
「カメラを持って出かけるのが懐かしい感覚」を携えて、

レヴォーグ暫定置き場へ到着。6月まではこれで運用できる予定の中に、いまよき屋根付き駐車場の空きがあるのですが、ちょい高いのでどうしようか熟慮中。

40代半ばぐらいからだったかな、しみじみ「あぁいい車だ」「あぁこの車もいい車だ」と運転中よく発するようになり、ママから「どの車に乗っても『いい車いい車』っていうじゃん」と言ってることは本当なのか?的な指摘されたことがあったのですが、年のせいなのかそう感じるようになちゃって、その中でもこれはトップクラスに位置する「あぁ幸せだ」と幸福感すら与えてくれる一台にテンションもかなり上がります。

そしてここのラーメンも高い幸福度をくれます。「あぁマジすげー幸せ」。ヘロヘロのぼろぼろになって各所切れ、黄色いハンカチ3歩手前ぐらいに黄ばんでいたのれんが、下ろし立て道着のようにバリッと純白の真っ新に新調されていて、それはまだまだこの先長きに渡ってお店を続けていくぞ!という公式発表の不退転なメッセージにも見えて、営業時間の変遷からいつ無くなるかひやひやしていたのですが、幸福製造所の存在そして存続に望外の喜びと感謝を重ねます。

という観点でいえば、「うぉ~かっこいい」「うわすごっ」とか思うことはあってもカメラそのもので「あぁ幸せ」としみじみ感じたことはないかも。写真も過去の幸せや現状の幸せを確認することはあっても、あるいはしみじみ「これはいい写真だなぁ」とか思ったり、感動とかすることはあるのかもしれないけど写真そのもので「あぁ幸せ」という感情に繋がりにくい気がする。なんでだろう。ちなみに写真の主な役割は学術的は除いて、芸術的なのは分からないけど、個人的であろうと商業的であろうとゲートウェイな気がしています。ところで食前はGFX100RFセンサーサイズと同じとなる通常の4:3比率で撮ったのですが、「俺が撮りたいのはトナラー状態だけだ」に呼応してくれる、食後に改めてアスペクト比17:6をカメラボディ特別区一等地に配されたダイヤルで選択。4:3だと本当は別に撮りたくない後ろの光景を場所特定要素などを入れないようにとかSNSを意識しながら構図を考えることもある時代だけど、なるほどセンサーサイズに依存しない構図が可能になって、これ地味に革命かも。センサーサイズをカメラから押し付けられるのではなく「センサーサイズは俺が決めるんだ!」レヴォリューション。そして極論すれば「俺のセンサーサイズ」を選択可能。

ラーメンで得た高い幸福感を消費し、他に欲しいものはない満足感は消化してですり減らしながら、直帰も寂しいので特に行く必要がないというママを説得してスーパーへ仕入れ業務に。たとえばこの一枚。シャオミであれば、たった指一本を僅か動かすだけなAIで車体に写り込むまぬけな自分を消してくれるので、写り込みを意識せず撮れるけど、カメラで撮るとPCにデータを取り込んでさらにソフトを立ち上げ、ソフトにデータを読み込んで作業して手動で消す必要があって何階層もの動線がありそれが面倒で躊躇し自分が写り込まない位置を探して撮ったり、本来これを撮りたい場所から移動して撮ったりという事実上の制約がカメラにはまだあり、事実上そうした制約なきスマホのほうが結局自由度が高く、それも競争項目なのだなと思いました。しかも画角が手のひらサイズで選びたい放題な画角を押し付けられることもない大外刈りでダメ押し。

というプロダクトどうこうというよりも、人間の感覚や購買行動が変わっていく端緒や核心を紐解いてみて考えるのが楽しいわけなのですが、こうした場所でもカメラ。というのも久しぶり。

