ホテルでチェックインをすませ、向かう先は

大阪を代表する歓楽街の一つ
北新地。
東京に例えるなら北新地が銀座で、通称
ミナミを構成する
宗右衛門町(そえもんちょう)が歌舞伎町、と解釈して差し支えないと思います。ちなみに道頓堀と宗右衛門町をミナミでひとくくりにすればほぼ同じなのですが、川と道をひとつ挟んでやっぱり違う。とこうして近似しているエリアでも微妙にテリトリーというか街の在り方が異なるのが、慣れにくいと同時に楽しいところでもあります。

そんな夜の街、北新地で呼び込みと同伴カップル、スマホで営業しながら歩くおねえちゃんをしり目にとある雑居へ入っていき、4F止まりのエレベーターから、この細い階段で5Fへ。
ちょっと分かりにくい、隠れたところにそのお店、台湾鍋が美味しい「
健」はあります。
「どうしてこんなに美味しいのに食べログ低いんだろ?」とこのお店に詳しい人へ聞いたところ、メニューがコース一つのみ、と4時間しかない営業時間がネックになっているとのこと。
飛びぬけて美味しいと思えるのはこの北新地にある本店だけです。
おとうさんごめんなさいね、本音で。
ところで関西圏にいくと遊び慣れた人は町で出会った60歳以上のおじさんや店主を「おとうさん」と呼ぶ風習があるように思いますが、東京でもたくさん使わせてもらってます。距離感が縮まります。大阪の人は距離感を縮めるのが上手です。

さて、料理ですが、まずは生姜と少々の胡椒が効いたあさりのスープからスタート。
これが体にしみわたります。大阪はうまい、多い、安い、でないとすぐに淘汰されるところで、ここはさして安くはない店でありながら、厳しい地で続いてきた味を頂けます。
飲食業と言っても屋台やおにぎり屋さんから、修業が必要な超一流レストランまで幅広くありますが、一般的に飲食業は参入障壁が低い業界といえると思います。ゆえに新規参入が最も多い業種です。
創業から三年以内の生存率が数パーセント(個人的に数字は懐疑的なので示しませんが)と言われ、無くなるほとんどが飲食業なんですよ、とバーテンダーに教えてもらったことがあります。いずれにしても、コンビニや郵便ポストの数よりも遥かに飲食店が多いのが事実であり、競争環境としては非常に厳しい業界です。うまく行っても今度は顧客の「飽き」へも対処しなければなりません。ここ10年20年の飲食店減少数を知るとびっくりします。

細かく刻んだ棒棒鶏(のはず)。細かく、同じ大きさに揃えられ丁寧な仕事で鶏肉とネギの食感がこれまた素敵です。
ほとんど仕事でしか来たことないのでメニューについて詳しく話をしたことがないのに気が付きました。仲間と結婚するように勧める会話はしてきたのですが、次回行ったときは料理についてももっと話してきます。
本店は狭く4つのテーブルしかなく、営業時間が17時~21時ぐらいまでなので
事実上1日4組しか入れません。予約したほうが無難です。当日でも夕方早目に電話すればだいたい予約取れます。

あさりのスープが終わり、
レタスの肉乗せまたは巻物が出て(写真はこちら)、これまた美味しく、次はいよいよ鍋です。
狭い店内で場所柄必ず夜の同伴客が概ね1~2組を占めて、あとはおじさん同士組というケースが多い店です。この時代にこのぐらいのお店で同伴するのも立派なものです。そんな雰囲気の中で、私はいつも仕事か、家族とで来ています。家族にも純粋にこの美味しいあさりのスープを楽しんでもらいたいと思いつつ、加えて雰囲気だけでも夜の社会勉強も感じてもらいたいということで歓楽街。
今回は大将たるおとうさんの姿が見えませんでした。足を怪我したとのことで、早くよくしてください。というよりも、
後継者作ってください。お店のおねえさんが継ぐのかな。
この味を残していってほしく切望します。

すべておねえさんが作ってくれます。ごま油の香りが、次いでにんにくの香り立ち込めます。
このお店は、北新地で飲み(遊び)続けた70歳になるとある社長が行き着いたお店をその昔教えてもらいました。遊んで来た人が教えてくれたわけですから、これまたうまい
台湾鍋なわけです。東京では出会えない味です。
そういえばその社長さん写真が趣味でした。テーマは風を撮る、と言っていたのを思い出しました。当時は写真に興味なかったのでピンときませんでしたが。夜遊びと写真は両立できることを示した生き証人と言ってもいいでしょう。
北新地も高級クラブエリア街ですが、銀座と同じくキャバクラが増えてきた印象を受けます。キャバクラもピンキリですが。

