台風15号により被災された方々にお見舞い申し上げます。
2019.9

腕時計に興味を持ち始めた最近、そうえいば20代の頃にママがしていた、もうもっぱら使ってないママのボーイズサイズがあったと発見された、

2019年9月、第一3連休の初日。腕時計をセレクトして、

キックボード。

RAV4で、

ジムニーが停めてあるところまで移動し、荷物を積みかえて、

ママが作ってくれたおにぎりでランチ車中食をしながら、

「売りたくないなぁ、こんなかっこいいのに」と言われながらも、JB33ジムニー最終章「
第一節金谷元名林道」に続き、「第二節 御荷鉾スーパー林道にいく」「第三節 信州大町チャレンジフィールドでオフロード」「最終節 ジムニーとのお別れイン長野」のつもりな一泊二日の予定で出発しましたが、

まさかのこの日、我が家の5インチアップカスタムてんこ盛りジムニーと、予定外のお別れになることになりました。

関越花園インターで降りて、秩父越えをして、御荷鉾スーパー林道を目指し、さらに翌日はオフロードコースインと、我が家に来てからまだ二か月、がっつり乗っておこうと、最後のお別れドライブのつもりでいました。

「ショックアブソーバーどれだろう」と黒くて気づかずに言ってみると「これじゃないの?」とご教示の運びとなり、

「これだ、これだよ、すごいよく分かるね」ともう私よりも詳しくなってきている様相も思いつつ、

もう一枚、こうして写真で気が付きますが、RANCHO RS 5000、なるものがついています。これは何なのか調査中です。

と、カスタマイズや下回りについて、結局じっくり見ることもなく、勉強することもなく、去っていくことになります。

がっつり山越えの林道越えしていくつもりな割には、出発が遅く、夜の林道などとてもじゃありませんが危険で走れませんので、予定は柔軟に変えるつもりながら、

窓も開け放ち、ここちよい秋風を車内に入れながらのドライブです。岩肌が広大ながけ崩れのようにも見える
武甲山、その昔はダイナマイトを使ってまで採掘が行われいたそうです。

二か月ながら数回のオフロードに、何名もの激しい乗り方。レスキュー時の無理なけん引やスタックなど抜け出すときはクラッチホイールが焦げたような香りがしていたこともあり、

若干クラッチが滑るようになり、滑りが段々大きくなっていっている感もしていましたが、

この日が最後のドライブ、乗り切れるだろうと、あまりに気にしていませんでした。

「ジムニーは登るものである」。林道に入る予定のため、ガソリン満タンのならびに「保険だと思って2,000円分ぐらい食材買っておこう」と発し、このとき自分の発言に嫌な予感もしつつ、

ドライブを続行することにします。
ジムニーに16インチを履くとタイヤハウスいっぱいになりますが、こいつの場合は言うなればAカップにHカップのブラをしたぐらいであろうスカスカぶりです。

「ジムニーは台所である」

「ジムニーは食卓である」

「ジムニーはアウトドアチェアーである」

「ジムニーは居間である」

駐車場ががらがらで、少々のつもりでこちらに止めてしまいましたが、思いのほか「ジムニーは家である」と10分ほどここで生活をしてしまいました。

我が家の隠れボス、車上飯から降りてきました。

食後のアイスを楽しみながら、

段々と山道になり、

坂が急だとクラッチが滑るな、と思いつつ、山に入っていきます。

埼玉県から群馬県に入ります。

まずい、だいぶ日が落ちてきています。

車を止めて「黄金ランドとはなんだろう」と考えている場合ではありません。

神流町(かんなまち)。

生計の立て方はどのような方法なのか、調べてみますと
石灰採掘が重要な産業とのことで、そのほか
神流町の求人を見ますと高齢化率全国2位な同町、林業や土木系に加えヘルパーの募集が目立つ印象です。
スーパー林道の文字が見えてきました。スーパー林道御荷鉾を目指し、塩沢峠に向かいます。

ここに来るまでにすでに鹿5頭超を目撃している中ですが、さらに二頭がお出迎えを頂き、

あとで歩いて戻ってくることになる、塩沢ダムでのんきに休憩をとることにします。

「顔がほわんってするやつ(ぼかし)、Aちゃんもやってみたい」とのことで、画像ソフトデビュー作「分身の術Aちゃん」を記念に掲載しておきます。

日本のモナコよろしく、人けもないところでラジコンで遊び、時間も時間ゆえ、スーパー林道御荷鉾の入り口まで行ってみよう、というプランにすることにして、

舗装されているながら、傾斜40度越えぐらいありそうな坂が続いていきます。

我が家の会長も快調です。

心理的に40度は越えているであろう急なラフロード、同オフロード、ときには大雨のあとの年間でも最悪の泥状態と聞いた難所もこなしてきた我が家のジムニー。

多少、急でも舗装路なら問題なく駆け抜ける、少し、いや段々とだいぶクラッチ滑るけどこれぐらい、と慢心があったのでしょう、続く急な坂で白煙を吹いて、ギアをいれても動かず、クラッチを踏まずともギアに入るもエンストもせず、な状態で、どうやらクラッチが焼けてしまったようで、

