えぇと、8月2日の土曜日、急遽広島へ行ってきました。日帰りで。
目的は
広島市交通科学館「まぼろしのスーパーカー展」で、修復されたRX500を見るのと、ちょうどこの日、開発者による
”開発秘話”トークショー(元開発担当 福田成徳氏(デザイン担当)、濱谷照夫氏(シャシー担当)、修復担当(ガルフォース ワン) 栃林昭二氏)を聞くためです。
ついでに、
・久しぶりに「お好み村」へ行って広島焼を食べたい
・東海道から引退するかもしれない?500系新幹線に乗っておこう
おまけに
・最近名物になったらしい?広島のつけ麺を味わってみる
なんてのも。この辺とか駐車場にどんなクルマが着てたのかなどのレポはまた別途。写真も整理がついていないので、また別途上げます。
ガングロななこさんには広島をななこ号で案内していただき、大変ありがとうございました。いやぁ、思っていたよりお若い方でチョト驚きました(^^ゞ
masatakaさんにはトークショーの席を譲っていただいて...本当にありがとうございました。
さて、RX500「開発秘話」です。J's Tipo 9月号にプレス発表時の情報を元に書かれた記事があり、結構かぶりますが、書かれていないこともあります。
なお、下記はトークショーで聞いた話、それとは別に修復担当者から伺った話、コンカラーの観察による推定、が含まれますのであしからず。
長文ですのお暇なときに!
【全体・コンセプト】
・もともと”コスモスポーツの次”を考える、という命題があって、フロントミッドとリヤミッドの二つの方向性のうち、リヤミッドの実験車として開発に着手した。
・当時の自分たちにできる(考えられる)最高のもの、を目指し、over200km/hを目指した。モチロン、200km/hから安全に止まれることなんかも含めて。
【エンジン】
・レース用10Aペリ。スパ・フランコルシャンのレースに向けて作られたそのもの。公称250ps。ベンチテストでは200+くらい?(修復担当がトークショー外で言っていた、ように聞こえたなぁ...もしかしたら聞き間違いかも)
・キャブは日気(日本気化器製作所、現㈱ニッキ)製。外観からすると、構造はWEBER IDAなんかと近いのでは?キャブ下端にオイル供給用と思しき配管があったので、混合燃料じゃなく分離給油ではないかと。
・なお、現在エンジンは破損(F,Rどちらか忘れたけど一方が破損)していてかからない。今回の修復ではマツダからは”エンジンはいじるな”と許可が出なかった模様。なお、某所に新品の10Aペリが3基あるらしく、マツダの許可がでれば修復可能とのこと。
【冷却系】
ラジエターはフロントにスラントしてマウント。もちろん電動ファン。当時のロードカーとしては先鋭的(と言っていたが、でもま、同時期のフォード GT-40なんかもフロントにスラントして載ってるから...)。ラジの前にオイルクーラー。ラジは結構デカイらしいが大きさは不明。ボンネット上のエアアウトレットの面積が小さい気がしたので、この点トークショーの時に質問してみたが、明確な回答は得られず。(ま、あまり走れなかったらしいのと、エンジン系の技術の方はおられなかったのでやむなし、か)
ってことで、サイドシル内をあっついお湯とオイルが流れている(”湯”に関してはGT40と一緒)。
【駆動系】
ミッション、デフはルーチェロータリークーペのもの。縦置きFFなので、そのまま持ってこれる。前からエンジン-デフ-ミッションの順に並んでいる。クラッチハウジングとミッションケース後端は鋳造でワンオフ。ミッション後端のもともとシフトレバーが上に出ているところを加工し、下に出してシフトリンケージをつなげている。どうも後ろをぶつけた?らしく、シフトリンケージ部分はバラバラになっていたので、今回修復したとのこと。
【シャシー&ボディ】
・鋼管スペースフレームにFRP、ドアはABS樹脂とポリカーボネートを重合させたPC/ABSアロイとかいう新素材。すべてマツダ内製。製作の模様を写した写真も展示されていた。
「すべて型(木型だと思う)を作っていたらしい。どうやら”戦艦大和”の木型(?)職人が戦後大量に入社したらしい?」(修復担当氏談)
【ボディの色】
色は、最初は緑。モーターショーのとき”出す車は全部黄色”と決められたので黄色に塗り替え。このときはちゃんと下地塗装もしている。その後シルバーに塗られ、ゴールドのSA22Cのバックに登場。このときは下地処理もせずやっつけ的に塗られたらしい。当時、”3台あるのでは?”という説もあったが、1台を塗り替えたものであることが今回確かめられた。
【リヤのデザイン】
コーダトロンカ(砲弾型)はもっとも空力上有利なため採用。実はこのほかにクーペ型、レーシングカー型の二つのデッサンが存在していた。今回のイベントのためにその1/5模型を製作(裏情報で、イベント前日ぎりぎりにできあがったんだそうな)。写真は後で載せます(;´Д`)
【ボンネット】
左にヒンジがあり、横に開くとのこと(開いたところをみていないので...)。中はトランク(?)。
【足回り】
・4輪ダブルウイッシュボーン。ショックは減衰力可変のをカヤバに特注。足回りについてはトークショーではほとんどふれられず。
【ブレーキ】
4輪ベンチレーテッドディスク。いまじゃ当たり前だけど当時のイギリスなどのレーシングカーでもソリッドディスクが普通。キャリパーは4ポッド対向、これも曙(だったかな?)に特注。アルミで作りたかったが当時の鋳造技術では「無理」だと断られ、鋳鉄製。キャリパーがでかくなると当然ホイールにも影響があるはずだが...?
