
そうした場合、多くのケースにおいて学校の存在意義はどうなるのか、人らしく生きるための教養を身に着ける場となれば、学歴はどう関係してくるようになるのか、ロボットが収入まで代行してくれるようになると人間は社会に出て仕事をしなくてよいわけですので、遊ぶ以外にすることがないケースが大半となり、

生産性だけでなく創造性すらもロボットへアウトソーシングすることになり、

一部はそれが最高である、という価値観もあろうかと思いますが、実際にそうなれば多くの人が暇でつまらない100年を過ごしていくことになるやもしれません。そうなれば近場の釣り堀も、パチンコも、キャンプ場も、遊園地も、そしてスシローも入れ代わり立ち代わり平日からすし詰め状況も予想され、遊ぶのが一苦労の連続で苦痛、という状況になるやもしれません。もっともロボットが代わりに働くことはあっても、収入を自動で稼いできてくれるという時代にはならないと思いますが、

という想像をしてみても、事業をやる、仕事をやる、というのは人類にとって最良な時間の過ごし方、命の削り方といえるかもしれません。

「一代一事業」、何もまったくの新分野である必要はないと思います。垂直展開、あるいはノウハウを活かして水平展開、または一分野につき敷衍してみる、でも十分な一事業かとも思いますが、

いずれにしても楽しんでもらえるよう、我が家でもそのような家訓を頂いてみたいと思い、そうやれるように、やってもらえるように、この最高にエキサイティングでエンジョイできる合わせて仕事というもの、事業というもの、経営というものにつき、

そのコツを、または風情を堪能したり理解するために「有効な無駄」というものもあろうかと思いますが、人生かけて知るような壮大な無駄は小まめに伝えてみて、

これから100年、「何分?」「何秒?」と聞かれそれぞれ876,000時間、5256万分、31億5360万秒とグーグル先生が即座にご教示をくれ、たとえば87万時間を円の単位に変えると87万円、現在6歳、実質勝負どころが決まる最終が35歳とすれば、29年間、かつ活動時間を一日10時間とした29年分は105850時間、同じく円の単位に置き換えてみれば10万円。10万円を消費するあっという間さという体感値で実感をしてみて、

これらの時間をどう生き抜いていくか、できるだけ苦痛なく、辛苦はあっても楽しい時間のほうが多く、できるだけ健康に、そして幸福感に溢れながら

過ごしていってもらえたらと願ってやみません。

方々「厳しい考え方」と「緩い考え方」どちらを採るか、一ヵ月に25%の緩いか遅い考え方、判断、決断等の行動様式との差異を見てみると、厳しく隙なく攻めていく考え方を100%とした場合、二ヵ月目には200%、半年経てば600%、1年後には1200%、少し緩く毎月75%の出力であれば二ヵ月目に150%、半年後に450%、一年後900%となり、一年で300%の差異になることになりますが、そうして10年経ったとき12,000%と、9,000%という差異になってくる机上の単純計算となりそうです。

実社会、現実において、スピーディーだったり、どん欲に追求するタイプと、おっとりした考え方のタイプでは、どれぐらいの差異があるか、経験値や体感値として、前者は即座に仕事を片付ける性質の方が多く、後者は指示がなければ早くとも三日経ってからゆっくりと着手するぐらいの差があるように見受けるところ、

こうしてみれば三日遅いのを三倍ほどの効率性の違いといえなくもないですが、これを基礎として仮置きすれば、前者を100%とした場合、後者は30%の作業消化率となり、年間1200%vs360%、20年で24,000%と7,200%の生産性の差が生まれていくことになります。しかし実際は、一例として生産的な仕事の場合、たとえば営業で考えてみますと、前者の方が素早く動き客さへ向かい、後者の方はゆっくり客先へ数日後に行ってみれば既にお客さんや仕事を取られゼロという結果が待っており、あるいは研究職であれば後者の方の取り組みが成果となる前に多くの場合行動量すなわち研究量が多い前者が発見を済まし等、100%と0%という結実に着地することは、社会に出た大人であればよく知っていることかもしれません。そして長きに渡って会社でも前者後者の差異が生まれて来ることが、大手という食うべき財産が莫大に残っていた場合でもあるように思います。

