α7R II + Carl Zeiss Otus 1.4/55
RX100M4

運転席で少々遊んで、

遠足の振り替え休日。貴重な平日の休みは「ここ富士急ハイランド?」という名称のほうが頭に残っているらしい、
トーマスランドへ半年ぶりに向かいます。

室内撮り専用と化している、MFレンズotusを久しぶりに持ち出しました。

先日導入したジンバルでの運用を前提とした動画用α6500含め、11機の一眼を保有するまでになってしまいました。

α9も発売されるということで、その「R」が出れば検討したいところ、

フラッシュも常用気味になってくると、原則としては画素ピッチが狭いことによる弱点とまでは言えないまでも、得意ではない高感度もストロボ光が届く範囲であればカバーできるわけですが、

色々使ってきて思うことは、超高画素は素晴らしい、という帰着です。

「画素数こそ、写真の本質だ」とCanon EOS 5Ds&5DsR完全ガイドの表紙に題されたときは、ネットで揶揄をされており、初心者たる私も実機が手元にありながらそれは違うだろう、という所感を持っていましたが、

使うにつけ、画素数は正義であると実感するようになりました。高画素になるほどにそもそも情報量が多くあり、レタッチをするにしても、細かいピクセルまで潜って調整できることは、結局としてレタッチ耐性も高くなるように思います。

画素ピッチと画素数のバランスを重視して、つまりはオールマイティに使いたいということでフルサイズの2,000万画素あたりのカメラを最も重宝して使っていましたが、

ある頃より「将来的にディスプレイのスタンダードが変わっていくであろうこの先に向けて、5DsRをメインに撮っていこう」と思ったのが端緒となり、スチルでは8K規格を満たす超高画素機をメインに使うようになりました。つまりは2,000万画素が、いつかのブラウン管ハイヴィジョン時代かのように感じるようになるのではないか、という見通しです。

メインとして常用していると、超高画素機への印象や考え方が変わり、あるいは高画素対応な解像力を持つレンズも合わせて、今では思い出の記録にこれなしではありえないという印象にまでなりました。

加えて、動画。ブログに登場したことはありませんが、sonyのハンディカムもありつつ、これも更新して、三脚をつけて運動会を対応しようかと思い始めれば、

大砲に1DXや7D2も必要ないかと思い始め、つまりは4マウント、APSも別で数えれば7マウントにも広がってきてしまった環境を、

少し見直しを掛けようかと、思案と心の整理を検討しています。

最も思い出を切り取ってくれてきた5D3に、最上級に好みであるEF50mmF1.2とその系譜たる85mm、優しい肌色と5,000万画素というα7R IIと比べても800万画素多いことは等倍にしたときにその解像感に段差を感じる5DsR、

レフ機に比べるとまだもう一歩のAFかと思うときも少なくないながらオートマチック車の高性能スポーツカーように使い勝手がよい、α7R IIとこれらに付随する新しいレンズ群、

他方で、動体は玄人向けかと思うほどAFも厳しい場面も多く1,600万画素ながら、その軽さも大いに魅力たる、極上の肌色を作ってくれる、フジ機X-T1、以上は残して、

現状では年に一回使うかどうかとなっている大砲含め、処分市の開催をするかどうか。

α9は見送るとしても、その後「R」を皮切りにEマウントとそのレンズ、あるいは5DsRの後継機もそのうち出るであろうことを思えば、加えてキヤノンのBRレンズもライナップが拡充していくと、もしくはフジの中判がビジネスとして成功しレンズが増えて行けばこれも視野に入ってくることになり、

機材が増える可能性を見通し、かつ管理していくリミットを思うと、今の段階で整理を検討するのも一考かと思ってみました。

otusも55mmと85mm、光学ファインダーで動き回る子供をよくぞ撮っていたなと思うほど、今では老眼チックな視野になかなか使う気も起きず、

α7シリーズのMFアシストたるピーキングも万能ではなく、光学ファインダーで見るよりも、案外に被写界深度が浅いとジャスピンは難しいので、益々子供撮りに使う機会も減りそうで、

