
1/18モデルのタイヤ群でフィッティングするある種贅沢な遊びをしていた2018年終盤。

4歳終盤であるこの頃も、

陽気さ全開の毎日でした。

そうえいば入園当初の気持ちを話してくれた夜、年少終盤の話題も話してくれ「年少のひな祭りの頃に工作の時間にさ、紙でひな人形作ったんだけど、出来てみたら口は変な場所にあるし、左目が大きくて右は小さいし、なんだこれってとんでもない顔に出来ちゃって悲しかった」と話しもしてくれました。

我が子がそのように思っていたのかと最近知ったわけですが、悲しく思っていたのと同じ2018年3月年少終わり頃のパパは、事業を立ち上げて半年ほど一回目の危機が訪れました。

ご指定により八王子ハードオフ経由で、

とりあえず的安直な師走の箱根再びは「翠松園がいい」とのオーダーで、「A380はね」「ママあれはボクシーだよ」「箱根登山鉄道だ」と解説を受けながら、彼の地に近づくにつれ「箱根の匂いいい、ほら温泉の匂い」と聞き、

事業を立ち上げて半年、最低限の基盤が想像以上にうまくいき我々が打ち上げたロケット花火はツーバス三連符のリズムで低層軌道に乗り、一応の安定稼働を見せたかに思っていましたが、

ダークマターのいたずらか顧客の方針変更により、事業の基盤に激震が走ることになります。

約3秒、すなわち光が地球を22.5周する間は「まいったな、ここまでの苦労が水の泡じゃないか」と内心落ち込んだあとは、「やるしかない。仮にすべて崩れようとも、また朝5時から深夜2時まで仕事すればいいだけの話しだ、しかもたった半年で同じところまで登れるじゃないか。どこよりも早く舵を切ろう」と気持ちを変えて、善処策に取り組んでいくことになります。

が、思っていたよりも極めてスムースに、業績が落ち込むこともなく新境地が開けていくことになり、この年のひな祭りを境に有難い環境を頂きながらの2018年でした。

今思えば幸いにして情報をキャッチしたのが一早く、初動も他社に先駆けること1年から一年半は早かったかもしれず、結局としてビジネスチャンスを掴ませてもらうことに繋がっていきました。その後は怒涛のごとくにお仕事も頂戴していくことになり、写真の頃となる2018年12月を迎え有難い師走として過ごさせてもらい、2019年におきましも道中オフロードもあり足場も固めながら快走させてもらうことになっていきます。

これらに懐が深すぎるお客様に深謝の次第でありつつ、恵まれた環境に有難く思いつつ、しかし甘んじることなく、最近は垂直展開という次の中層軌道を目指して第二ロケット花火の点火を縄文式火起しからしている段階です。

垂直展開に少し先んじて進めている全国展開は、そのマーケットを思えば、アメリカが高度に実戦練度ある中に年間70兆円か、80兆円の国防予算その一部と、あるいは我が国だけでも思いやり予算、自衛隊の潜水艦も有事の際は第七艦隊の指揮下に入ることなど実質予算も含めればそれ以上を用いて

だだっ広く蒼茫な太平洋を歌舞伎町または草加以上の治安度で守って頂き、ハワイまでの航路でもロシアの戦闘機に撃ち落される心配も皆無に、やれ狭いだの、あのCAさん素敵だの思うのみで、安保コストが盛り込まれているのかと思いますが、だとしてものうのうと旅行に仕事と勤しむことができ、

我が国のマーケット、殊に世界的にも稀なほどに大きく整った東京1,400万人、神奈川920万人、埼玉730万人、千葉620万人と、一都三県3,500万人を越える人口というお財布は、店舗、企業も密集し、

これだけ人が集まる魅力に溢れそれには選択肢が広い仕事という生きる糧も含まれ、あらゆる整備が極めて充足したエリアである一方、

同時に大手、あるいは外資からして「極めて効率的に集金できるエリア」でもあるわけでして、

1駅ごとに栄えた東京やその近郊は、ドアが閉まって1乃至2分で到着する狭い間隔の1駅ごとが地方の都市レベル以上であり、

移動に数時間飛び飛びに疲弊しながら1日1件周れてよいほうな非効率に30万都市に10カ所展開しても、300万人レベルですが、

東京に二か所展開しても、一営業所あたり700万人のマーケットで商売できることに、単純計算としてはなり、

関東としてみれば同じく2拠点展開すれば1拠点あたり1,750万人を対象とすることになり、際立って高い効率の金づるエリアと見えるのか、

ガラパゴスだのなんだの言ったところで、世界中で見ても際立ってお金を集めやすい集団が肩を寄せ合っていてくれるゆえ、自戒を込めて言うならば、外需経済国ドイツのメーカーやパリからの舶来物始め「VIP気分にさせて、はい集金」という猿はおだてなくとも木に登る式なハイブランド戦略のマーケティングに躍起になるのも頷けます。