いつもいなげや様酪王殿の横でシェア争いをしている「わたぼく」殿の紅茶があったので買ってみました。過日沖縄からの帰り、機内隣に座ったおじ様が「優雅なじゃがりこ」を一本一本大切に時間をかけて召し上がっていて、そのおじ様が私の強烈なインフルエンサーとなって8個目のじゃがりこ。じゃがりこロングがコンビニ220~230円、こちらのスーパー158円。スーパーで買えばコンビニ比なんと「3個に1個おまけでついてくる」レベル以上の価格差を発見。大きいよ、これ。という、じゃがりこを買いまくるまでの購買機会になった動機や、価格差を知るまでのきっかけが、おじさんが横でじゃがりこ食べていただけなのが面白い。

お義母さんの実家をみんなの2ndハウスにする計画。一昨日ぐらい役場様から解体助成の認定を頂き、これでいつでも解体できることとなり、いよいよ明日から解体着手。さぁいよいよだ感が高まってきた。ネギがラゲッジマットに接触しないように気をつけて積み込み。

宿泊料最安級にこだわって斑にじゃらんモニターターム中、ママから毎日「安達太良の宿、ちゃんとチェックしているの?」と確認されたあとまだ帰りたくないので、ママを自宅に降ろして小一時間次のスーパーへソロドライブをします。スーパーはしご。なお撮っているのはスバルです。

社の営業所、私のコンセンサスの定義たる「自分達で決めた感」をホールドしてもらいつつ倍増計画から三倍増計画へアップデートの大盛割り増しの役員会決議がされ、社長が最も熱く取り組んで下さっていると聞こえて来ながら、お若い方々がこれも自分達で決めて下さった垂直展開の新規事業に必要な資格試験に祝合格したりしつつ、同時並行にて熱量持って「自分が担当したい」と言って下さる副社長もいらっしゃってくれるようで、管理体制の敷衍を行いながらこれから営業所は3倍増にするもトラブルは1.2倍増ぐらいで抑制進化させつつバグも少なめな怒涛の第二成長期を総じては恙無く進んでくれることを願います。

1.5ヵ年計画とのことですが、計画通りに行ってすべてのまたは8割の営業所が軌道に乗るまで満2年かな。これで大台に乗るので、完全引退にまた一歩近づくことになり、つまりは私はお役御免が益々進むことになる見通しです。これら頂く情熱が将来、冥途の土産その一つかもしれません。

この時期1週間と経てば無論のこと、数日いや一日でも新緑の成長を感じます。新緑とフォレスター、なんか合う。

拡大しないとスマホ画面では恐らく確認できない、レヴォーグ右の赤囲いの中のおじさん。オリジナル画像を等倍で見ると顔が分かる恐ろしい1億画素。しかしシャオミ15ウルトラの望遠センサーは分解能とかの議論ってなんだったのな2億画素。もう1億画素で驚いている時代ではなくなってきていることに驚く。高画素は必要か不要か、あるいはトリミングは是か非かとか、クロップ撮影が好きか嫌いかとか、考えること自体がもう古い、いやだいぶ古いナンセンスな時代なのかもしれないと思いました。竹やりは何mが妥当かという議論みたいな話かもしれません。カメラだとクロップアップするのは抵抗ある気持ちはよく分かる私も抵抗派の末端で、さらにはエンジン性能使い切らないのはもったいないと思わないのに画素だと切り捨てて使い切らないのはもったいないまで思ってしまうのですが、そうした感覚も古い。そのようなイニシエの感覚なんて完全スルーのノー眼中でスキップして相手にすらせず「2億画素は望遠用に使うんだぜ?そんなの当たり前じゃん」と新しいスターが誕生して、そしてそれは我々の撮影選択肢と撮影の機会を手軽に膨大に増やすという革命を起こしています。そもそも光学であろうが、センサー上であろうが、望遠していることに変わりはないと思いますが、その人民感覚を本格的に変えてくれたのが高画素カメラではなく、新兵器シャオミだったというのがカノッサの屈辱。

