RX100 (無印)

秋の草津を楽しみに、再び。

このような写真が撮りたかったわけではなく、どうやってもピンが手前になってしまい、AFの特性や、あるいは暗いところでなぜぶれるのか、もしくは明暗差などまったく知識も理解も、そもそも興味もありませんでした。

この日は長野を目指して。絞り、SS、ISOという三大要素、言葉すら知りませんでした。APS-Cという言葉も知らず、あるいは数年後ボケ味がどうのとレンズを試すようになるのですが、この時は背景のボケなど気にしたことは一度もなく、また見入ることもありませんでした。車のハンドリングに乗り心地、興味ない人からすると同じかのごとくなのでしょう。

どこぞのPAにて。一時期は長野もよく通いました。善光寺周辺や軽井沢へ蕎麦を食べに。あるいは白馬に本を大量に持っていき2週間滞在し昼はバーベキュー、お風呂は日帰り温泉巡り、夜は蕎麦屋で一杯やってという毎日。そして毎朝起きるとロッジ内に虫の死骸やら。虫が苦手なので、私にとって安らぎはありませんでした。加えて、今にして思えば、本を大量に持ち込んだことに、意味が見出せません。という失敗経験も。

光芒という言葉も知らずでしたが、それが撮りたかったのだと思います。月のうち家にいるのは4日、5日程度、という頃もあり、夏休みなどそれぐらいのスケジュール感も可能なわけですが、子供の体力でいつ頃ついて来られるようになるか。思いのほか、遠くない先か。しかしゆくゆく部活でも精を出し始めれば、これも儚い夢となる可能性もあります。

この日は、長野の渋温泉へ行ったようです。雪の日に鉄道の旅でも行ったことがありそれも風情があって、かつ楽で、好印象な旅でしたが、やはりクルマで行こう、となったらしく。狙った邪推も邪念もない、極めてナチュラルな日の丸構図。

今であれば、もっとこの反射を活かしたり、寄ってみるか、どう撮るか考えみるのも面白く。

この日は西伊豆の土肥。行先で箱根に飽きた周期であるのが伝わってきます。と同時に後日のウォーミングアップも兼ねています。

本格的な意味での飲みを卒業したあとの旅情最盛期は中一日おいて、「暇だからやっぱどっか行こうか」とまた温泉へ、という期間もありました。秋田に山形など東北方面も行きましたが、いったいどれだけ旅行をしたのか、思い出すことは不可能級かと思います、というほどにこの人と、人生一緒に歩んできているわけですが、お互い若い頃はこのような人生になるとはまったく予想もせず、目指してもいませんでした。

翌朝8時40分。フェリーに間に合うように早めに宿の朝食を済ませてチェックアウト。西伊豆は土肥からフェリーに乗って、駿河湾を跨いで清水へショートカットします。

駿河湾フェリー。客観的には旅行の数が多いように見受けられますが、本人達は旅も飽き飽きとしている中、私は大概のこともやり尽し面白いと思えるものもなく、どう暇を潰すか、課題です。

仕事はしていないわけではありませんが、この頃は平日に定例の会議を入れるようにしつつも、頭が仕事道具と思っていたので、電話で済ませ、仕事道具がどこにあろうとも仕事はできる、と高をくくってもおり、また道を開いてもすぐに後進が「やりたい」と仕事を取っていくので、すぐに暇になり、副業をすればそれもすぐにうまく行ってしまい結果として時間があまる、という循環でしたが、宿では次から次に電話に追われてはいました。

どうやったら霞が掛かる富士山がもっと写るのか、などと考えることもなく、ただ撮ったら終わり、という感覚で、事後的に素人が弄れるものではないと思い込んでいましたが、

今では事後調整で、多少は浮かび上がらせることもできるようになりました。事後をその場で「こう撮れば、あとでこうできる」と想定もできるようになりました。

乗船完了、胎児の頃にも陸海空を制して、いろいろな音を聞き、香りを嗅ぎ、空気を味わい、多くの食材も食べて、磁場も変えましたよ。

清水に渡ればハマーの走行会とすれ違い。なかなかの迫力でした。最近は、中年周辺以上には懐かしき、子供にとっては目新しいであろう「4×4マガジン」プレゼンツな「ウィンチでの救助方法」などのyoutube動画を食い入るように見るようになり、ママから「こんなの見て面白いの?」と聞かれています。野暮な質問です。

