
ナナマル出動。

出だしの幹線道路にて「あっ学校行く途中に止まっているベントレーだ。ナンバー同じ」と聞いた後は勢いよくすぐに寝て、

寝ればすぐに着くんだよ、とハードオフ到着です。

この日、在庫の中で、さすがにもう残りお好みのだと指名するのはこれぐらいじゃないのか、と察したものを、

案の定「これがいい」とやはり指名して最近いろいろご教示下さる店員様が「ぼくこれいいやつなんだよ」と4.4栄一氏、中古のレンズが買えるではないかと思いつつ、過去夜の散財を持ち出さなくとも、カメラ機材への投資分を思えば何ら文句は言えません。

ホイール拭くの面倒なんだよ、でももう一回拭いておこ、と堪能しながら、

いつも「ここの釣り具屋さん寄ればいいじゃん」と通るたびに指摘されていたお店へ入ります。

翌週末に釣りのお誘いを受けているので、いよいよ私の重い腰が稼働です。

一応他のも見てみれば、との提案を受け入れて一通り回してみたものの、最初に目を付けたリールが気に入り、

ロッドも数本見て、決めました。釣り具デビューです。

この数日後、youtubeで釣り動画も見出します。

思ってみれば、釣りであれば我が子と共にこれから先々に渡って過ごせる息の長い趣味とすることができるやもしれません。フナ虫等怖く、あるいは自然は怖く、毒を持った生物にも注意をしていかねばなりません。

一つずつ解明されていく謎のごとく「これに使うんだ、前のオーナーすごいね!」とロッド置き場を発見し、

ランクルの使用用途も広がりを見せつつ、

「もう一回拭いておこ」と次へ向かいます。

到着しても、ホイールや、

リアガラスおよび「裏側ももう一回拭いておきたいんだよ」と、濡れティッシュと仕上げの乾いたティッシュで洗車して、

この日は週末ゆえ多少は多いものの、それでもコロナ以前と比べると半分ほどか、

いつもの日帰り温泉駐車場に到着です。

このときのドライブ、
昨年一緒に作った静岡の拠点たる事務所「ねぇパパ、静岡の会社はさ、みんな休憩とかタバコはベランダで吸っているの?」と、やたらと確認してきて、みんなの休憩を気遣ったような風合いを会話で感じた次第ですが、

自分で作った会社、という認識もあるのか今はどのような人がいるのか、さらにその確認をしてきました。

静岡は支店として稼働し始めてもう少しで一年ほど、70名の所帯を数えるようになりましたが「パパもっと広いところも借りて、もっと大きくしようよ」と立派な提案までくれました。

「俺、聞いたことある会社の人の名前は忘れないよ」と私がすぐに出てこないような人も「Hさんの横にいた人だよ」と説明してくれたり、

このとき何より嬉しかったのが、「ねぇパパ?」

「なあに?」

「おれ早くパパの会社で仕事したい」とぽつりと言ってくれたことです。

お風呂もして、夕食も済ませ、「土手行きたい」ということで、

散歩に向かいます。

「はじめはさ、ハンコ押すぐらいしかできないけど、早く手伝いたい、みんなと同じように働いてみたい」

と嬉しい言葉が続き、

フロント業務からバックオフィス、あるいは経営について改めて話をしてみました。

そして「もうすでに意思決定という、10年20年やって少しいっぱしになっていく、長きに渡って成長が必要と考えられる事項につき、もう十分に手伝いをしてもらっているよ」と付け加えました。意思決定とは「たとえばこの車がどこに行くのかあてもなくただただ一日中ずっとあっちこっち走っていてもしかたがない、どこに行くのか、その目的地を決めるというのが意思決定であり、大切な仕事だよ」と伝えました。

一か月、半年、一年で一丁前の仕事をすることができるようになる業務も少なくないと思いますが、そのような仕事もやがてやってみて、他方で経営を考え、意思決定する、という分野は下手をすると一端がないような分野に思わなくもありませんが、これから20年かけて経営やその考え方を仕込んでいくから、そしてそれはもう始まっていて、できるようになるには素質と考え方が大切だと思う中に、前者は問題ないから、とも伝えてみました。

「見て見て、サスペンション動いている」と毎度のサスペンションを揺らす儀式。ドラえもんスネ夫家等を見ていて会社でのヒエラルキーにつき「パパは偉いのか?」と質問をされることもあります。「パパは若い頃は自分が偉いと勘違いして『これやれ』って命令したけど、そうじゃなくてそれぞれ役割が違うだけで、別に社長や会長っていうのは偉いわけではなく今は『お願い申し上げます。』ってお願いをするようになったよ」とも会話してみて、

「俺会社の人、みんな大好き」と聞き、「あれ、ボンネットは少し凹むよ」と現場調査も順調に、

もうしばらく外気と車上を堪能するようです。

帰りにガソリンを入れますが、

満タンで120リッター入るガソリンタンク、登録は中型ですがここまで入る普通自動車はそうはなく、GLでも容量100リッターぐらいでしたが、

なぜナナマルはそれだけ大きなガソリンタンクなのか、世界中の僻地で走ることを想定してという説明もして、

帰宅して、FD→EFとFD→RFそれぞれのアダプターもアマゾン氏からポストに届いており、過去からやってきたレンズと戯れる時間です。

俺がやりたい、と

まずはEFマウントである1DX2号機へ。

「おぉ」と、つきました。

まだAFがない時代のレンズ、マニュアルです。

最近では「カメラ」という概念に加えて、「1DX」と商品名およびポジショニングや差異などを少しずつ認識するようになりました。

「ワンディーエックス2つもあるの?」「ううん」と言って三本指を立てれば「スリーまで出てるの?」とミスコミュニケーション経由の、なぜ最新のスリーを買わないのか「R5見てからにしようと思って」「アールファイブ?」と会話は続いていくこの頃です。

仕事の電話中、一眼での撮影タイムはその姿を撮り逃しましたが、お気に入りの迷彩ニコンなどで、1/18モデルの撮影会。

私もEFマウントにつけた、FDレンズを試しますが、EFよりもFDマウントのほうがフランジバックが短いため補正レンズ内蔵レンズマウントアダプターということになるようなのですが、開放だと写真のような描写になることもあるようです。

1980年(昭和55年)10月発売の「F1.2」の「L」レンズ、今度はキャノン最新RFマウントに着けてみます。

ボディとレンズを外すところから、アダプターを付けてボディに装着するまで「おれがやりたい」で託します。

翌日公園散歩に持ち出しますが、何らの問題がない組み合わせとなります。初めは「絞れない」と思いましたが、よく見ると絞りロック機構もついているアダプターでした。フランジバックが短いミラーレス、古いレンズをキヤノンボディでも楽しめるようになりました。

F2.8通しの24mmで、二世代前の1DXにてISO20000、

同じくF2.8通し70mmのISO25600。拡大すればノイズもあり、あるいは無論ISOを下げて撮る努力も大切かと思いながら、しかしこの描写。フルサイズ1,600万画素の画素ピッチの余裕は未だに健在に思います。

EOSR+
FD50mmF1.2という昭和55年発売VS、

EOSR+
Serenar (Canon)50mm F1.8 Iという昭和26年発売。団塊世代とそのジュニア付近の世代差です。という余興の夜。