どっちがよいか、という価値観はさておき、先行利益者がこけるのをじっと待つ残存者利益を狙う場合もありつつも、少なくともこうした積み重ねが大きな差異になっていくのだということは、社会に出て20年を生きて来て実感するところで、

紙の厚さ一枚分を毎日重ねれば、10年で3,650枚の、20年で7,300枚の、それぞれ厚みがあるナレッジなり、A4で7,300枚なら約65cmの高さの知恵なりが集積していき、同じくA4仮に片面だけの知識量として面積455万平方ミリメートル分、約137坪ほどとなり両面分なら274坪分の叡智となり、ここから不要なものがばっさばっさアンインストールされ、有効な情報だけが残り、残った点と点が有機的に繋がり、立体的な思考や知識となって、その差異は立方平方ではダークマターのように観測が極めて困難のもので構成されるようになり比べようもなく、

となって、いくように思われ、

加齢していくと、読書一枚が重労働化していきますゆえ、いかにこれを若いときのタスクに埋め込んでおくかが、人生の大きな分岐点と考えます。

優しいママが、バックの中に凍らせたこんにゃくゼリーを入れてくれ、ゼリーのごみを入れる袋をバックにつけてくれて、自転車を仕入れに出かけることにします。

一ヵ月に一度、二度程度、腕立て伏せをしても意味がないのと同じく、一ヵ月に一枚めくる程度、一冊読む程度ではまったく意味をなさなず、日々継続して一定の量を行うことが重要で、脳のインナーマッスルを鍛える、脳の体幹を鍛える、という感覚が必要なのかもしれません。

浮かび上がるこの建物の前職。出先で売り物を見るにつけ「売値はだいだいいくらか」予想をしてみて、「ビジネスチャンスとしていくらなら買いか」も考えてあとでネットで探してみて答え合わせをしてみることにします。

保土ヶ谷PAにて、そろそろ見ることができなくる光景かもしれないと思いながらスタンプして、

ここで
サーフボードが載ったワーゲンのミニカー売っていたの覚えてる?などと会話しながら、

神奈川や横浜といえばアンパンマンミュージアムや
CP+に行ったこと、
赤レンガ倉庫も暑いときにいったなど、懐かしく思い出されます。

「釣り用かな、いずれにしても人生楽しんでいるよね」「確かに」と二人で改造された前車につき会話させて頂きながら、

自転車店の近くに到着し、まずは少々ストアに寄ります。

花火を買う約束をしていたので、大好きなバンドエイドと合わせて

10分か15分程度、5,000円ほどの駐車料とさせて頂き、

気になる数台を見せて頂きます。

製造国は中国か台湾ばかりな時代とのことですが、メーカーはイギリス、スペイン、アメリカと三台跨らせてもらい、どれも中学生ぐらいが使うBMXサイズとのことですが、普通に乗る分には足も届くので、