清水から東名に乗り、名古屋へ。今にして思えば先駆けを目撃し。

夜は台湾ラーメン。まだ初心者の第一歩ぐらい、シェアして食べていました。

ちょくちょく出かけるものの、必ず帰る。熱田神宮などを観光して、翌日は一気に帰路へ。

中伊豆。

ここの料理は一歩二歩抜きに出た美味しさだと思います。

仕事としても尊敬に値する職人技と、デザイナーかのようなメニュー開発に発想力。生みの苦しみを感じます。

見たところ、これは港北PAかと思われます。この頃に乗っていたメインカー。頻繁に入れ替える枠のクルマと交互で乗っていました。

この日はまた草津方面へ。

このような写真を撮ってどうする気だったのか、何になるのか、

それは今でも同じですが、何かが満たされるのでしょう。残すという安堵安心。

どこをどう走ったのか、

草津から嬬恋あたりを抜けて、立科へ向かいました。

一般道を南南西に行くイメージです。

シャドウで黒く潰れた銅像を四年の歳月を経た今、上げてみました。あと一歩後ろで木を全部上まで入れて撮るか、もっと近寄るってわかりやすく木を見切るか、と今思い。写真をはじめて機材の描写力が気になる頃は、銅像だけを切り取りがちのような気がしつつ、しかしこのころの写真を見返すと、何も考えていない日の丸も多いながら、先入観がないので斬新に感じる構図もあったりして、刺激になる一面も。少なくとも機材がどうの、という気持ちが微塵もありません。

翌日は紅葉を見て帰巣本能に従い。

そして胎児としてはメインイベントとなる、思い付きで、このとき三回目となる西日本一周コースへ、妊婦と。

一泊目豊橋泊。誘ったものの「いかない」ということで、私一人夜の社会科見学キャバクラへ。何のかは分かりませんが、市場調査として、どのような客が来るか、あるいは地方の自動車事情を聞いていれば「ウチタントほしいら」という名言を聞いた現場に遭遇。

豊橋半景。

愛知県伊良湖から、伊勢湾フェリーへ。

伊勢へショートカットを目指します。

伊勢神宮へお参りし、周辺を観光。このとき二度目か三度目にして、はじめて伊勢うどんを美味しいと思い始めました。都心でも食べられる讃岐系に慣れていると「なんだこのやわらかいのびたうどんは」という感想になりやすいですが、それを越えると美味しさが見えてくるように思います。

どこへ泊まろうか、換言すればどこまで行ってしまうか、車内会議しながらのドライブ。

このときは姫路で一泊することに。以前は倉敷や広島あたりで一泊しました。その日適当に泊まるところを決めていく無計画な旅です。

たしかこの時は姫路城の大改修で見られず、早々に姫路をあとして、

写真によると兵庫県龍野市あたり、事故渋滞の回避か、なんのために一旦降りたのか思い出せず、

広島に到着して、広島焼きを食べました。結局的にここのが逸品に思います。

私は広島の血が入っているゆえか、広島焼きのほうが好みですが、じぃじが作る大阪焼きは独特な薄さでこれが際立って美味しく、ばぁばが口を出して厚くすると美味しさが減退する不思議を思いつつ、ばぁばが作る具材が豪勢な大阪焼きも美味しいとも思い、これらを引き継ぎたいと思っています。

閑散とした中国道か、オーソドックスに山陽道か、あるいは大回りして山陰道ルートか、このときは九州の温泉が恋しく、手っ取り早く山陽道を目指して進軍再開です。はじめて西日本一周ルートを周ったときは、神社をめぐる旅として、伊勢から熱田や豊国を経て、出雲へ行ったりとジグザクに西日本を通りました。

道中のPAがどこだったかは忘れましたが、この写真を撮ったのはよく覚えています。「このようなところに住んでみたい」と思わせる、儚い田舎の景色でした。

関門橋。

渡ります。

九州へ上陸です。左回りに、九州一周を目指します。

港あたりに飛行機と絡めに見に行き、

福岡市内へ。血気も旺盛な土地柄、と思いきや、皆さん合流などでも早めに車線変更し、そして譲ります。はじめは意外に思いましたが、血気が盛んゆえトラブらないように、自然とそうなっていったように考えを帰着させてみました。京都も走りにくい、と聞きますが、そうは感じたことはありません。

