せっかくの大砲なのでクリック画像は、軽いデータ・大きめ画像になっています。

仕入れてから
一回ほど出番があっただけ、しかもほんの少しだけでほとんど使っていないと言ってもいい
EF200-400mm F4L IS USM エクステンダー 1.4×。「公園にでも持って行ってみるか」というわけで自宅を出てまずは久しぶりに二ーヨンヨンで一枚。

大砲でスナップでも、と思ったのですが行ってみればもみじが綺麗で、ほとんどもみじばかりを撮ってしまいました。結論を言うと、これはこれで面白味を見つけ出したのですが、まずはただUPで撮ってみるだけでした。

やっぱり重い、ピントもずれて一枚ながら、面白い暈けができました。と言いますか、真上に向けると合焦したあとに自重のせいなのか、ピントがずれます。

そういうもので、真上に向けるのはあまりよくないかと思い念のためキヤノンに問い合わせてみれば、構造上そんなはずはない、と。もしかしたら設定ミスかまたは不具合の可能性もあるので様子を見てだめそうであれば点検へ出したいと思います。城南島でも真上のときにピンがずれAFし続けないとだめだった気がしたので、もしかしたら初期不良かもしれません。

圧縮効果を見るために一枚撮ったものの、銀杏の絨毯がまだこれからで今ひとつ。いや時間も遅く木の上はまだ西日が当たっているものの、光の入り方もだいぶ悪いです。もっとアンダーにするか、オーバーにするか、するべきで中途半端な一枚となってしまいました。そんな中、西日のバックライトはとても綺麗だと思いますが、朝日のバックライトがこんなにも綺麗なんだと、先日知りました。早めの朝散歩もできるようになりたいところです。

ところで工業製品というものに不具合は付きものであって、いくつもの製品を使っている中で少ないほうといえばそうかもしれません。いずれにせよ、不具合よりも、たとえ対価を支払っていたとしても、これだけたくさんの写真や記録、思い出という利益を享受し、あるいは多大な投資と知恵、そして労力の賜物である、これだけの技術と製品群を使わせてもらい自分なりのではありますが成果物のほうが多いのであって、感謝しかありません。年とともに自然とそう思うようになりました。そもそも海外へ行くと雑か汚いのが信条な勢い。

なんでも同じだと思うところ、クルマやあるいは政治も、享受している利益のほうが圧倒的に大きいと思うのですが、受けた利益は忘れて、自分では同程度の物すら作れない中で、小さなミスばかりをまるで正当な権利のごとく追求するケースも見受けられますが、一歩立ち止まって受けているお世話のほうが多いことに気が付きたいものです。と若かった頃の自分へ伝えたい。

合わせて、その人その人、その人なりに一生懸命に生きているのであって、目くじらを立てないで、とも。それでも、あまりに酷いと思うケースもありますが、それでも怒るエネルギーもだんだんとなくなりました。大企業やその委託先のサービス部門と消費者として触れ合うこともあるわけですが、やる気ゼロで仕事をしている人も多くいます。いろんな人がいて、世の中が成り立っているわけで、あるいはエネルギー量も生まれつき違うものなんだと中年になってから教えてもらい知ってみれば、仕方のないことだらけだと。いろんなことを教えてくれたのは夜の子でした。

そろそろ
あの子も、またアフリカ経由でブラジルへ行く頃です。行く前に一度飲みに行こうと声を掛けてくれていろいろ聞きたい話しもありつつ、今はどっぷり、あと二年少々集中したいことがあり、実現には至りませんでした。10年前に知り合ったとき20歳だった子は今30歳、25歳だった子は今35歳、それぞれみんな年も取るわけで、
シフトはチェンジ日産です。

なんでこの重いレンズを持って来たんだろう、西日で燃えるように真っ赤なもみじを引いて撮りたい、そんな反省と葛藤の中、後進もここで一皮むけ「リーガルもします」なんていう言い回しをするようになりました。靴ではなくて、リーガルチェックの略です。

重要事項は異なる弁護士事務所でダブルにリーガルする、慎重さ、換言すれば非常に強いやり抜く意思と緻密さを感じるようにもなりました。やっともう一皮むけ、望外の成果にたどり着いたと感じる後進もいれば、いまトンネル真っ只中の後進もいつつ、

総じて後進の仕事はたくさんの課題も含めて順調そうであり、さらに次の後進も育ちつつあり、いやかなりよさげであり、そういう意味では後進育成は順調と言えますが、私自身が陣頭な指揮を執る仕事は今年はあまりうまく行きませんでした。まだまだ潮時とは思いたくない加齢ながら、無駄なことは一切したくないので待ちも多い中、少ないチャンスも形にできず終い。来年ゆっくりがんばって帳尻を合わせつつ、あと二年は仕事としては少々ゆっくり気味にするつもりです。

