EOS 5DsR + otus85/1.4

M11へ装着してノクティルックスのレビュー。をしてみたい、という希望の意でタイトルは盛り気味に、な割には出だし別の機材で木曜日の登校をお見送りして、
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

木曜日のご飯、
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

金曜日の朝方、
EOS 5DsR + otus85/1.4

金曜日の日中、
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

金曜日の夕方、大好きな抹茶のフラッペをママが用意してくれてあって、これをお伴にひとっぷろ浴びて、
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

習い事を済ませて、自転車のステッカーチューン。
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

といってもテープで。

夜はまたお風呂して、

翌日は土曜日登校を済ませ「お風呂入る」と言うも「ホテル行くんだから、ちょっと待てい」と宥めつつ、なかなかの量な宿題を片づけて、
EOS 5DsR + otus85/1.4

水が芸術を作り、それを写真に撮るとカメラを握り、
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

あれやこれや余裕の時間を過ごして、

お腹が空いてもけして食べることができない、かつ猫に小判的の何ら役に立たない置物として購入したブツ、帽子掛けとなっているこれをそろそろリリースしようか思いながら、

掃き掃除をしてくれて、

水曜ぐらいに「週末はベイ行きたい」とオーダー、いや有難い提案が入っていたので、これの履行に出発です。

コーヒーを買ってもらい、置きピンで出待ちして、

首都高で行きたかったとクレームを頂きつつ帰りは要望に応えるとしてナビ、グーグル共に指定する第三京浜を目指して

世田谷を走っていると、

丁度ラジオからバッキンガムという曲名な「世田谷の曲」が流れました。

丁度ここだよ、ここと面白いラジオとのシンクロ体験をさせてもらいながら、

手前のビル某銀行の本店ですが「ここの法務部に乗り込んだもんなぁ」「なんで?」「パパが買った会社になんでこんな条件でリース契約や融資したんですか、この契約はひどすぎるから見直せって文句言いに行ったんだよ」

「当時、法務部長を筆頭に何人も出てきてさ、意外と法律知らないんだなって思ったけどそれがちゃんと論破したんだよ。一部契約内容を巻き直してもらって、そうしたら違う部署のS部長って人に面白い子だなぁって思ってもらったのか、気に入られてそのあとよくご飯一緒にいこうって誘われて、うちの娘と同じ年なのに偉いよとか言われたり、あと何年で定年だと聞きながらよくお昼ご馳走になったよ」

ママが「パパすごいよねぇ」と合いの手を入れてくれましたが「若いからできたんだよ」と、乗り込んだのが25歳か26歳ぐらい、産声をあげてまだヨチヨチ歩きの会社、頼りになりそうなのが誰も社内にいなかったので一人で乗り込みましたが、当時はベンチャーブームがあり、合併目前だった興銀のお歴々が小汚い事務所の小さい会社に興味本位で毎夜遊びに来るような状況だったものですから、虎の威を借りながらのネゴシエータースネ夫が世間知らず、社会を知らずだから出来たのだと思い返します。

というスネ夫氏、若干の興銀マウントを使ったのだと思いますが、どんな論法だったのかすっかり忘れ、かつ今ならどんな論法を組み立てるのか思いもつきませんが、当時担当支店ではなく、いきなり本店法務部を訪ねて行くあたり、相手にとって迷惑だったのは鉄板だとして、プラス非日常だったかもしれません。

ご飯によく誘って下さった部長氏は80歳を数える頃あたりになっていらっしゃるのか、定年後はどうなさってきたのか気になりつつ、定年といえば25~30年ぐらい前。今40歳の方が小学生とか中学生な頃は、定年55歳が当たり前という時代だったのか、

ネットで確認してみると、1986年企業に対して60歳定年制が努力義務となり、1998年60歳定年が義務化されるよりも前に90年代には実際に60歳定年制が段々スタンダード化され、思ってみればそうした60歳定年制が当たり前で来たのはこの20年余年程度、

気が付けば今度は定年65歳と言われるようになりこれを飛び級するかのように、いつの間に70歳定年が努力義務となっていて、今や定年70歳やら定年制なしという雰囲気も十分生まれ熟成が確実視され始め、これらさらに定年が高齢化しいくことが見込まれ、他方でビジネスモデルの破壊が各方面で散発続発し、お若い層では終身雇用に期待しない環境の方々も増加傾向の中に本職仕事の時間は制限される一方で副業は解禁され結局トータルとして不安定化が増しながらも「もっと働けや」となり、今50歳の人々が70歳になる20年後はどうなっていることやら、ましてや今の子達は人生百年時代、年を重ねての労働は、たとえば休憩を取るタイミングが体力が段違いな若い人と同じであること一つ考えても大変です。