あなたの国には立ってる者は親でも使えという言葉があるのに、なぜ望遠する用に高画素は使わない?使えるものは使えばいいんだよ。とシャオミからもらった新しい感覚をカメラ撮影に移植して、震える指でクロップズームレバーを動かしてクロップ撮影。たとえばテスラがこの世に放たれても、オールドカーが好きな人はそれに乗り、それを愉しんで味わう。これは否定されることではないように思います。ゆえに古い感覚を否定しているのではなく、しかしそれは将来やメインのマーケットたりえないだけであって、「新しい」の否定をすることもまたナンセンスなかもしれないと考え「新しい」をどんどん躊躇なく試してみよう、受け入れてみようと思いました。

おぉぉ酪王ダブルタワーが完全竣工を見せている。日に日に級に陳列が増えている気がします。赤く囲ったあたり、みんカラUPだと分かりにくくなりますが、黒い部分やアンダーのJEPG処理が汚いレベルに思いました。ファームアップで演算アルゴリズム改善してほしい。まさかの想定外だから搭載していたプロセッサーでは足りないとかは無しでお願いしたく思います。

我が子が「俺の酪王」と呼ぶ、メロンも2タワー分ぐらい仕入れ。半額品は私用のつもりでしたが、あっさり消費されました。

おいちょっと待てよ、そうえいばこのカップホルダーはずせると動画で見た気がする。もしかして・・・あぁやっぱり。素晴らしい500ml酪王が置ける!もしかしたら1Lもいけるかも。なお写真のバックは沖縄で買ってみたのですが、シャオミがベストサイズで丁度入って、まるでガンホルダーのように出し入れが心地よい。

あれちょっと待てよ、もしかしてもう一本ペットボトルを置けるのではないか。素晴らしい。なお足が硬いVMレヴォーグ運転中にストローなしで酪王を一気飲みするには高度な技術を要することを知りました。

通りがかりの花見会場へ到着です。

もうほとんど無くなっている酪王で、酪王花見です。そして風がつよく桜吹雪がラゲッジルームに入り込んでくるので、そそくさ退散。

暫定置き場へ帰庫前に酪王等の降車作業をして止めていればランドセルを背負ったまま自宅を通り過ぎて我が子と帰ってきた「おうRちゃん。こんにちは」「うわぁかっこいいですね」「ありがとう。ポルシェほどじゃないかもだけど、いいでしょこれ」「かっこいいですよ〜」とお披露目となり、

随所の各所に美的なこだわりが半端ないとひしひし思った、
あとで知れば知らぬ間にアーティストに髪をしかも安く切ってもらい貴重なよい経験を頂戴し、隣で切っていたスタイリスト様も「まじすげー」と思った、男性のお客様がむちゃくちゃかっこよくなっていて、「今度あの人にも切ってもらいたい」を聞きながら、我が子人生初めて別の美容院へ行くの巻きを頂いて、

一人なら千円カットがいいぐらいなのですがあと少し、しばしの間はまだ一緒に行ってくれるかなと期待しつつ、雲越しに見える月もまた綺麗だなと思って、

ここもまた幸福感を強く感じさせてくれる味を下さり、昭和の香りが脱力リラックスの安堵をもらいながら焼肉夕食として、

「しばらく休業します」の紙が取れていて今日は定休なだけのはずと確認したイタリンに近々行こうの意気投合は当たり前に、アイスクリームを買い、

「あっレヴォーグ」「これはレイバックだろ。わかんないの?」と老いては子に従えなデジカメ換算1万画素ぐらいの認知性能を自覚して、

ぶどうはだいぶ違うけど、パイナップルバージョンだとそうは変わらないと理解した気になって、

「睡眠の質下がるけど、まぁいいや」と四食目の夜食はうどんをセレクトの模様を見て、これもいつまでさせてくれるのか貴重な触れる機会となっている寝る前マッサージをして、

朝起きれば、爽やかなすいかの香りがリビングまで漂ってくることに幸せを感じ、

朝シャンのあとに朝食を済ませた登校を見送って、

「これは下茹でだから」と意味はきっとないであろうネギをひっくり返すことだけさせてもらいながら、おもちゃ売り場で泣き叫んで玩具の購入をすがる幼児に気持ちだけは負けない気構えで「毎日でもいい」と前日スーパーで懇願したこれ。角煮を早々に作ってくれていてまた幸せを感じさせてもらいました。