3月行った前回の今井浜と洋服がかぶりながら、という連続性を内包した4月の月初、伊豆今井浜に向けて準備を整えます。

前の車がふらついていたので「危ないなぁ」というと「あの車、さっきから危ない運転してた」と、交通状況も見るようになってと思い、「ジムニーはアプローチアングルが41度、ランプブレークオーバーアングルが28度、デパーチャーアングルが51度でお尻が摺りにくいんだよ」や、

「あぁここ遠足でしながわ水族館いくとき通った道だ」や、この前夜見た夢「ランクルで橋を渡って、その先で水がボンネットぐらい溜っているところがあって、ぱぱがそこを勢いよく通ってスピンしてガードレールつきやぶって湖に落ちたけど、およいで助かった」というストーリーなど、解説を受けながら、

忘れていた音声認識遊び(Siri)をして、車中いつも大好きカーセンサーのチェックをしながら「車ってどんどんグリル大きくなっているよね」と大局的傾向につき改めて自説見解を聞き、このとき四月頭は6台ぐらい掲載だったか「全部ディーゼルだ。ガソリン一つもない」とランクル300のガソリンは無く、どれも1,600万円前後の値付け、ロシア分が日本へも割り当てられそうで若干納車が早まるという話しがあり、

若干早まる公算を持って、もう一台注文して3年ぐらい待てばまたMC後あたりのランクルに乗れて、今のうちに売れば1,000万円近く利確できる中、売却稟議は強く否決されていましたが「今これは売ってしまい、売ったお金で3年か4年ぐらい待てばだけどランクル2台買えるよ」と進言してみると「もう一台はランクルじゃなくてもいいんでしょ?」話に乗って来ました。しかし「ランクル納車されるのおれ中学生かぁ」と聞き、お金には代えられないと思い、私が思いとどまることにします。「はいパパ、キクラゲジュース」と美味しそうな気づかいをもらい、

このとき14時30分過ぎ、最寄りの静岡名物さわやかをスマホで確認するも40組待ちで諦めて、

最近お気に入りのジョリーパスタが修善寺道路大仁(おおひと)IC近くにあるようで、寄りました。

「またすぐ来よう、今度は二泊しよう、その間海の音を聞きながらただただゆっくりして、何もしないで思い思いに過ごそう、ってどうかね?」「いいね、それ」という前回やり取りをした約束の履行現場に到着です。

会社は誰のものか、という論点のときに、法的には株式でこれが決せられ、最終的な意思決定やあるいは財産の最終処分権、はたはま最終的人事権というものは直接または間接に株主が力を持つことになるわけですが、

これを自家用車に例えてみれば、法的に所有権者が好きなときに好なように使え、誰を同乗させるか選ぶ権利があり、あるいは貸したり、売ったりと自由にできるのが原則と言えます。

ところがドライブに行くときに大切なことは、その仲間達で楽しい時間を過ごすことである、ということのように思い、

「俺の車だ、勝手に窓を開けるな」「俺の車だ、勝手に温度を変えるな」「俺の車だ、勝手にオーディオを触るな」「俺の車だ、勝手にドアノブ触って降りるんでない」「俺の車だ、俺が行き先を決める!」ということであれば、仲間はたまったものではなく、同乗者という仲間または人間より車を大切にするかのようで息が詰まりそこに楽しい時間など介在せず、

あるいは助手席に座る恋人なり配偶者が「ねぇ〇〇さん、これだれの?女性のピアスが落ちているけど?」と言ったようなときに、

「この車の所有権および車検証上の使用者は私である。すなわち私の所有権を国が正式に認めているのだ!ところで所有権とは排他的処分権を意味するのだ。従ってこの車の使い道、すなわち誰を乗せるのか決める権限が私にあり、また第三者へその報告義務や誰の許諾を得る必要もない、法が予定している正当な行為である。よって君には関係がない事象であり、君に話す必要性は存在しないのだ」と考え伝えるでしょうか。

他方で、所有者には責任が発生します。車検を取得し、故障があればコストをかけて修理して、自動車税も納め、自賠責および任意保険にも入り、ガソリンも入れておき、適宜オイル交換等メンテに努め、およそ運用するのに問題ないように物理的、法的に整え、さらには外装車内ともにほどほどには綺麗にしておく社会性も求められ、いざ物理的または人的損害が発生したときは運転者とは別途にその損害を負おうこともあり、常に経済的負担とリスクをグリップした状態が続きます。

つまりは自動車を所有するということは、ときにみんなで楽しく過ごすツールとして提供し、車を通じて空間や時間、経験を共有しつつ、取得や維持につきそのコストほぼすべてを所有者が負担して、各所所有者としての責任とリスク、危険負担が付いて回り、これを常に整え全うせねばならず、場合によっては過大な責任を取らねばならないことになりますが、

