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「人を紹介したいから来い」というお達しで、向かった11月初めの浅草。
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「この子は勉強家でよく本を読むんだよ」と紹介され、

今でもまだまだ模索中ですが、特に若い頃というものは勢いだけで機微も分からず経験値もありません。知識で道を照らす光にしようと思うのに加え、その後の歩留まりを上げるためしっかりとした脳の土台を作ろうと、20代の頃は学術書レベルを日に一冊は読んでいましたが、社会に出てからずっとお付き合いが続いている先輩が、そのようなことを話してくださいました。
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このお二人は40年来の付き合いです。一度散会し、いつものメンバーだけで次のお店へ行き、数時間というときをご一緒させてもらいました。先ほどのflickrUP写真は、また行けばいつでも撮れそうな一枚ですが、これはなかなか撮れない写真かと思い。

先の紹介をされた次の言葉。「お前はバカか。勉強し過ぎだ」とお叱りを受けました。もっとも近年は加齢で眼も疲れ、肩も凝るわけで、あるいは子育てもあり、ゆっくり読書できていませんが、痛快にうれしく思いました。

この日は電車で帰ります。お叱りを頂いた方は、年商数千億の社長経験者です。人の能力に差はない、あったとしてもさした差ではなく、単に得意分野が違うだけだ、という考えを教えてくれた方です。

当該グループにおいては、最たる系列ではなかったかもしれませんが、一般的にも、私からしても、雲の上のような経歴です。この写真を撮ったあとに落ちてしまったようで、

寝過ごしてしまい終電が終わった東京駅で降りました。

しかしせっかくなので、夜の街撮りを続けます。

こちらの運転手氏は元音楽プロデューサーだったようで、業界話しをいろいろと聞かせてもらいました。今にして思えばフロントガラスからの光はソフトボックスの光かもしれません。

先のお叱りを受けた人は「懐の深い親分」という器を節々に、あるいは元部下の方々が目の前で熱く議論しているのを目を瞑りながら、時おり口にお酒を運び聞いているだけなその姿がまた大きく感じた次第です。そしてそのような人をトップに据えた、その先人の判断がまた素晴らしい、と思った次第です。

後で知るのですが、一つ問題があるとすれば、その方が社長時代に、年商数千億から、数百億規模まで業績がダウンし。これを考えとしてどう処理すればいいか。そして周りの人は言います。「あの人は金儲けだけは下手なんだよ」と。

そして、それすらも愛嬌に感じるから不思議です。通常であれば、そのような状態になればリストラとなり、守れない存在が出てくることにより職責を果たせていない、という論点も出て来るやもしれぬワールドですが、しかしこのグループはリストラというものをしません。際立って、厚く人生を死後までも面倒を見る制度設計になっています。

この日は「俺の近所見てみようや」と、こちらは商社系の道を歩み、若かりし頃はそのビジネスとしての実力から雑誌にまで取り上げられたようなやり手、いや海千山千と言うべきか、政財界の中枢まで人脈が太く、何より有言実行力がけた違いな人生の先輩と散歩です。

自らが「よし分かったよ」と言えば、今を時めく大物政治家相手でもすぐに一席を設けてしまいます。「こういうすごい人を知っている」と言う人は多くいますが、この方は実行力が眩くて。

この方の自宅周辺を散歩です。病院を見て、幼稚園を見て、考えを聞いて。ビジネスアイディアの光り方が違うようにも感じます。私が次にしようとしていることもその先を「こう考えたらどうだ、夢がなくちゃいかん」と、そのまま頂くほどにまさに冴えわたるということなのだと思いますが、ビジョンを思い描く力にも圧倒されます。毎日のように電話も頂き、年始は自宅に招いても頂きました。有り難いことです。

この日呼び出されたのは聞いたこともない駅でした。はじめて降り立つ駅が多くあります。

刺身のつまにすら感動するほどに美味を感じた、隠れた名店に思いました。厳かに誕生日をお祝いする席にお声がけ頂いて。

この日もはしごをして、帰路に。

電車で帰りますが、写真を撮ってから。

新しい京成スカイライナーかとばかり思っていましたが、特急ひたち、と本日家人に教えてもらい知りました。
半年ほど前のブログにて「年齢に関係なく当時25歳の男に大きな器を感じたことがある」と、記したことがあるのですが、その彼が少し前に、外部招聘として一千億規模のトップに任命されたのを電光石火のごとくニュースで知りました。

なぜ受けたのか、あるいは託した方の器も大きく思います。

もしくは、供に歩んできた古参のプロパーもいたかと思いますが、そこにトップ人事の難しさ、

あるいは組織が大きくなるほどに束ね率い導く器の希少さという要素があり、理屈だけでなく、見出し据え繋げていくという実行性まで含めると、歴史を見れば人類史上においても、解決し難いほどの非常に難しい論点なのだと思います。

先日は数年ぶりにある方に会いました。東大を卒業し、技術職として大企業に入り、本体の人事部長までやり、その後天下り的に大学の教授に収まり、この頃に私は出会いました。

教授職を退任したあとが話を聞けば面白く、噂はよく耳にしていたのですが、60歳半ばで起業して、二つの会社を経営し儲かってしかたがないとのことで、一つは人脈を活かした固い仕事、そしてもう一つはとあるアダルトグッズに特化した販売だそうです。後者は社員一人あたりの売り上げが億に近い数千万円とのことで、効率のよさが中小零細とは言えないレベルです。

東大を出た方はそのプライドもあるのか、商売またはお金儲けに向かない人が多いかと思いますが、元来、商売に向いていた要素を持っていたのだと思われます。そして色々な道があり、60歳を過ぎて立つ人もいるのであり、面白いものだと、感じました。