登録するだけのホテル会員になったので、ネットでチェックインでき、窓口ではスムースになるとのこと、

通常のところに並ぶ必要もなく画面を見せるだけのショートカットで、ささっとチェックインが終わりました。

国民宿舎熱川荘と同等以上の素晴らしいチェックインシステムです。

小田原ヒル〇ン始め、その他幾つかのヒ〇トンも同様かと思いますが、同ホテル会員様は、会員様専用の列に並ぶことになり、結局一般宿泊者と同等同様にピーク時1.5時間並ぶ環境です。有料会員を募るときは特典だけ説明し恐らくその実態を説明しないのだと思いますが、もう一人受付を充てるだけでいいので見直した方がよいと重ねて思う次第です。殊に小田原ヒル〇ンは、450億円を超える公金を庶民から巻き上げて勤労者がリフレッシュができるよう当初スパウザ小田原として無駄使い的に誕生し厚生省外郭団体→小田原市→ヒルトン→森ビルと建設費からすれば二束三文で所有者が転々と変わっており、現在は収益還元法からもしても利回りを下げるわけにはいかない目線があり、追加コストに厳しいのかもしれません。

チェックイン混雑時の時間帯だけスポット的にOBあるいはシルバーセンターから短時間労働力を調達すればよいと思うのですが、今のところは会員様および宿泊者に負担負荷を強いているようです。

元々チェックインに手間がかからない方のホテルですが、大幅なチェックインの円滑化を有難く受け、勝手にセカンドハウスと思っているところへ久しぶりに帰って来て、

バルコニー付としては横浜では唯一のホテル、今後新たに建設されるホテルで窓が開くことはないであろうという意味でも広くこの先貴重なホテル、偶に暴走族も煩いですが船の汽笛が聞こえてきたり風情もたまりません。我が子を思えば30年後も40年後も横浜ベイホテル東急に存立していて欲しいと願いながら、さっそくの裸族体制。

弊社については、週末や一部夜の対応窓口などシルバー派遣を利用してみてはどうかとお若い経営陣へ提案をしてみていますが、まだ進んでいません。

これからの時代65歳、70歳、あるいはそれ以上働き続けねばならず、そして年金は細っていく一方、負担する側も苦しくなる一方、

あるいはこれから社会に出る方々、大企業勤めでも20年後、30年後など分からない世相。

ゆえに公務員人気がさらに高まるのだと思いますがその席は限られあるいは殊に地方においては採用枠減少傾向や非正規化、委託化、民営化がより進むものと考えられ、いずれにせよあれやこれや人生において働く期間がどんどん長くなり、55歳や60歳から余生を楽しむならいざ知らず、70歳やそれを過ぎても働く必要ある社会では余生もくそもなくかのようで、総合的にそもそも何のために生きているのか分からなくなってしまう世知辛さが増していきそうです。

朝から「夜ご飯はマックにしたい」「いいよ、部屋で食べてゆっくりしよう」と決まっていた夕ご飯。到着して「お風呂入る」という第一声を「いいけど、ちょっと待った方がいい。一緒に買い出し行こうよ」とウエイトさせて、

みんなでお腹が空いたということで、買い出しです。

我が子には充実したり、楽しんでもらいたく思い、という意味で大学へ行ってもらいたいと考えており、

大学に行ったらしこたま遊び、そして知的探求たる学問とガッツリ触れ合ってほしいとも考えていますが、一方で学歴というものを重視していません。学歴はあるに越したことはないかと思いますが、それよりも感性や個性を伸ばし活かすことのほうが大切なのではないかと考えています。

お誘いを受けたので一応本人へ諮ってみましたが、子供の頃から塾へ行き、習い事もこなしながら塾と学校の合わせて膨大な宿題だけで毎日終わっていく子供時代という時間を過ごし、それが楽しければ格別として何になるのか、世の中を見渡した時にほとんどのケースで社会に出てから意味をなしていないと感じます。子供の頃から時間にがんじがらめ大学だけ遊んでそして社会に出てから毎日仕事に追われ今は60歳、すぐ65歳、やがて70歳以上まで働き続けて人生が過ぎ、終わって行く。それでいいのだろうか、ということを、労働期間の延伸時代に一考してみてもいいのではないかと思う次第です。

ところでこのレンズ、ローキー、ハイキーそれぞれに特別な味があって、殊の外に楽しいガラス玉に思いました。

ハイキーにすると見たことがないような雰囲気や世界観を作ってくれたり、あるいはハイライトは気持ちよいほどに抜けがよかったり、

ローキーにしたらしたで空間にいい味出していたり、もしくはアンダー部分は吸い込まれるような暗部を持っていたり、金属を撮れば抜けの良いハイライトと相まってぬるっとしていたり、