会社を所有するということは、その構造上まったくもって車を所有するときと同様に思う次第です。

「会社は俺のものだ、だから俺の言うことを聞け。勝手は許さん」では、誰も楽しくなく、着いてこず、大なり小なり間違いの大きな第一歩であると思うところです。

オーナーシップを有してもらいモチベーションを向上させる施策として従業員持ち株会制度を採用している会社もあったり、あるいは仲間同士が時空を楽しめるようにするという趣旨の基、オーナシップに近しいマインドを持ってもらう方法として、意思決定につき日ごろのコンセンサスつまりは「自分で決めた感」を所有してもらう、というのがあるように思います。

裁量権を持ってもらうだけでなく、あるいは裁量権がないようなレイヤーや職種であっても、小さなことを決めてもらったり、もしくは既定路線であったとしても「これどう思いますか?」「今このような課題があるがどうしたらいいと思いますか」「今このような状態だけどどう考えたらいいか」「ここをもっとよくしたいのだけど、これをクリアしながら実現するにはどう考えたらよいと思うか」と、ワンクッション考えてもらうことで、

自分の意見が採用された、自分の意見が反映されている、俺が決めたことだ、俺も決定に携わっている、そうやって自分達で決めたことである、そしてそれを適宜総括もして事後確認の作業を怠らず「自分達で決めたんだ感」につき認識の輪郭を強くしたりもしながら、という総意形成を日々丁寧に行うことが、すなわちコンセンサスの形成ではないかと思い、

コンセンサスもどきである、会議で華麗に論破する、面談でねじり伏せて説得する、自己満的綺麗なプレゼンで芯のない納得感を傍観者から得る、というのは実質的に同意形成ではないように思うところです。無論、これらは重大な緊急性を要して丁寧にやっている暇がないときや、ときにはスパイスやデコレーションとして有用な場面があるとは思います。

さらには意思決定とコンセンサスをしっかりと峻別して「よしその意見を採用しましょう。素晴らしいご意見ありがとうございます。私はこれに決めたいと思います。つまりご意見は頂きましたが責任は私にあります」と、リスクが大きい事項やときに批判を纏うような決定事項につき、決定権者としての機能を明確に区別することを示し伝えることで「責任は俺が取るから、それをやろう」と、以後のコンセンサス形成に負の影響を及ぼさない、影ある種を埋めない、ということも大切なのではないかと思う次第です。

これを社が大きなるほどに、管理職・経営者が増えるほどに隅々までやるのは不可能に近しいことですが、今度はこれをやってくれる人をいかに増やして要職に配していくか、大きな勝負の分かれ目なのかもしれません。

そうやって丁寧にコンセンサス、つまりは同意を越えて自分の意思または自分で決めた感として浸透させていくことが、社の見えざるオーナーシップ感のようなものを育んでいくのではないかと思います。「ここに鐘がつくんだよ」と言われなければ気づきもしないところでした。

そして何より、あらゆることにつきやらされている感に支配されるよりも、自分で決めた感が寄り添う日々があり、その積み重ねである人生のほうが、楽しいような気がしてなりません。

偉そうな暴論かもしれませんが、リーダシップとしては、自分で決めた感をもってもらいつつ、それでいて適切な方向へしっかりと導いていくのが腕の見せ所の一つなのではないかと思い、謝罪の日々です。

と、四十も半ばをだいぶ越えて思うようになりました。無論、これらは1つのアプローチにしか過ぎず、さらには「自分で考え決めた感」ある事項が先々変更されていくことが発生するという織り込みが必要に思います。あるいは性善的、性悪的それぞれの規格外もいるかと思い、万能論なわけではないと理解しています。

同じようなことは、子育てでも意識し、あるいは経営やその方針、些細な悩みについてまで相談し、車の入れ替え選定についも必ず「俺が決めた感」がある総意を作ることを意識し、そして何事も、ましてや親から頼りにされて仕事や経営についてまで相談され意見まで求められることは、すなわち期待され信頼されることでもあり、これらは長きにわたって根底的に本人の自信に繋がっていくと思う次第です。また相互に同じように社の若い方々へも同様に思い、幾節に付き互恵的にフィードバックをしているつもりですが、何よりも、たとえば私が進出したい事業があったのに「今の事業に集中せよ」と幼稚園の子からアドバイスが飛んだように、こちらの想像を越えることが多いのが驚異だとも感じ、またそれが人生を楽しくもしてくれていると思うところです。

コースのポタージュに加え、アラカルトでうち一つは冷製も試してみつつ追加2杯、計3杯のコンポタを堪能中です。

「あぁいい香り」と香りだけのテイスティングも忘れません。

このとき「ねぇパパ、申し訳ございません。ってどういう意味?」と聞かれました。

「言い訳は何もしません、申し開きは一切しません、できません。それぐらいあなたに悪いことをしたと思い反省していますって意味だよ」「すみませんはあまり言わないほうがいいんだっけ?」という会話から、

パパはNTTのMさんから教えてもらったんだけど「すみませんは『私の心が澄んでいない』ぐらいモヤモヤした気持ちです、が語源なんだって。日本語では発音しづらいから『すいません』といいこれを口語体というんだけど『書く時もすいません』と文語体で誤用する大人も多い。そしてここからはパパが考えたんだけど『自分の心が澄んでいない』と自分の状態を表す言葉だから、すみませんを連発することは自分のことばかり話しする人に思う。謝るほどではなく、悪くないときに使う言葉じゃないかな」

