RX1 R

通行人の方が傘を差してくれていれば、日本のエセ・
ソールライター氏になれたかもしれません。なお一応、紫陽花の写真です。

描写性能を確認しながら、操作性およびAF性能の特性を少しでも馴染ませようと一枚。

RX1R、描写性能を担保したまま、機動性が抜群です。防塵防滴ではないので、雨は気を付けたい装いです。

恐れていることは、この機動性に慣れてしまうことです。

加えて、一人街中で撮影していても一眼、ことにレフ機のような仰々しさがなく、さりげない撮影が可能なのも魅力です。

こちらもど素人9級が撮るような一枚を決めて、

所用を終えて、自転車で我が家に帰ります、というときもカメラ撮影。

「パパ、あったよーこれ?」と一週間前にどこいったかなと会話したことを覚えてくれていて。アマゾンへの注文で、ヤマトが悲鳴をあげているニュースが連日のように聞こえてきます。我が家も注文が多い方なので、暑い中ならなお更に感謝致したく思います。

「ストロベリーフラッペくーだーさーい」とお願いもするようになり。黙っていると、あれ今日はいいんですか、と声を掛けてくれるお姉ちゃん氏とも仲良くなり。子供と家人、三人でサイクリング。後日には同じようなコースをシグマ35mmをつけたα7M2を持っていきました。RX1Rも楽しいですが、一眼系もやはり格段に楽しいことを確認出来て、カメラ資産がけして無駄にならぬ認識を新たにしてほっと安堵。

とはいえ、フルサイズの描写性能をそのままに、気軽に軽快にコンデジ感覚で持ち出せるのは大きな魅力です。と、意図したデジャブ並みに二度も記してしまう、その魅力。日常の生活に街中で画角が丁度よい、と思えるケースが多く。

サイクリング中に寝てしまいました。手を掴んでと言えば、空を握りしめ、注視しながらも可愛く。

ここらあたりで、エセをつけようとも、ソールライター氏ではあまりにもハードルが高いので、かと言ってハードルがけして低いわけではないですが、ローケーションも同じ日本、youtubeで写真E-ラーニングもしてくれている
伴貞良氏を真似はできないながら、どことなく意識して写真を撮ってみることにしました。

先日構図が取れなかった紫陽花。左上、右下に花がなく、思った構図をゆっくり作れていないので、またトライしたいところですが、そうこうしているうちに紫陽花も終わりそうです。

一旦帰り、私は再度自転車に乗って、駅へ向かいます。友との飲みです。

少々お洒落チックなコンデジ、ホームをうろうろ撮っていても、さして怪しくないはずです。

待ち合わせよりも早くついたので、写真を撮って暇つぶしする前に本屋へ寄ることに。開放な馬と鹿のあとは、水平垂直で撮りたがるのも通る道かのように思います。

右はアマゾンなどで検討する用に記録撮影、左のANAはお土産に記念撮影。

途中から伴氏を忘れてしまいましたが、ANAの本が入った袋がカシャカシャ音を立てながら、シャカシャカとシャッターを切り、伴氏的もどきチック流モード風をスタートです。

これはあまりそれらしくないかな、などと思いながら、街スナップです。

伴氏が言う、構図で会話する、構図は音楽に例えるとリズムである、そして写真は構図である、ということを理解するにはまだ遠い道ですが、日本では一流の域に行っているのであろう
中井精也氏、これからさらに飛躍なさるのであろう
イルコ氏はじめ、得意分野や得意技が異なる写真家の真似その100歩手前ながらイメージはしてみるとことで、上達を図ろう、という取り組みであり、暇つぶしです。

これも伴氏らしくない、と思いながらも、久々の街スナップ、楽しく思いながら時が流れていきます。

これは伴氏っぽいに一歩近づいたかもしれない、しかし構図の意味が恐らくは分かっていないのであろうという、つまりは近づいているのかすらもわからない、構図とは蜃気楼。

構図で会話どころか、まだ単語も覚えていないかのごとくなレベルに思いますが、少なくとも素人が撮りそうな、洗練さに欠ける絵、構図、というのは自分で分かるような気がします。

ワンショット撮りで撮影しています。予定外のフレームインで、結果論としてシャッターを押すのが早すぎました。

別段にこの被写体、あるいはこの街への被写体愛があるわけでもなく、なんとなくは楽しいわけですが、被写体への愛がないと、カメラや写真への愛や恋、あるいは単なる憧れだけとなりやすいような気がします。

巨匠、その一人というに相応しいと思われるソールライター氏は、画家を目指していながらカメラをはじめ、やがて一流の雑誌をはじめとする超一流同士の現場でプロカメラマンを長年歩んだあとに、

