夜明け前からだんだんと行きかう船がふえはじめ、港は動き始めました。

そして港を眺めていると、奮いだつような綺麗な朝焼けを見ることができました。

漁に出ていく船や漁から戻ってくる船、交通手段としてのフェリーなどが港を行き交います。
水揚げした魚を仕分けする港の人たちと、おこぼれに集う海鳥。
気仙沼をはじめ東北の人たちはたくましい。
いやたくましくならざるを得ない、とか言ってる場合ではない、なかった。
と言ったほうが正確なのかもしれません。

宿泊した
ホテル観洋は屋上に行くことができます。

屋上から明るくなった街を見てみれば、まだまだ再建は遠い道のりだというのを感じる一日のスタートともなりました。

この日は雪がちらついたり、太陽が覗いたり天候が落ち着かない一日となりました。
ホテルからは港が一望でき、ドックに入っている船も見えました。
気仙沼は漁業を起点に、造船や船の修理から水産加工など広く
水産業が発達している港です。
気仙沼港全景(googel 3D)。
気仙沼港全景2(空撮)。

がれきをやっと片づけ、再建はこれから。地元の方はそのような感覚だそうです。
あのがれきを片付けただけでも、想像を絶する精神力が必要とされたことと察します。

校舎の上に体育館が建っている、非常に珍しい光景です。
海からすぐ山となる気仙沼は平地が少なく、狭い土地を有効活用する必要があります。
震災、そして復興で地元を苦しめているのは、県外から来た土建業の方たちのトラブルだけではありません。
渋滞などしなかった町に、朝はダンプや建設関連車両での渋滞が訪れるようになりました。
そして、都心の資本が気仙沼の少ない平地の値上がりを見込んで買い込んでいるために、あるいは県外からの作業員によるアパートなどの需要が増えたために、土地や家賃、さらには物価が高騰する事態となっています。
復興はいろいろな形で、実は地元の人たちを苦しめてもいたのです。知りませんでした。
東京オリンピックで建設会社はリソースを東京に移しています。
復興の遅れに繫がります。どちらにしても被災地にとってはプラスになることはありません。
オリンピックをしていいのか悪いのか。このようなところに実は影響があるわけです。

気仙沼市内には何ヶ所か、このような仮設の屋台村があります。
実はこの仮設の屋台村は期限があり、あと一年ほどで出ていかねばならないそうです。
自費で店舗を再建・再出店できない場合はそのまま家業をやめなくてはなりません。

平地をすべて4メートルかさ上げするという政治的決定に基づいた工事。
写真両端は、かさ上げしている土盛りです。

まだまだ傷あとは深く残っています。
気仙沼の地元に少しでも力になれるように、貢献できるようにこれから仕事もがんばりたいと思います。

一関へ戻り、帰路へ。
遅い昼食をしながら談話していたら新幹線がぎりぎりに。
みんな走っているのに、写真愛好家としてはなんとしても撮影優先。

新幹線へはぎりぎり間に合って、途中の雪景色。

夕日も綺麗でした。
からの、

沈みゆく太陽をフルズームで一枚。
D7100スーパーズームキットで一枚。同キットはAPS-Cの1.5倍とNikonのクロップ1.3倍の恩恵により300mmレンズが実質600mm近くのズームで撮ることができます。走行中の新幹線からにも関わらず、電線まで捕えてくれました。画像リサイズのみ。
東北新幹線連結の理由はこちら。
気仙沼前編はこちら。
日本各所、
ドライブへ行こう。
Posted at 2015/01/12 01:16:54 | |
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