代(西海岸と鉄道路線が繋がっていない時代)に使われていたSLと気動車が展示されている。


SLのほうは日本車輌で1923年に製造されたLDK58という機関車。


何と台東線が改軌される1982年まで現役だったというから驚き。


機関車のボイラー



そして気動車の方はLDR2201という車両。


1957年製造で、「彷照日本国鐵湘南車型打像車身」との説明がついており、当時は「黄皮仔車」と呼ばれていたのだとか。


運転席(窓越しで撮影)


客席(窓越しで撮影)



どうしても言葉の問題があって、基本的に漢字でしか理解できないので、細かなニュアンスなどは掴みきれないものがあるものの…
非常に展示パネルなども丁寧に作られており、テーマも明快で、しかも実際に手に触れたり動かせたりする展示物もあって、非常にクオリティが高く、見応えのある展示だと言えるだろう。

そしていつもながら台湾の博物館やこうした展示のクオリティの高さには脱帽させられる。



● 淡水線で北投温泉へ


そして台北駅近くのホテルに荷物だけ置いて、先ほどちょっとだけ名前が出ていた「淡水線」に乗って北投温泉へ日帰り入浴に出向くことにする。


で、この淡水線だが、かつては台北駅と郊外の淡水駅を結ぶ台湾鉄路管理局の路線だったのだが、近年一旦廃線のうえ、MRT(地下鉄)路線として復活させたというユニークな路線。

淡水線の車両



そして北投温泉最寄りの新北投駅へは、途中の北投駅で1駅だけの支線に乗り換え。

何せMRTで1駅で、あっという間に着いてしまう支線なのだが…
しかしこの区間は北投温泉への観光路線ということもあって、1駅だけながら専用車両が使用されている。

派手なラッピング




車内も特別仕様




往時の北投温泉の写真を掲示していたり、観光案内のシステムを搭載したりと、1.2kmだけの支線を折り返し運用するには勿体ないような特別仕様。
まあ逆に言えば、乗車時間が短いので、着席率が下がってもクレームが出にくいということもあって、ここまで思い切った特別仕様にすることが出来るのかも知れない。


そしてあっという間に新北投駅に到着。



北投温泉といえば、「北投石」でも有名な温泉地で、日本統治時代に開発された温泉街。

ちなみに新北投支線は日本統治時代の1916年に、1901年に開通していた淡水線と北投温泉を結ぶ観光路線として開業した路線である。
(淡水線自体は、港町である淡水港と台北を結ぶ目的で建設された路線)


そういった歴史もあって、温泉街の雰囲気は笑ってしまいそうなほど日本的。

石畳の道を歩き(温泉の排水が側溝に流れ込んで湯気が立っている)




更に右手には「加賀屋」まで見えてくる


近年、和倉温泉の老舗「加賀屋」がここ北投温泉に進出して作られた温泉旅館で、ちょっと泊まってみたい気もしたのだが…

お値段もそのまんま加賀屋価格で、私が調べた段階では日本円で二食付き3万円程。台湾の物価を考えると…あまりに高額すぎる気がしてならないのだが。

昨夜の紅葉温泉が朝食付き1300円程だったことを考えると…流石にこんな贅沢は出来ず、今回は断念。(同じ金額なら、北投ではなく和倉で泊まりたいかも)


そしてお目当ての北投公園露天温泉へと到着。


ここは40元(≒105円)で日帰り入浴が出来る露天温泉。
しかも5:30から22:00まで営業しているという、非常に有り難い施設。


しかし営業時間内に何度か清掃のための入れ替え時間が存在し、間が悪くちょうどその時間にぶつかってしまったので、他の客に混じって入り口前で待機。



で、その間の時間を使って、台北駅で買ってきた駅弁で夕食第一弾(!?)



台湾の駅弁といえば、ご飯の上にカツなどの肉類+野菜+煮卵という判で押したような弁当が多いのだが、今回はちょっと変わり種の菜食(ベジタリアン)をチョイス。

ふりかけご飯に野菜と昆布の煮物がのっている感じなのだが…煮物は至って日本的で馴染みのある味なのだが、肝心のふりかけご飯が強烈。

例えるならカツオふりかけのような食感なのだが、もちろんベジタリアンなのでカツオではないだろう。

しかし味が…「甘い!!」
カツオふりかけにシロップを和えて、一度乾燥させたような…正直、ちょっと拷問のような味で、お茶で流し込むように完食したものの、二度と買うことは無いだろう。


そして清掃時間が終了し、いよいよ入浴。


この先は撮影禁止なので、浴槽の画像などは無いのだが、温泉そのものは棚田状の浴槽で、自分の好みの温度の浴槽に浸かれる有り難いシステム。

但し脱衣場は野湯のような土足のまま入るシステムで、どうも清潔感が無い。(日本のように下足場→脱衣場→足ふき→浴室というクッションがなく、下足場がダイレクトに温泉のような感じ)
またコインロッカーは有料。


そして日本の温泉と同様に色々注意書きがあるのだが…


一番不思議なルールが「湯船に足だけ浸けてはいけない」というルール。つまり「湯船に入るなら肩まで浸かりなさい」ということ。

ついつい一休みするときに、浴槽の縁に座って、足だけを浸けてしまうのだが…これがNG。
しかも監視員が居て、常に目を光らせていて、湯船に立った状態で静止しているだけでも注意してくるほど。つまり歩くとき以外は立ち上がっても駄目なのである。

そうは言っても、ついついいつもの癖が出てしまう訳で…
湯船で暖まったあと、そんなルールを一瞬忘れて縁に腰掛けて「ふ~」と一息つきかけて、「あ…駄目だっけ」と気がついて足を上げたのだが…その一瞬の間に監視員が既に私の方を目掛けて歩き始めており、私が足を上げたのを確認してサッと引き返していった。


脱衣場の床が土足で汚いことと、この不思議なルールがあって、どうも落ち着かない北投温泉入浴となったのだった。


<つづく> 次回ようやく最終回です。
Posted at 2012/10/14 00:01:05 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記

プロフィール

「データ整理は間に合わず。結局普段使用していない電話番号で新規登録する形でID連携。個人情報は特に不要。但しログインの度に普段使っていないスマホを引っ張り出して、電源を入れて・・・という状況なので、ログイン回数は激減の見込み。今後は過去データの管理用のサブとしての運用になるかと。」
何シテル?   05/24 16:23
タイトルの通り、旅と温泉と酒などを愛するNEOCAといいます。気がつけば、みんカラも20年目になってしまいました。 今年から仕事上で大きな変化が起きて、少し余...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2012/10 >>

 123456
78910111213
141516171819 20
21222324252627
28293031   

リンク・クリップ

足立ナンバーで行くマイカー韓国ドライブ 【前編】 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/06 21:57:51
過去の旅 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/12/27 19:30:02

愛車一覧

スバル XV スバル XV
ペーパードライバー期間を挟み、再びスバルをチョイス。 過去にレガシィやインプレッサに乗っ ...
スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
8年振りにスバル乗りに復帰しました。 写真は当時の販促品のミニカーのものです。
日産 エクストレイル 日産 エクストレイル
初の新車購入です。でもかなり無理をして買ったので…以来他の趣味にお金が回らない…分不相応 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation