
被写体の方、2歳の頃に熱が出て、感染症がないか念のため採血までして検査をしたことがあるのですが、それを本人は「4歳のときでしょあれ」とこの点だけ相違があるものの、何をされたのか細かい情景を含め「怖かった」と感想を添えて説明し覚えている記憶力はなかなかにあるほうだと感じています。

私は元々はあまり記憶力はよくないほうであり、低能ながらそれでも一定の記憶力を持つようになるまで自分なりに覚醒したのは2回、体感値があり、

一回目は自信満々に社会に出て半年後経ってから、いかに自分が通用しないかを知り、3日に一度三時間しか寝ないで仕事して、その合間に猛勉強をしたこれらのセラミックターボブースト期間、

二回目の覚醒が、30歳を数える頃に社長としてちまちま経営してきて社員殿がやっと30名になったあたりで、100名の会社をM&Aをして一気に100名超の所帯なったときに、否応なしな情報処理の必要性から覚醒をしたように感じています。
F1.2

そこからは100名と話をしても、話の内容を一言一句覚えており、会話や物事の進捗も脳内タスク管理だけでこなし、担当よりも恐らくは理解把握しており、加えて外でいくつ打ち合わせしても一切メモを取らずにすべてこれも一言一句覚えており、覚えていることをメモを取る意味が分からず、つまりは周りがなぜメモを取るのかまったく理解できず、
F2

だいぶ昔に読んだ本でも何ページあたりに何が書いてあったのか記憶があり、
F2

それらをすべて覚えているだけでなく、要点を要約もして理解しているつもりで、外での打ち合わせは当日のうちに内容につき確認メールを相手方にしていたので、これ合わせ内外相手の要望につき認識が相違しているという指摘を受けたこともなくきたので理解や記憶に齟齬もなかったケースが多いと思われますが、
F2

このブログも41歳ぐらいまでは何をどう書いたのか、センテンス合わせすべて覚えてもいましたが、今の社を立ち上げて、加齢したところに負荷をかけ過ぎたのも寄与したはずだと思いたいところで、この2年乃至3年ほどは、急激に記憶力が悪化してきました。
F2

向かってくる自転車、F1.2で「瞳にピントが合ってるかな、ぎりぎり大丈夫かな」という程度の打率ゆえ、F2にしてみれば瞳につき概ね被写界深度内といえる様相でした。

「すごいRXでもこれるんだ」と発してみると「あれ、レクサスのバッチに変えたハリアーかな」と正答はさておき、節々世の中の理解が進んでいることを聞かせてもらいました。

遺伝子の解析が進み、40歳頃からまだまだ記憶力が衰えずむしろ向上するタイプと、40歳から下降線を辿るタイプもあるということが分かってきているそうですが、どうやら残念ながら私は後者の線が濃厚ですが、

記憶力が大きく下がってきて、多くの人がメモを取る意味と気持ちを知り、

「なんでこんなことを覚えていないんだろう」という感想を持つことが会話で多くありましたが、そのような記憶力になってきて、覚えていないことに恐怖を思うようになり、「覚えていないと言っていたみんなはこんな怖い中で生きているのか。みんなすごい」と感じたものの、これはすぐに慣れ、

誰に何を話したか覚えていないようになったものの、相手も覚えていないことがほとんどだから、これが社会のマジョリティ的スタンダードと理解するようにもなり、そういえば20代の頃、私は人々の記憶の蓄積を重視し、知り合いの同年代の社長は忘れていくことを重視して、それぞれ経営デザインをしており議論もしたことがありました。社会への理解が進むにつれて、その方の言っていたことのほうが正しかったように思います。

そう、記憶とはその多くがまるでこのシャボン玉のように飛んで消えていくのだと知るようになりました。

これらを知るまでやっかいだったのは、記憶していないということは、相手の話しを集中して聞いていないからだ、としか思えなかったことであり、つまりは意識や努力が足りないと相手に要求したり、客先でもメモを取っていてはリズムが悪い、なんで覚えれないんだせめて商談終わってから筆記するればよいでのはないかと思っていたことです。

記憶しておく力だけでなく、記憶を定着させる力も下落して、41歳を超えてから出会った人は名前を一発で覚えれません。

「あっドア大丈夫?」と気にするポイントが一緒で嬉しかった瞬間。

同様にやっかいだったのが、3日に一回3時間だけしか寝ない、社会人になってから1年2年で1,000冊以上本を読む、という部類の行為態様です。

とある質問サイトで「どうやったら成功しますか」という問いかけのアドバイスとしてハードな行動量が記載されており、私には十分に可能な行動に見えたところ、そのコメントへ「再現性が低いことを書かれても参考になりません」と記載されており、これらのコンテンツを目にしたことがあるのですが「再現性が低い」と評されるアクション内容につき、