という有望なマーケットをみすみす見逃す手もなく、別会社という切り口でさらに取り込んでみよう、みたい、とグループ展開もしてみる運びとして着手が始まっています。伝えた翌日、なんたるスピード感であると、若い方に思う次第です。

あるいは王子様の弟氏は、前職飲食店の店長をしており、今からは想像もできませんが兄殿によれば当時仕事へのモチベーションは極めて低かったとのことですが、兄殿の招聘にわが社に起し下されば、

まだ23歳の中に、多くが40歳、50歳で社会の仕組みを知ってから折衝するような事柄も、指示を受けることもなく自らの判断でやり取りをキャッチボールし、あるいはマニュアルや契約書起案や説明資料を作ってくれたり、止まらぬ各種提案に、

兄殿も仕事の次なる壁が到来しつつも、ご意見を伺えば伺うほどにご兄弟でなんたる素質かと、同い年基準、いや30歳な頃の自分と比較しても、各所恥ずかしくなる程のご立派な素養を感じる日々です。このとき「パパ、誕生日おめでとうー」とお祝いの言葉をもらいました。

勝手ながらに文殊の知恵と呼ばせてもらっているお一方とは明日粗宴ながら一献させて頂く予定にしておりますが、全国展開に垂直展開の着手、グループ化への一歩と、これらの施策ができるようになったのも、若手殿達の成長があればこそ、人の成長だけはじっと待つことも必要と思い過ごしてきましたが、ここに来て木の幹としての芽が出て来たのではないかと思う次第です。

自分自身で我々民族を卑下するような感覚かもしれませんが、己を含め日本人というものは、総じてあまり論理性がない民族なのではないかと感じています。言語からして日本語は情緒的であり、と指摘されることもあるかもしれません。

もっと言ってしまえば自分たちで思っているほど頭がよくない気がしており、高度成長を過ごしてきた中での民族としてのセルフイメージと実体という裸の姿との齟齬に、精神的な歪みが生まれているとも感じています。

産業革命以降、1900年代の経済は、製造業がオンリー級の中心だったように思います。

日本の経済力が世界有数になったのは、ときに宇宙技術が下町の匠に支えられているかのごとくな精度が高く、あるいは大量生産であっても異常なほど丁寧なプロダクトに仕上げていく気質などが商品競争力を高めることとなり、つまりは頭脳でというよりも、誠実で丁寧な民族性・国民性と時代がたまたまマッチしただけであって、

大きな工場など資本も必要だったと思いますが、中身の実態は工場の中で働く人々の質が品質の差となるわけであるとすればコアコンピタンスは労働集約型といえ、手先が器用で丁寧な気質さで、かつ初期は安く働き、かつそれでもモーレツに勤勉で、登り詰めていき、世界一の経済大国になり、ほぼ同様のモデルで中国、台湾と続いていくことになるのかと思いますが、

他方で、知識集約型産業となってくれば、物をいうのは今までとは異次元級ぐらいに思った方がよい「知能」が核心的主役になってくるところ、

ネットを軸にした通信技術、スマホその中のOSにGPS、あるいはプロセッサーの設計など、現代のコアテクノロジーはすべて発案から戦略と具現化まで知能担当はロジカルを得意とする西洋であり、製造は手先が器用つまりは頭脳ではない手足な東洋であり、と俯瞰気味にはそう見えて、

という前提を思えば、局面を適正に理解して次の一手を打つという意味で、一つやっかいなのは「インテリ気取りで頭がいい」と勘違いしてしまった気質がこの国にあり、

我が国の防衛予算は5兆乃至6兆円前後ですが、アメリカの国防予算は70兆円から80兆円に達しようとしており、その差は10倍以上で在り、かつ既述のとおり我が国だけでも防衛予算は実質アメリカの国防費に計上するべき内容も多分にとっていっても過言でないほどたっぷりサイレントのステルスにサブマリン的に含まれており、あるいはそれは通信費にも同じことが言え、

「おもてなし」でしたでしょうか、が我が国が誇り、気にするスペックなところ、航路につき当たり前に安全にいけられるとおめでたいと言ってもよいほどに当たり前に思うほどの環境は、いや海の上の空だけでなく身の回りの生活、たとえば私が膨大に80兆円も使って安全を守ってあげているスポンサーだとすれば「おいおいお前ら自分らの電車は正確だと誇るばかりだが、電車ものほほんと当たり前に安全に乗れると思うなよ」と見えないようにコスト回収は当然に利確をむさぼるような気もしますが、取られる我々にはその想像もなく、

どこまで行っても水平線しか見えないほど広大な太平洋もご周知のとおりアメリカが支配しており、そこを担当する第七艦隊だけで一国の軍事力を越える力を持ち、作戦遂行だけで莫大な予算であり、あるいは我が国における中程度の省庁予算一年間分と同等となる空飛ぶ省庁の異名を付けたくなる一機2,500億円の飛行機を開発し飛ばしてまでも、一隻3,000億円の潜水艦なども泳がせて、無論これらは打撃群の予算に遠く及ばないごく一部であり、これらまでもしてもアメリカが何をしたいのか、大人がそれだけお金を使っている中に、遊びでないのは自明の理なところ、我々日本人が考えることは「おもてなし」であり、