気に入っているレンズ数本を残して、これらの一斉処分も考えています。

ライカがフェラーリだとすれば、otusはランボルギーニかもしれませんが、こういうものか、と気が済んだ所感と、普段使いには、加齢も手伝いけして扱いやすいわけではなく、

機材の幅についても経験してその違いを知ることに納得したような気がしています。

写真技術やセンスは置いておき、機材に限れば飛び級して早々と卒業するという、夜の飲み方と同義級の扱い。

トーマスランドを楽しんで、ほうとうを食べにきました。

水車の影と、ほうとうは優しく明るく、がうまくいかず、なかなかの駄作中の駄作ぶり。調整して何度かやっているのもあれなので、これで諦め、食べることに参加します。

動画と違った写真のよさはいろいろあるかと思いますが、何と言っても飾っておけ、いつも見ることができる上に、観賞するのに何らの環境に依存しないことだと思います。今の時代デジタル環境で、写真を見たり、共有することはもちろんですが、アナログにプリントして飾り日常風景に溶け込むことも魅力に思います。

富士山の頂上目指して、冬山の崖を見立てたはじめの一歩なボルタリングの一種。いや冬山など登るようになってはほしくない、とも思う親心。

身近な人や家庭内で楽しむ子供写真と言っても、デジタルとプリント、プリントの中でも通常の写真サイズで飾っておく用、アルバム用、大きめに印刷用で、写真の用途が異なる級に、写真に求められる構成要素が変わってくるように思うようになりました。

デジタルであれば家庭用と友人らとの共有用、ブログ用、ブログと言ってもその趣向でさらに細分化され、変ってくるかのごとくです。ロープウェイがあるのをはじめて知りました。次の機会に選択肢に入れたく。

というように機材よりも中身に興味が移ってきたところの一方で、ガジェットにレビュー。日本国内のそれと海外のそれでは、歴然たる差を思います。

パワーとエネルギー、経済的格差、いや国力の斜陽。将来は俺もそれを手に入れらるようになりたい、という希望に野望もエコ仕様です。

下りはそのままボンネットをトランポリンにして。メルセデスの厚めな鉄板でもさすがにたわむようになり、もう凹むのは時間の問題かのような体重になってきました。

トヨタと日産、どちらがいいか、あるいは今でいうガラケー新しいNシリーズが出たなど、それらの設計や製造をできる能力も皆無ながらに、性能や使い勝手だけはああでもない、こうでもないぐらいはユーザーが熱く語り、それが市場原理として競争環境にも繋がっていましたが、

達観詐欺師が増加したかのごとくな落ち着きようか、もしくは国を挙げた購買力の減退です。写真は大きくするほどに粗が目立ち、ごまかしが効かなくなります。絞ってしっかりと綺麗な景色を撮ってみたくなるきっかけになる一枚が撮れました、という意味でも大きく観賞してみる価値があるような、ないような。

人口はなお世界的に多いほうであるにも関わらず「5DsR vs α7R II vs GFX 50S」かのうような物欲ゴリゴリyoutubeコンテンツも日本製は皆無な状況です。

「なんで泊まらないの?」と聞かれつつ、そのつもりがなかったので用意に欠け、どうせなら一泊してもよかったと思いながら、富士ビューホテルというところのお風呂で日帰り入浴をします。これを撮るまでISOを100に固定していたのを忘れていました。

日産のここが悪い、と言えば、いやトヨタもここがあれだろ、と言い合ったところで、結局は楽しんでいた時代から、少し性能の指摘をすると、それはディスルということになり、まるで劣化したゴムであるかのごとく受容性に弾力性もなくなり、自由闊達な議論とは真逆の方向性を感じつつ、あるいは社会的には、何でもかんでもと言っていいほどにすぐに〇〇ハラと命名されハラスメントであるということになり、社会的ヒステリーが増大していると言ってもよく、その中で貴重な情報が行き来しなくなる結果、格差が広がっていく一つのピースになるのかとも感じています。

昼はお出かけ、夜は飲みに繰り出した、我が家の三連休、二日目につづく。