具材も入って、出来上がりまでもう少し。
夜の世界といえば、何年振りかにメールが来たかと思えば「店出したよ」とか「雇われだけどママになったから店来てね」など、知り合いの女の子も独立したり、雇われママも増えてきましたが、総じてみんな苦労しているようです。と思えば、リーマンショックや東日本大震災のときは本当に大変そうでした、夜の街ガラガラで。そんな中飲み歩くとまたお店から大切にされたり。
夜も大変といえば、気が付けば少しずつまだ若いけど年を重ねてきた歌舞伎町の子へ、気楽な気持ちで「店でもやればいいじゃん」、と言うと「歌舞伎町にお客さん呼ぶのがどれだけ大変か分かってない!」と怒られたこともありました。ヘルプ嬢気質で妹気質の受け身なMっ気がにじみ出ている子を怒らせてしまったこともありました。

スープを注いでくれて完成です。魚介のエキスも入っているであろう味噌のたれにつけて頂きます。
一つひとつの具材に出汁がしみ込んで、やさしいけど立体感がある味で食が進みます。
怒らせてしまったその子は、定期的に世界の危険地帯へ一人旅します。国連が危険エリア一位に名指しするような南米の果てに1年行ったり、アフリカの空港でトランジット中に拘束されたり、外国の
パン屋でマシンガンを持った強盗に出くわしたり、深夜に自宅へ強盗にドアを開けられそうになったり、旅の途中気が付いたらリュックがシラミだらけだったり、ベトナムで山籠もりしたり、
危険地帯から「今年のお祭りは殺された警官少な目だったみたい」とメールくれたり。いろんな子がいるわけですが、この子はすごい、そして面白いDNAを持った変わり者の中でもさらに稀有だと思います。なかなかいない感性を持っています。時に鋭い感性で教えてもらい何気に尊敬し感謝している一人です。クルマも家電も、夜の子も、No1しか付き合わない、というポリシーを持っていた時期も若かりし頃はありましたが、こんなヘルプ気質の子なのに、人間性としてはぴか一を感じます。

〆は美味しいダシがたんまり入ったところで軽く茹でるラーメン。
たれに入れてもよし、私はスープとたれを割って頂きます。大満足の時間。
「いま六本木でやってる」と営業の連絡をくれる子もいれば、夜をあがって数年たってもいろいろな連絡をくれる子もいます。「結婚したよー」「子供生まれたよー」と連絡をくれる子もいるかと思えば、「離婚しちゃったよ」と連絡くれる子もいます。
「結婚できてねー、彼氏と別れた」と連絡くれるまだキャバでがんばっているちょいご年配さんもいます。出会ったときは20代前半で連れが指名してたのですが、10年あっという間です。早くいい人を見つけてほしいものです。と夜の出会いも旅の出会いのように、面白い縁が転がっているものです。
はじめは時給がいいとか友達に誘われてと気軽な気持ちで足を踏みれるのですが、夜を長くやるって、横目で見てきて大変だと思います。病んでる子や女性もたくさんいます。一日も早くいい客を釣ってあがってほしく願います。クリスマスケーキが売れるうちに。

最後は美味しそうなデザート。

と、ジャスミン茶。
最盛期は東京から一年間、月一、多いと月二で通ってました。いい意味で変わらない味とサービス。そして気遣いに心遣い。
また寄らせてもらいたいと思います。

店前同伴の時間帯なのか、まだまだ同伴とおぼしきカップルがたくさんの北新地を、

大人しくホテルまで家族と散歩。

仕事帰りのビジネスマンがちらほらと。本日も一日おつかれさまでした。

大阪は一時期よく来ていました。最盛期は隔週で月二回ほど、一泊か、多いときは数泊で一年間通いました。さすがにクルマとはいかずその頃は基本新幹線、気分転換で伊丹へ飛行機で通いました。さらに気分転換のときは関空です。が関空はやっぱりアクセス不便です。
出張時は仕事して飲んだあと寝るだけなのでビジネスホテルが多い中、大阪は来る頻度が多く、あるときから体をいたわってあげようと思いシティホテルに泊まることにしました。じゃらんだと安く泊まれますし。
大阪の主要なホテルはほとんど泊まり、写真の丸い建物、大阪丸ビルの第一ホテルはいまいちだったような記憶があります。
大阪でキャバ一筋のいい年して独身のおじさんお勧めの阪急インターナショナルがたしかに一番よかったように思います。

今回は大阪ヒルトンホテル。ここだけ泊まったことありませんでした。これで大阪シティホテルコンプリートというやつです。
大阪へよく来ていた頃は、だしが効いている立ち食いうどんは必ず食べて、これがまた美味しく、
加えてどうせだからと、すべてのシティホテルのカレーライスを制覇しました。
大阪シティホテルカレーライスランキングとしては、
この
大阪ヒルトンホテルのカレーライスがダントツで美味しかったです。
次点で
ホテル阪急インターナショナル、次いで
リーガロイヤルホテルです。
明日は梅田スカイビルに寄ろう。
夜の街も感じつつ、でもそわそわしないで、
台湾鍋を食べに
ドライブへ行こう。