後年は主にニューヨークにある自宅の近くを撮り続けた写真家です。

想像するに、その自宅近くという場所、あるいは街を愛していたのだと、いやそれを越え力も抜けた温かみがある人生観のようなものが溢れ、写真を見ていて勝手ながらに感じます。

風景、富士山あるいは僻地、世界の光景、もしくは鳥、飛行機、ポートレート、特定の人、植物、鉄道、星に宇宙、あらゆるジャンルごとに、

その被写体を愛するからこそ深く知り、探求がはじまり、深く探求しながら撮り続けるゆえに、訪れる一瞬、知れる一瞬、見ることができる一瞬があり、

という意味も含有し、持って生まれた感性や何を見て育ったかなど、類まれな能力も大きなファクターかと思いますが、本質を見る目、そして被写体愛がある写真家というのが、一流であったり、巨匠と呼ばれていくような一つの大切な要素のような気がしています。畑を変えれば、その内容たる主張が正しいのかはさておき、宮崎駿氏には子供への愛やアニメへの愛を感じます。予期しないフレームインから学び、これは狙いましたが、同じくシャッターが遅すぎたか、早すぎて。あるいは狙うのであれば置きピンも一つかもしれません。

被写体への愛情。クールに、洗練された構図で、どこか格好いい写真、というだけでは何かが足りない、それはプロ、素人関係なく、実は写真の最も大切な要素、その一つなのではないかと思うようになりました。歩行愛や階段愛、というのもあるのでしょうか。いや実は手すり愛かもしれません。

ソールライター氏という写真家からは、自分が住む街と、そこに佇む人々の機微を愛する心のようなものを感じ、またそうでなければ撮れない、撮り続けられないであろう、とも思う次第です。

という意味では、鉄道とそこに息づく人々とさらには写真を見る人への尋常ではない愛情に友情を中井氏に感じ、これから大きな写真家になることを期したいインテリジェンスでもあるイルコ氏にはモデルへの愛を感じ、それを照らす光へのこだわりを思うところです。

その点、伴氏は写真を愛する気持ちを感じつつも、愛する被写体というのはこれから出会うのではないか、そしてそれを見つけたときにこの方はまた大きく飛躍をなさるのではないかという風合いを勝手かつ自分を棚に上げてもまだ僭越に感じなくもなく、これからがますます楽しみです。もうしばらく撮ってから飲みに向かいます。つづきは次回へ引継ぎつつ、絡めてカメラ談義もすれば、
α7RII + FE50mmF1.4

被写体愛、このカメラはどのアングルが一番素敵だろう、このカメラが最も素敵に写るであろう光りに包みたい、見る人に素敵な情景やメッセージを感じてもらう構図にしたい、どうやったらこのカメラが見て写してきた内面性が写しだせるだろう、という気持ちがまったくもってないカメラに恋心レベルですが、サイズ感比較で撮ってみました。左からα7M2、RX1R、α6500、RX100M4です。
α7II + シグマart35mmF1.4

α7M2をF2に揃えて、7M2は躊躇なくISO12800を選択。絞り優先でかめらが選んだSSは1/30。ピントは最も手前の葉っぱに合わせてほしいというマインドだけ持って、カメラ任せ
RX1R

RX1R、F2開放、ISO12800。同じく絞り優先でカメラはISO6400を選びssを遅くしたがるのでISOを指名しました。カメラが選んだのは1/25。RX1Rのほうがマニア向けな仕様のようです。加えて、同じISO、恐らくは同じセンサー、同じ画像エンジンのはずが、ノイズの乗り方が一段下手をすると二段、異なるように思います。チューニングの妙が埋め込まれているのかもしれません。
α7II + シグマart35mmF1.4

α7M2、ISO1250、SS1/80、F2、マニュアルモードで数値を揃えて、各種モードもスタンダードな設定で揃えてあるのを何度も確認し、ピントは同じくなるべく手前でお願いします、という礼儀だけ持ってカメラ任せ、
RX1R

RX1R、ISO1250、SS1/80、F2。構図のずれはありますが、ボケの風合いを見るために一枚ずつ。色味が異なるのはチューニングのせいもあるかもしれませんが、レンズが起因していることもあろうかと推察されます。α7M2は同じ画角だけで考えても大口径であればF1.4など、選択肢に表現力も広がり、RX1RのAFはときに辛いものがあり、マウントアダプターをかませたα7M2のほうが優秀に思いますが、一長一短ありそこがまた楽しいカメラです。
7DM2 + EF100-400II

引き続き、もう少しカメラに写真を楽しめそうです。絞って撮ってぶれましたが、そのままで。今宵の飲みにカメラを持っていくか、悩みつつ。
映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』公式サイト(音が出ます)。