「あと申し訳ございませんでした、って過去形で使うのもよくないと思う。悪いことをして謝る立場で『でした』ってお前が勝手に終わらせるなって話だと思うんだよね。だから相当に時間が経ってあの頃はというとき以外は『申し訳ございません』という現在進行形が最もいいんじゃないかな。言語そして母国語をしっかりと大切にすることは重要だと思うよ。あとこれら細かいことを気にしない人もいれば、気にする人もいることを知っておいた方がいい」と日本語として大切かもしれない部分を説明したフレンチディナー。

「アイスとプリンをぜひ同時にお口に入れて楽しんでみてください」と説明され「前来たときは教えてくれなかったなぁ」とつぶやきながら「うめー」と頂き、

空洞がこしらえられている盛り付けの秘密を探り、デザートも親の分合わせ三種ほどほどにシェアしながら楽しみました。

4月の今井浜、一泊目の夜が更けてきました。

スマホで好みのハワイアンミュージックをいつでも召喚できる時代。波の音にレイアウトがハワイに近しいような気がし、気候としてはカラッとしながらもこのときはちょっと涼しい日のハワイのようで、合わせてどこかHAWAIのように感じながら、ローマ字で記すとそれもどこか似ている気がしてくるIMAIHAMAでの時間を愉しみます。

車へカメラを取りに行ったついでに、GFX100S+GF110mmF2 R LM WR

X-Pro2+XF35mmF1.4 Rで撮り比べしてみながら、仕事の電話をさせてもらい、

翌日抜けることになるぐらぐらした歯が気になってしかたがない頃でした。

自分じゃない誰かが作ってくれる美味しい朝食。ママにとっても幸せタイムであろうと思いつつ、日ごろの感謝を思い、

「素敵な朝食後は海岸の散歩」というセットで極上と言ってもいいであろうひとときです。

そしてなんたるにうらやましい極上のオフロード環境。

「パパさっきより潮が満ち来てない?」と潮騒を感じながら、

「あっハートだ」と小一時間は魚を見つけたり、砂浜散歩や岩場探検をしました。

午後はコンビニに買い出しで、ちょっくらドライブ。行った先のコンビニ前で歯が抜けた気がします。

安全を十分にブリーフィングと確認をしながら、誘導に従って車を止めて、

波を見ながら、波を聞きながら、波を感じながら、

あとでママが座るソファでほんのりゲームの続きをして、

ランチの時間です。横浜の東急ホテルにもベランダがあり、そこへいけば「あぁまたパパとハワイホテルのベランダでスパム食べたいなぁ」と発してくれ、そのようなことも覚えてくれているのかと、一つひとつの時間、その大切さを思います。小さい子供だからとあなどれません。食後はまったりしたり、波の音を聞きながら温泉で過ごしたり、

そうこしてあっという間に数時間経ち夕食へ向かいます。「パパ、おれここに住みたい。一ヵ月100万ぐらい?」

「ご飯も付けて、家族三人いい線いってるんじゃないかな。夏はその三倍ぐらいしそうだけど」「シーズン料金?」などと、やり取りしながら、

今井浜二泊目のディナーは鉄板焼きコース+アラカルトコーンスープ付きです。

下田の東急ホテルリニューアル後はまだ行っていませんが、料理の隅々、建物の随所にまで溢れるあの昭和感も素敵で大好きでしたが、

あるいは長らく行っていませんが、万座温泉のプリンスホテルもディープな昭和感があって、古典的フレンチと給仕が心に刺さりますが、今頃どうなっているのか、そのうち行ってみたい気もしつつ、

はたまた宮古島の東急ホテルもあの抜群のレイアウトとともに、懐かしく思い出され、

こちらの東急今井浜もまたホスピタリティやそこから醸し出されるホテルの雰囲気合わせ、なんたるに極上のひとときをくれるのかと、感謝を重ねます。

この日も三種のデザートを少しずつシェアして夕食が終わりました。

シェフが鉄板を綺麗にして次のお客様へ行ったところで、ちょっぴり見習いコックさん。

さて心地よい風を受けながら、夜の散歩です。

「あーおいしかったー。あぁお腹いっぱい。さぁ自然を吸ってごらん」と発した我が子、自ら深呼吸して「おえー」という小ネタつきで、

夜の散歩と、

「さっきママにダメって言われた」「いいよ、やっちゃえ」と体操です。

ここへ毎月一回、できれば二泊、悪くとも二ヵ月に一回来ることができれば、

昂然たるリフレッシュができ、

心が気宇壮大になるかのような、それが一ヵ月二ヵ月保たれるような、

そうやって幸せな人生に資するような、

とても素敵なひとときをくれる場所に思います。

しかも波の音が聞こえる温泉付きです。

散歩のあとは、二回目の夜が来て「あぁお腹いっぱい。でもあれだけ食べてもお腹ってすくんだよなぁ」と夕食の余韻に浸りながら、思い思いに過ごしました。