盛大なエンジン音と反比例する減速、そして白煙に包まれ坂の途中で止まってしまいました。「これはまずそうだ」という感想を心のトランクにしまったまま、坂を重力に従ってバックで下り、ここで止まってピクリとも動かなくなりました。携帯の電波が入らない、しかも日が沈む寸前暗くなりはじめた山奥でイベント発生です。

さっき休憩した塩沢ダムの休憩所で電波が入ることを確認しています。レッカーを手配するため、歩いて降りることにしますが、このとき17:16。

日が落ちると、山は急激に暗くなっていくことぐらいは、都会暮らしでも知っているゆえ、

心細さもマックスに、

「これが冒険かぁ。冒険楽しいね」と救いの言葉を頂きながら、歩を急ぎます。

カメラの都合で空が明るく写っていますが、段々と明らかに空の明度が落ちてきています。

猿がすぐそこで「俺たちの縄張りに勝手に入るな」のごとく「キィーキィー」と鳴き、ガサガサ音がし木の間から姿が見え、もしかしたら襲ってくるかもしれないと、心の激甚災害級な状況です。

この日の夜、すべて終わってゆっくりしていると家人から「パパって焦ることあるの?」などと聞かれることになるのですが、すぐに到来するであろう漆黒の闇を思い、かなり焦っています。が「責任者たるもの大変なときこそ冷静に判断できなければならない」が信条の一つで生きてきましたので、突発な問題発生に冷静になることには慣れているのかもしれません、が焦っています。

「安いやつはだめだね、だけど別れは寂しい」と我が子より声を頂戴しながら
現場から2キロ以上3キロ未満、塩沢ダムまで歩いてきました。早急に電話にて保険会社の無料レッカーを依頼すると、このような山の中「3乃至4時間は待つかもしれない」と覚悟していたところ「1時間ほどで到着です」との声に少しひと安堵。しかも公共の交通機関がある街まで送ってくれるとのこと助かります。長野入りを断念し、予約してあったホテルをキャンセルもします。

レッカー依頼の電話番号を仲間に教えてもらうところから始まって、保険会社とのやり取り、レッカー会社とのやり取り、受け入れ先との調整まで合わせ、もろもろ手配の電話が終わったのが18:05頃、これから急激に闇がやってきます。電波が届かない車のところで待っていることを告げ、20:00になってもレッカー車が到着しないときはダムに戻って電話すると伝え、急いでジムニーに戻ることにしますが、すぐに闇が訪れはじめました。

と、そのとき地元の方が通り、事情を話すと乗せてくれ、暗闇を歩くことなく光を灯すことが可能なジムニーへ戻ることができました。思い出の追加オプションを頂き、仕事終わりのお疲れな中に、無駄なガソリンも使わせてしまい、薄謝だけ進呈するも辞退され、

無理やりにダッシュボードへ薄謝を置き、車から離れて深々お礼を伝えるも、降りてきて「困ったときはお互い様だから」と受け取って頂けませんでしたが、ここが日本であったこと合わせ、この方に深謝御礼の次第です。少しバックしてから転回するようで、光が遠ざかっていき、

18:30あっという間に漆黒が到来です。間一髪、車の中に入ることができました。出会わずにいたら、あるいは止まってくれなければ、暗闇の中を歩いてきたことになります。危ないところでした。

幸い食糧と、ガソリンは十分にあります。電波が届かないのでアプリにて文字の練習をしたり、子供なりに時間つぶしに知恵を使い、

この日二度目となる車中飯。これはもうテントでキャンプしていると思おう、と声をかけながら、すなわち「ジムニーはテントである」と心も周囲も明鏡止水となり、

果たして場所を伝えたとおりレッカーはくるのか、もしかしたらレッカーが途中狭いところを通れず、来ないかもしれない、

そのときはこの暗闇の中、家族は車に残し、私一人でダムまで歩いていこう、熊がいたらどうしよう、明日明るくなってからにしようか、

などとも内心考えながら、しりとりしたり、ラップしりとりは却下され、この旅は、ジムニーを買った長野県の自動車販売店までの運搬業務も兼ねているのですが、レッカーがくればこのままジムニーとお別れの旨話すと「ジムニーありがとう、寂しいよ」とハンドルをすりすりし、

とにもかくにも暗闇の中に、待っていると、

来ました、来てくれました、下さいました、