チェックインして、

評判のもつ鍋を頂きに。大変美味しかったです。沁みました。

翌日は、

天満宮ともう一ヵ所ほど観光して、

次は最も支えをくれている一人でもある後進の出身地、長崎を目指します。同世代でちょっとがんばっている中での平準的な世界観に憧れて、そういう立ち位置でみんカラをスタートしようと思い、

カメラネタでも、旅ネタでもない、今でもトータルPVがぶっちぎりとなっている「
BMW 760LI(F02) V12気筒 試乗」という記事において、他人のクルマかのように記してしまっていましたが、この6000cc、ツインターボ付というのに乗っていました。これはもう、ドドンパとしか言いようのない、運転した後進は「ワープ」と表現していましたが、別世界の乗り物級で、車に何を求めるかで変りますが、私の主観では同程度プラスαなライバルのチューンアップブランドよりもぶっ飛んだ性能だと思います。ちなみに個体が少ない中に、この内装色、素材の組み合わせが気に入り、特別にジャパンから譲ってもらいましたが、リンク先の取材はじめ、日本の媒体ではほとんどこの個体が使われました。エクセレントな整備をしてくれての納車でしたので、まったく気になることなく乗れました。

どのような加速域からでも、スーパードドンパの加速を見せます。怒涛の0-100加速と、100-200の加速感、あるいはそれ以上でも、が同じである、という想像です。高回転型では味わえない、大大排気量の溢れるトルクと過給のなせる技かもしれません。BMWのV12エンジンは傑作と言え、エンジン屋を名乗る本社前にも飾ってあるほどに、特別な存在であり、実際にそれを実感するほどに思います。需要やブランド力合わせ、値落ちを気にすると乗れない一台ですが。

後進お勧めのお店へ。一時はメルセデスへ改宗していたところ、F02の750を買い、さらにこちらに乗り換えました。これだけのドドンパはそうないと思います。そして他のドドンパと異なり、静かでこれ以上ないほどにジェントルに感じました。というクルマでも毎日のように東京箱根間を往復していると飽きるので、買い替え枠を設けます。これによって飽きることが延伸され、結果としてメインカーに乗る期間が長くなり、節約につながる、という計算です。

一度目の西日本一周は黒いGL550で日本海側から広島に抜けるあたりで大雨の山で行き止まりに合い、二度目が黒い750LIで帰路は四国を周ってドライブを通しました。三度目がこの760Liとなり、この三度目の記憶がすっかり抜け落ちていました。ひどいものですが、母体やらへの配慮などに気が回っていたのだと思います。

という車両構成で行った道中、BMWでは言われることはありませんが、メルセデスだと「あっベンツだ」と発する地方の子を何度か見て「ベンツのブランド力」というものを思いました。親から「あれはベンツだから云々」と伝播しているのでしょう。ブランド力を塗り替えるとは、大変な時間と労力がかかるものだと思いました。とはいえ単なるブランド信仰のヒエラルキーは交通社会においては薄らいでいるとも感じます。広島に続いて、長崎での路面電車を見て、この長崎での路面電車区間は少々走るのにコツがいるように思いつつ、

後進の生家もなぜか見て、それが今では感謝しきりの存在ともなり、

長崎観光をしていきます。帰郷する度に買ってきてくれる長崎のカステラ、他のでは満足できなくなり、美味しくてすっかりはまってしまいました。

日が沈んできました。足を早め、

急な坂も下ります。

雲仙のあたりで、日帰り温泉施設を目指します。

閉館間際の時間、急ぎました。

雲仙のお湯で旅の疲れを流したあとは山を下ります。写真を見ると、通った道とその光景に心情も思い出します。

この旅二度目となるカーフェリーへ。この日のうちに熊本へ渡ってしまおう、という合意がうまれ

島原から熊本へ車で走れば220kmの道のりをショートカットです。なぜ、この頃にみんカラをやっていなかったのか、というほどの記録ぶり。
「成田行こうよー」と言うものの子供が熱を出した週末、もう治ったようですが、どこへも出かけることなく、ママへのバースデーなプレゼントブログとしても続きます。
つづく