という様相で、どんなに人生努力しようが、頑張ろうが、レンズがどうとか、youtubeの動画を見れば「シャッター音比較」というコンテンツが某企業からもUPされていて、塾や予備校も行って大卒を得て就職した社員殿もいると推察される中に、かような社員氏達がシャッター音比較をして動画を整えてUPしているであろう、そしてそれを「あぁいいシャッター音だ」と楽しむ大人やおっさん(私)がいて、成長したいとか、散々頑張ったり大変な思い、辛い経験をして、壁を突破して生きて来て「シャッター音がいいかどうか」を楽しむことに収斂するのが人生です、と最近思います。子育てが離れて行くに従い、この傾向は益々強まるように思います。

そして標準レンズで最短撮影距離1mというのが久しぶりでこれに泣かされますが、しかし最短撮影距離にディスタンスが必要なことは写真をライカから教わっているかのようにも思い、

「あぁ50mmってやっぱ楽しいな。むちゃくちゃ楽しいな。どう撮るか考えさせられる。やっぱ50mmはいい」と思わせてくれました。そして明度差も面白く切り取ってくれるレンズ。実に不思議なレンズです。と、レンズやシャッター音の良しあしに帰着するのが人生、成長したいと思って生きてきた結果がシャッター音の良しあし、と思うわけで、であるとすれば、何のために子供の頃から勉強を頑張るんだろう、と思ってしまわなくもない次第です。カメラに限らず、キャンプして焚火を見るのが楽しい、仕事なんて早く片づけて休日キャンプへ行く、それが僕の楽しみです、というような人生そこに行く着くために子供の頃からの努力が必要なのだろうか、塾へ通うことなだろうか、みたいに思うわけです。

夜マック、パテ倍増し。これが実に美味しかった。ベルビューでよく通った移民のおじさんが焼いてくれたローカルの世界一美味しいバーガー屋さんだろうと思っていたところの味に負けぬ美味しさ。それがビックマックパテ倍増し。

ちょっと寒くて案の定温かいうちは滅法にうまいポテトはすぐ冷えてしまいましたが、ゆえに部屋で食べると付き合ってくれず、

ホテルの香りやバーガーの香り、ケチャップの匂いなど混ざって、THEアメリカのホテルみたいな匂いに包まれ、それはそれで旅情UPのチートになったかもしれません。

と、マックがあるおかげで腹ごしらえできたり、人生の幸福感が増すことすら往々にしてあり、概ねどのような仕事であっても「社会貢献性」とか「誰かの役に立つ」があるわけですが、

精一杯のさらに一杯20年間社会貢献感を持って仕事できたとして「もういいだろう」「もうやれるだけ社会貢献は俺なりにやり切ったはずだ」「人を育てた」「たくさんの社員を食べさせてきた」「業界を変えた」「世に新しい技術・商品を提供した」「お客様に全力で貢献してきたと思う。もうやれることはやった」みたいな満腹感のような心情になる人生のタームがあって、社会のためにとか、そういうのも万能ツールでないと思うわけでして、子供の頃は塾とその宿題でがんじがらめ、社会に出てからは朽ちるまで働き、そしてたどり着くのがシャッター音の良しあしみたいな、という社会に慣れるまではとまどいが生まれやすく、

これからを見たときに、今の時代「仕事ってなんだろう」とか「働くってなんだろう」「なぜこうも働くのだろう」そして「生きるって何だろう」と改めて考えてみたり、見つめ合ったりが必要で大切な時代なのかもしれません、というような気がします。

お風呂一回目。

爆発しているかのような輝きすぎる街。このように撮れたのは初めてかもしれません。

お風呂二回目。

ママが写っているのでだいぶトリミングしましたが、この場合であればボケに不自然感もなく、M11のトリミング耐性が遺憾なく発揮されているように思い、これに限らずM11のレンジファインダーでの合焦もやりやすく、特筆するべきがこの大口径レンズ、つまりは少々重量級を装着しても、合わせた重量がほどよくて首に長時間かけていても疲れが少ない点を挙げたいと思います。
SONY RX100M6

お腹が空いたので買い出し。ママに何かいるものはあるか電話すればチュリスハイボールのオーダーを受けますが「ビールも買って行ってあげよ」と、特に最近ママには優しさに溢れていて、
SONY RX100M6

昔は「パパ、散歩いこ」と誘ってくれたのに、近年は「〇〇買ってきて」「いかない」等、散歩に誘ってもいかなくなって、久しぶりに一緒の夜散歩。
leica M11 + NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH

そして夕ご飯二回目。