孫氏の兵法が「人としての在り方」を説くつまるところ精神論だとすれば、クラウセヴィッツの戦争論は「いかに勝つかを論理的に政治にまで言及した」勝つための具体的戦略論であり、これが一つ情緒的な東洋と、ロジカルな西洋の圧倒的差異の象徴なのではないかとも感じているのですが、

これらの下地や軍事力を背景に、知識集約型時代に勝てる見込みはなく、今後国家間レベルでの搾取は拡大し、つまりは親会社への上納は増え、欧米の製薬会社へ渡る社会保障費も同じく増加の一方で、他方「何時間以上働くべかざる」と政府の規制も強くなり、内包性としては勤勉だけど頭を使うゆえ勉強はしない国民性の中に経験値を積む絶対値も下げられて、国際競争力あるいは生産性も下がる一方でどうやって勝機を見つけるのか、

という悲観論ではなく、まずは事実をできるだけ適正に認識してからが生きる道を見つけていく処方箋になるように思えなくもありません。

日米の関係性から、日本に住んでアメリカを知らないのは、子会社でアルバイトをする状態に似ていると思うのですが、

親会社の方針で子会社の命運や進むべき道、ミッションが決まってくる関係性と同義に考えて間違ないような気がしますが、

アメリカでは現在個人事業主が4割を超えたという数字もある中、5割超えまで時間の問題であるといえる状況とのことで、

一方でアメリカではダブルワークが基本ぐらいの勢いであり、つまりはサラリーマンとして夕方まで過ごし、アフターファイブはフリーランスおよびパートタイムというパターンも多いような気がしますが、

他方で日本においてマジョリティーが個人事業主になるとは考えにくく、あるいはまだまだ30年はかかるかもしれませんが50年はかからずな気もし、いや20年後すら誰にも想像もできないと思いますが、いずれにしても親会社の動向をみて、近年の国民性趣向というローカライズを加味しても、

各所で言われるようになった複数収入という時代は来るのだと思われ、根底からライフプランの既成概念設計が我が国において変わっていく時代なのかもしれません。
水道修理業、
長距離トラック、
板金業、
大家業など様々な職業がまるで先輩または予備校感覚で仕事を懇切丁寧にかつ優しく教えてくれるかのようにyotubeで見れ、情報を得られる時代。あるいは学生であっても知恵一つで年収1,000万円のビジネスも簡単にできる時代。これらすべて数年前までは想像もしていませんでした。素晴らしい時代だと思います。

写真のときの4歳児この頃は「みんなどうやって我慢をするの?」とよく聞いていましたが、パパも分からないがまんなんていらないんじゃないかな、と毎度質問の答えにはならないかもしれない回答をしていたとき。

ステーキ食べたいといえば「昨日食べたでしょ」と言われ、「帰ったらクリスマスツリーしまおっか」と頂いた自衛隊のカレンダー三点セットに大喜びし、二つの画面を交互に見てネットをし、

なぜにこの時期だった「ニュースをみればさくらんぼ祭りだよ、あっりんご、青森?はやぶさでいけるところ?あっ草津だ」とこの頃の成長を感じる帰路も味わいながらの旅でした。

マネジメントにマーケティング。

社会つまりは人やその機微、それら集合体の勉強をしっかり織り込みながら、

泥道、岩場道、どきどきするけどオフロード
ひとりでいけるかな 後ろにいる子はこれるかなオフロード
どきどきするけど、どんどんいけーどっきどきのオフロード
と一部だけ書き留めることができた、
深田恭子氏メナードCMの曲に似ているリズムで参考メロディーとしながら、なぜかしっかりとAメロBメロサビ構造もある作詞作曲を聞いて

千葉のお知り合い事業と土地の視察、大阪視察へ連れ立つことは中止して、

どうやらハワイ挙式への旅も危うくなりそうですが、

「ねぇパパ小金井公園に自転車持って行って乗らない?」と丁度同じことを考えている機会が増えた喜びも増量基調に、

ビフィズス菌は一日1,000億から1,500億程度の摂取を心がけるバリアー作戦および疾病したとしてもダメージを減らす作戦を軸にして、これはマスクの比でない効果があるように個人的に信じて、

「ぺんぺんっていうんだよ、三歳の頃に名前つけた」とぺんちゃんというぬいぐるみの名を知って室内キャッチボールがなかなかに面白く、

ぬいぐるみを投げ合いながら「トイレットペーパー買えないの?」という質問にパニックということを説明してみて、飲食店は経営もトイレットペーパーの確保も大変かと想像し、米国から入国規制されればリーマンどころか戦後の焼け野原級に壊滅経済も戦々恐々に思ってみてここ数日を過ごし、今日は美容院に行ったママが終わる頃ごはんを完食したとテレビ電話で見せて、写真このときは年末の挨拶へ近場の拠点周りに向かうところで、つづく。