
先日、部屋の片付けを行っていたら、以前勤めていた会社の出張旅費明細書(写)が綴じられたバインダーが出てきた。
懐かしいなぁと感じながら、ペラペラとめくっていると、1995年1月22日~29日にかけての旅費明細書が目にとまった。
そーいや、このときの出張は大変だったなぁ~。
奇しくも本日2021年1月17日は、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災から26年。
もう26年も経ってしまったのか、というのが正直な感想。
当時は都内某社でSEをやっていて、1995年1月17日からの姫路市への出張の予定だった。
17日朝、目が覚めてTVをつけてみると、朝の情報番組は全て神戸辺りで大きな地震が起きたと伝えていた。
しばらく時間を忘れて目がTVに釘付けになっていたので、慌てて家を飛び出して会社に向かう。
本日から出張の予定なので、着替えとかの泊まりの支度をして会社に向かう。
会社に到着し、職場の仲間と交わした話は、今朝起きた地震で持ちきりだった。
始業時刻になり、姫路の仕事について上司やそのまた上司と相談。
とにかく現地の情報が無い今、やたらと動くわけにいかないと言うことで、姫路への移動は本日中止ということに。
時間が経つにつれて徐々に被害情報が集まってきた。
交通を含めたインフラは全てダメ。
神戸市にある支社が入っているビルが倒壊したが、出社している社員はいなかったので、人的被害は無し。
その後何日かかけて集まった情報を元に、姫路の仕事は当初の予定の6日後である1月23日から行うことに決定。
震災発生から1週間も経っていないけど大丈夫なのかなぁと一抹の不安が・・・。
月曜朝一からの仕事なので、前日は移動日。
通常なら東海道山陽新幹線で姫路へ直接向かうんだけど、東海道山陽新幹線は京都~姫路、周辺のJR在来線・私鉄各線は不通。
ということで、往路の経路はこんな感じ。

途中何が起こるか分からないので、東武東上線の始発電車に乗った。
午前中に投宿出来たので、往路は予想以上にスムーズに移動出来たんじゃないかな。
宿から出張先の通勤途中、屋根にブルーシートがかけられている民家をたくさん見かけた。
やはりここも被害に遭っているのかと、心が痛くなった。
仕事を予定通り終え、最終日翌日の移動日。
復路も往路同様、新幹線&航空機で帰宅する予定だったけど、航空機は利用可能な便は全便満席とのこと。
幸い、東海道新幹線の新大阪~京都間&一部JR在来線が運転再開しているとのことだったので、全行程鉄路で帰宅することに。
ということで、復路の経路はこんな感じ。

前日までの仕事は毎日午前様だったので、移動日は早く起きることが出来なかった。
そのため出発は大幅に遅れ、帰宅したのは深夜に。
しかも、姫路~新大阪までの乗換時間を含む5時間以上、ほとんど立ちっぱなし。
神戸を通らない大阪への鉄路はこのルートしかないので、車内は超大混雑。
混雑率は体感で250%以上。混雑率250%って、
こんな感じだそう。
途中の尼崎駅に到着した際、車窓から見える震災の爪痕は、車内が一瞬静まりかえるほど衝撃的だった。
新大阪駅構内は、震災の影響を感じないほど大勢の人が行き交っていた。
それを見て少し安心。職場へのお土産を購入し、東海道新幹線ひかり号の座席に身を沈めた。
この地震をきっかけに、いろいろ変わった。
様々な分野の決まり事や、災害に対する我々の行動など。
よく、災害は忘れた頃にやってくると言うけれど、長岡藩の家訓である
常在戦場
を念頭に日頃から心がけていきたいと思う。
Posted at 2021/01/17 12:09:56 | |
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