なお、給油口のところにエアブレーキ(ダンパー付き)をつけるアイデアもあったそうだが、当時の主査に速攻却下されたそうな。
【タイヤ&ホイール】
タイヤはBSのバイアスレーシングタイヤ。マツダの倉庫で発見されたとき、エアは抜けぺしゃんこになっていたが、倉庫内で紫外線の影響がなかったことが幸いし一部を除いて空気はちゃんと入ったらしい。ダメなタイヤには今回チューブを入れてふくらませている。もちろん当時のタイヤは入手不可能。
ホイールは...8Jって言ってたかな?鉄製とアルミのとが存在しているのは知られていたが...実はアルミのは、キャリパーがデカいためかなり”薄く”作られていて、強度計算もちゃんとおこなっておらず、「走行時は鉄ホイールにすること」と厳命されていた。にもかかわらず、小林彰太郎氏(当時カーグラフィック編集長?)に運転させたとき、スタッフの油断(?)でアルミのまま出て行ってしまい冷や汗をかいたそうな。幸い割れることはなかったけど。
【ライト】
もともと実験車だったため最初はライトなし。モーターショーの時もなし(リトラっぽく見えるけど、蓋をしてあるだけ)。その後穴を開けて四角のライトを埋め込んだ。
リヤにランプがいっぱいあるが、これは大型トラックなどの速度ランプと同様なもの。デフ横あたりに速度センサーがついていて、これで速度検出。速度も出るがブレーキも(当時のロードカーとしては)非常に強力なため、後続車に速度状況を知らせる必要があるのでは?という発想。
【その他】
【燃料タンク】
50Lのが2個、コクピットとエンジンの間(の下部)に左右に分かれて搭載。シフトリンケージが中央を通るため分離せざるを得なかった。実際には二つのタンクはつながっている(と聞いたが、J's Tipoの記事では”1個で100L”って書いてあるなぁ?)。給油口は二つ。
【バッテリー】
てっきりボンネット(フロントカウル)の中かと思って修復担当氏に聞いてみるとなんとエンジンの下のほうにおいてあるそうで、いろいろバラさないとバッテリー交換もできないつくり。(重量物を中心部下方に集中させたかったのかな~?)
【コクピットの換気】
当初デザイナーが、『全く、なにも』考えていなかったため換気は一切なしexclamation ×2
それじゃぁあんまり、ってことで、なんと!フェンダーミラー(砲弾型っつーか)外皮をメッシュにしてそこから外気を取り入れコクピットに流すようにした(百聞は一見にしかず、なんですが)。もちろんエアコンはなし。
【メーター類】
デザイナーはステアリングの中心部に同心円状にすべてのメーター類を配置したかったらしいが、当時のメーター類は電気式じゃなく機械式。なのでまとめるとエライことになっちゃうので却下。
メーター類は3個あるように見えるが一つはラジオ。
スピードメーターは、0km/h(ほぼ水平位置?)からほぼ180°を回る(振り切れる)と、また左から別の針が現れ、200km/h以上のスケールがあっても低速時の”刻み”が粗くならないように考えた。(うまく説明するのが難しい...要するに、普通、メータの針は端が支点になって回るけど、支点が針の真ん中になってる、ってこと)
【ラジオスイッチ】
シフトレバーの後ろにダイヤルやらスイッチやらがついてる。
【後方視界】
全高1065㎜にしては非常に具合がよろしい(ように見える)。エンジンが低くマウントされており、キャブのファンネルは異常に長くエアクリーナー(K&Nみたいな)もついているが、端のほうなので真後ろの視界をさえぎらない。ロータスヨーロッパだとリヤバルクヘッドの”窓”が十数センチ程度の高さしかないので、結構真後ろは見づらいと思われる。うちのGTD-40は後部真ん中にキャブ&エアクリーナーが鎮座しているので真後ろの視界はほとんどなし。(ちなみに復刻された現代のフォードGTはスーチャーのプーリーが”でん!”とあって視界をさえぎっているらしいです。)
ふぅ、とりあえずこんなところで...
いやぁ、それにしても修復までに至る、関係各位の熱意と努力は相当なものだなぁ、と感心。