子育てがひと段落、すなわち満で三歳までは愛情を注ぐことに集中する環境として、幼稚園の間は送り迎えはかんばるとしても、

その先、どのように次の取り組みを行うか、昨秋あたりは見えないことも多々あり模索もしていましたが、

少しずつ光明と、次の章、さらにその次の章もイメージできるようにはなったつもりの中で、今の節を取り組み、

人生折り返しは、こうしていこう、というのがおぼろげながら見えてきた気がします。

しかしまだ、過去を左、未来を右とすれば、左と右がまだ目の前で一本の線で繋がっておらず、

この点をもっと整理して考えられるようになる必要性を強く思っています。ここが明瞭にならねば、次への担識に腹が座らないような気がしています。

この日は数年ぶりの熟女キャバクラへ、友に誘われ。というきり行っていません。ちなみに熟女キャバは二種類あるかと思いますが、なんだかんだ若い子も多い店と、看板に偽りなしの店と。後者の店に後進と行ったその昔、女性慣れしていない後進が「可愛い」と連発でいじられ緊張していたのが懐かしい思い出です。

若くしてかなり年配の愛人を持つ知り合いもいますが、そうではなく奥方公認で若い子と遊びを繰り返すパターンによるかなりの遊び人がいるのですが、

その彼の自己分析によると、母親の愛情、すなわち本当の癒しや甘える場所を探しているのではないか、と遊びが止まらない理由を説明していましたが、生い立ちと合わせて思えば一理あるような気もしました。

ミニカー専門店を見つけ、店先にある安い部類から掘り出し物を見つける楽しみになると思うも、ミニカーはもう欲しくないという卒業宣言を受けて落胆していたあの頃。

5人目の若い愛人にも子供を70歳にして産ませ、その段で奥方から愛想をつかされ離婚した方がいます。昨年あたりに鬼籍に入りましたが。

あるいは60近くになっても遊びが止まらない、とうの昔に家庭が破たんした人もいます。

根底を思うと、皆母親の愛情という要素が影響しているのかもしれない、とその友人の自己分析を聞いて思いましたが、

女の子の場合であればなお更に、男の子の場合であっても愛情には注意して育てる必要の再認識を思ったような気がします。という訳ではないながらに、子供には、私が妻へ甘える様子を見せたり、抱きしめたりする光景を見せたり。1歳頃はライバル視も感じましたが、やがて喜ぶようになり、間に嬉しそうに入ってくるようになり、そして最近は見向きもしなくなり、僕に甘えていいよぐらいにもなってきました。

この日は品川まで外国からの来客、のようなもので出向いて。ゆっくり家人と「たまには一杯やりながらじっくり話をしたいね」と思うも、寝落ちする日々にそのような隙もあまりなく、昨夜は寝る前に一杯やっていた家人をコミュニケーション代わりに35mmF1.4、50mmF1.2、85mmF1.2でそれぞれ撮ったのは、実はレンズのテストかもしれません。という翌日の昼下がりに、あんかけ焼きそばが出来上がれば子供が寝てしまい、最近の出来事を共有する時間が生まれほんの少しながら夫婦の会話もできました。

話しは戻って先ほどのアダルトグッズを販売している方の商品は、快楽指向というよりも、癒し趣向が強いと思われます。

片や、根本は様々としても、遊びが止まらない大人が母性の癒しをどこかで求めていることが一つあるとすれば、共通項も思い。

他方で癒しを求めることは世知辛い、あるいは厳しい時代とともに増すようにも思い、

時代ごとにビジネスチャンスという光りは、必ずやあるものとも思わされた次第です。

帰りは先頭車両ではなく、最後部に乗り写真を撮り、移動も楽しむひととき。というように写真を撮っている場合ではありません。

が、光りも探求していきたく、
1DX +EF85mmF1.2

昨日仕入れたサウジカーゴの747がかなりお気に入りの様子でジャンボを集めていく方針が整い、主だった飛行機を集めて空港ごっこをするという中、ここも光を探してみたり、
5D3 +EF50mmF1.2

写真右後ろから強いしかし和らいだ光がガラス越しに子供のバックライトとなり、これはソフトボックスと同じだと思いつつ、左手前の光を起こしてあげることが必要なのだと思いますが、加えてストロボだと安定的に思う光をセットでき、しかし毎度のセットは当然に出来ないながら、素敵な光を見つけ、気づく機会は増えそうで、光の勉強は必須のような気がし、

などと、光がどうのと、いうことばかり、していていいのか、疑問も生まれるデジタル・ライフ感。でありながら、光りの見つけ方、ビジネスとの共通項もあるような気がすれば、仕事におけるストロボはなんなのか、と考えてみて。

11月半ば、新橋のSLもクリスマスバージョンになっていました。ついつい子供に見せてやりたくなります。

銀座線に乗る機会も増えた頃、多くの人にご意見ももらい、

怒涛の11月が終わるまで忙しく動き、

日高屋も大切にした日々のあとは、12月は飲みやパーティーなど社交のお誘いもご辞退申し上げ、家族との時間を大切にしながら、またゆっくりと考え、

子供の制服も作りに行き、三越で作ると知り、高島屋派の幼稚園もあるようで、ということも知り、それよりもこれを着て登園する日が楽しみでもあり、同じような制服の写真を見比べれば私の頃より可愛く思え、この子が将来同じようなときにどう思うのかも想像してみて、

活発に遊ぶ子供との時間、カメラ、そして仕事、両方の光を探してみようと考えながら、もう少し集中力を持って、そろそろ仕事に取り掛かります。
次回このタームの回顧録最終回へつづく