早々に一台に決めて、調整の間付近へ出かけることにします。

鉢巻をつくりかけ、

目的としていた自転車店がたまたまパパが通った幼稚園の近くだったので「行ってみたい」と、5分程度の道のり車を走らせることにしました。

後日ばぁばへいつも以上に「パパの小さいとき」を丹念に質問してくれていましたが、おじさんの幼少期に興味を持ってくれるこの世にたった1人の有難い存在でもあります。

「うわぁおっきい」と感想を聞きながら、芋ほりしたことや、

八百屋の須藤君や最も仲がよかったたくちゃんのことを思い出しながら子供の頃に通った道を我が子を乗せて感慨深く走らせてみて、

「あとでここ来たい」と公園のオーダーを聞きながら、江の島でも行ってイタリアンランチにしようと相成り、

我が子と二人、男の湘南ドライブです。

江の島に向かう海岸線、なかなかに渋滞していて進みません。

だいぶ時間も消化したところで、

江の島手前のPに車を入れてみて、

江の島は今度渡ることにして、

湘南の海、その雰囲気を楽しんで、

「パパもう自転車屋さんの前に行って待ってようよ」

「ご飯はコンビニでいいよ」との提案と懇願に、

出来上がりまでほどなくいい時間、自転車店方面に戻ることにします。

タコマのオープンテラスでお蕎麦とそうめんを半分ずつ食べて、
昔バナナは高級品だったと聞いていますが、有難いことに安価にコンビニでいつでも手軽に買えるバナナをデザートにして、ランチを済ませたところで、

「出来上がりました」と電話が入ります。

大興奮の、

煌びやかな心にワクワクが加算され、

固唾を呑む静謐なドキドキも付加されて、

ご対面、

そしてご説明を一通り頂きまして、納車です。

「速く走るスポーツタイプでもなく、泥や砂が走れるオフロードタイプでもなく、これは曲芸用だからね」「曲芸って?」と、乗り味を確かめて、

さらに乗り心地を堪能するために、

「自分で上げる」

「パパ早く」と途中までがんばって、

「ここで走らせたい」、と通りすがりにオーダーされていた公園に寄っていくことにします。水分補給もして、

40年前以上に、パパがうろついていたあたり、

現代から、

このような光景だったのかと思いながら、色も被り気味に昭和の車がお出迎えの、昭和の時代へシンクロしてくるタイムマシーンマネジメントの入り口です。

タイムパトロール隊、隊長出動。

来てみれば、45年前とまったく同じ滑り台がまだ残っていました。

同じ公園、同じ遊具で、同じように遊ぶ瞬間が、40年の時を経て再現されるとは思いもよらず、

不思議な感慨深さを、この公園とこの子がくれるひととき。

「パパもここで遊んだの?」

「あっちも行ってみたい」

「パパがちっちゃい頃住んでたところも見てみたい」やはりこの世で1人、そう思ってくれる存在と向かってみることにします。

私が子供の頃だった昭和50年代初頭は、

ここから富士山が見通せて、夕日に染まる赤い富士をよく見たあの光景を覚えています。

道路もまだ砂利に近いような未整備でした。「ここ?どれがそうなの?」「ここからこの辺とあの奥のところまでだから、9戸分、いや6戸分かな、あのマンションは当時からあったよ、パパはあのマンションが怖くて怖くて」と、地産マンションの赤い「ち」の字が、とくに夜は不気味にライトアップされていたのが強烈に印象に残っていますが、マンションもまだ健在でした。

私が泣くといつも駆けつけてくれていたお向かいの超大金持ちなおじいさんSさんが住んでいたあたりは軒並みアパートになっており、いつもアメ車が止まっていた歯医者さんもなくなっていて、自分の鼻水をいつもがぶ飲みして私をおかっけてきていた女の子ちいちゃんの家もすっかり面影がなく、ときの流れを感じつつこの子も今の記憶がこうして残っていくのかと想像してみながら、「もう一回公園行きたい」「よし、いこう」と、

儚い記憶を繋ぐ瞬間を頂きながら、

どう見ても最近や平成のデザインではない、このキノコみたいなテーブルに椅子もまだ残っているとは、当該市の物持ちの良さとメンテを重ねてきたであろう綺麗な塗装具合に驚きながらドリフト気味に凄まじいタイムスリップを享受です。

ブランコなど一部はなくなっているものもありますが、モニュメントに合理性を求めてはならない、かの方程式を見つけたのごとくこれも40年前にあったような気がします。

この公園は海のすぐ近くありながら、市営プールも併設をされており、その歴史を確認してみれば、昭和30年代頃このあたりの湘南は遊泳禁止で、子供達が泳げるところをと市民の嘆願で作られたと知りました。方々に歴史を感じます。

滑り台やってみたい、

42年ほど前の写真を確認しても、やはりどうやら変わっていないようです。
つづく