やればできることなので、やらないのは気合や意識が低いからだ、としか若い頃は理解できずにいましたが、気力に体力が減退した今は1徹も無理であり、かのようにそうやって「再現性が低い」ことが往々にしてあるのが世の中なのであるとも知ることになりました。

100mを10秒で走る人が、そうではない人へ「気合が足りない」「練習が足りない」「練習が足りないのは意識が低いからだ」「圧倒的に努力すれば必ず成功する」「この成功メソッドに従えば大丈夫」と言われても、多少は速くなったとしても、10秒では走れるようにならない人がほとんどなのと同じなのかもしれません。

30代までの社会への不理解は回り道だけでなく、ストレスも相互に莫大かつ多大に生んできたとも思い、またそうした道を歩んだ後での中年になってからの大いなる努力、すなわち過剰な肉体的負荷は、知らぬ間にストレス物質も生産し脳へマイナスかとも思い、同じ道とならぬように伝えていきたいところです。

85mm

400mm

35mm

偶然に同じ形、同じ色。

乱雑に詰め込んで、

帰り支度が整って、

機材も詰め込んで、

オフロードの時間です。

客観ビューモードを楽しみます。

「あそこをこのスピードでこう走れ」と指示が飛び、さながらリアルラジコンです。

次は主観ビューモード。FJと、

ランクルと、それぞれを疑似体験。

側方視点モード。ナナマル、

FJと、詳細は割愛しますが、ここをこう通ってここでこうUターンして、もう一回と

指定のコースを6周+特別コース1回をしましたが、我々大人もなかなかに楽しく、

ゆっさゆっさ揺れる車中Oちゃんはラダーフレームを揺り篭に途中で寝ていました。

十分堪能しました。

水たまりのシャワーを浴びて、

帰ります。

久しぶりに見る、なかなかの渋滞表示、道先案内人はグーグル先生の力を借りて、

「沼津の日帰り温泉いきたい、やっぱり昨日と同じところ」といつも日帰り温泉施設も指定がありながら、前日と同じところに帰着。SONY機記録エラーで数時間分のデータが飛んでしまい、生まれてすぐのビデオカメラからSONYデータに冷や汗をかかされたことにはじまり先般の旅行でも書き込みエラーが頻発し、耐久性合わせシステム全体の安定性に欠けることはままありましたが、過去最大の消失量です。といってもそれ以上の享受を頂いているので今後の改良に期待しつつよしとします。なおA7R2も一年ぶりぐらいにメディアを出そうとすると蓋が「キコキコ」鳴るようになりボディ歪みが生じているのかもしれず、7M2もだいぶ前から外装ラバーは何度も剥がれその度にアロンアルフアの出番ですが、これら、システム全体としての安定性、耐久性、堅牢性につきキヤノン殿やニコン殿は先を行っているとも思いますが、

SONY殿にはぜひ防塵防滴性能につき「配慮した」というユーザーの主観にあやふやに委ねるかのような判断基準不透明な点の強化もお願い申し上げたいところです。お風呂も食事も済ませて、リズムも合って、

「まだ遊ぶ隊」食後の運動です。

思いっきり体を動かします。

α6500、動画も活躍してくれて、この辺で一年前からの行き場がないデータ合わせ

メディアがいっぱいになり、

キヤノンに交代です。

光量を稼げるところで待機しましたが、どうしても6歳が向かって走ってくるスピードではAFが追い付きませんでした。なお2歳児の走るスピードではしっかりと止めて撮ることができ、SONYであればF1.4玉でも、瞳AFで追随し続けてくれます。ミラーレスにおける大口径でも動体により強くなるよう次期機に期待したいと思います。

日中晴天下の自宅室内のカーテンがあるガラス付近にて、今度はEOSRにして同様のテストをしたところAFは瞳に食いつきつつも、F1.2本来であればハイスピードレンズですが1.3段暗くなる「DS」は、絞り優先だとISO2000から4000あたりでSS1/100乃至1/150の確保までしか至らず被写体ぶれを止められずでした。ISOをもっとあげて撮りSSを稼ぐのも一つかもしれませんが、せっかくのレンズゆえ大口径動体AFの向上と合わせて、さらなる高感度性能・最新の画像エンジンのボディが出てきて、このレンズがさらに活躍の場を広げていってくれると期しつつ、

それまでは、このレンズのよさを活かせるよう、鍛錬を重ねたいと思います。

車内撮りカメラもなく、帰りは指名で私がナナマルを運転し、途中で買ったアイスコーヒーの存在すら忘れるほどこの日も盛り上がったABCソングの合唱を思い出に仕舞って、荷物を片づけ車を整える間、ベッドに招待して、

トヨタで〆るトヨタ尽くしの日、

ナナマルを新しい寝床に仕舞って、楽しい一日が過ぎていきました。