来年の話をすると鬼が笑う、と言いますが笑わせておけばよいと思います。なぜならば鬼は部下であり、こちらは閻魔だから、ぐらい強気で思っていましたが、それは今も変わりません。来年どころか、先を見据えて、考え抜いたことに基づいて行動をしていきたいながら、歩きすぎた日は足首が痛くなるような年齢。
このあたりからたった一枚のもみじをさがしはじめます。まずは木の幹を背景にして一枚を見つめて。

性格の分類は幾多もありますが、元々は医学の領域から出だした分類方法にAタイプ、Bタイプ、Cタイプというものがあります。血液型の分類に似ていますが、性質の分類です。Aタイプは英語でアグレッシブやアクティブなどAの文字ではじまる単語の要素を多く持っている人で、言ってみれば競争心が強く、行動的、積極的、攻撃的で、暑苦しい人や面倒な人に多いかもしれません。

このような人は自分の体へ負担もかかりストレスも多いので、心筋梗塞や脳溢血、糖尿病などの病気になりやすいとされています。マイクロソフトは一時期、知能指数が高いAタイプしか採用しませんでした。インテリジェンスな攻撃的組織をデザインするためです。

より正確に言いますと、オーバーアチーバーの高IQなAタイプがMSの採用最低基準な時代がありました。オーバーアチーバーとは自分の能力以上の成果を出すの人ことです。本来偏差値60程度の能力なのに、70程度の結果を努力して出す人のことを指します。逆はアンダーアチーバーといい、本来は偏差値70程度の能力があるのに、努力が足りずに60程度の成果しか出さない人のことを指します。

今も見聞きするにつけ、MSに限らずアップルやアマゾンもそんな人たちの巣窟な気がします。並みの攻撃性、競争心ではありません。強い、強すぎる組織です。プライドも高いのは当たり前なので、ちょっとでもイジると激高、つまり小さな船を買っておこおこプンプン丸という船名を付けようと真剣に検討したことがありました。おこおこプンプン丸は江の島周辺で遭難し、救難信号を出すものの、乗船員は近くのラブなホテルに避難していた、というシナリオです。

遺伝子、つまりDNAの話しは差別を生みやすいので、社会的にタブー視をされているところもあり、このネット社会でも想像以上に表に出てこない話もあります。ノーベル賞受賞者、あるいは大臣など社会的に地位の高い人でも謝罪したり、社会的に抹殺される領域のことなので、

言葉には気を付ける必要もありますが、遺伝的要素は概ね9割に達するという最新の見解もあります。本人の努力が及ぼす影響はプラスマイナス5%と唱える遺伝子学者もいます。面白い数字をあげるとすると、とある調査では攻撃的なDNAを有している日本人は2~3%だそうですが、アメリカ人は実に50~60%もの人が攻撃的なDNAを有しているそうです。とすると、国としてあれだけ好戦的なのもうなずけます。移民を差し引くと、ほとんどの白人が攻撃的、と言えそうです。企業も推して知るべしでしょう。
アメリカが好戦的なのはコーヒーのカフェインが原因だと唱える
齋藤孝氏の説にも強力な反論となりうるような気がします、というよりも緑茶のほうがカフェイン多いわけなので、わざわざ遺伝子的見地を持ち出すまでもなさそうです。

日本の自動車メーカーの中では中堅前後なマツダ。の本社に見学へ行ったことがあるのですが、大きな橋もかかっていて、スケールが違いました。どころかマイクロソフトの本社も見学へ行ったことがあるのですが、マツダの本社とは比べ物にならない、これまた壮大すぎるスケールでした。

そんなマイクロソフトのウインドウズ10に無償アップグレードしてみました。無料ではなくて、無償と呼ばせるところがまた怖くもありますが。アップルがなぜ飛躍したのか。本に書いてない見解を言えば、ビルゲイツが第一線を退いたからだと思っています。支配的見解たる革新的商品が起因なんだとすれば、もっと早くに飛躍していてもいいはずです。ジョブズ氏は天才だと思いますが、ゲイツ氏のほうが頭脳が明晰であり、かつ攻撃性も高かったのだと思います。駆逐してくる一番のライバルがいなくなった結果です。キャバクラで言うと、不動のNO.1が辞めて繰り上げ当選。

日ももみじの高所にかからなくなりはじめ、途中からこのレンズでないと撮れない写真を撮ろう、と考え始めました。
BタイプはAタイプに反して、おっとりゆっくりしている人で、病気にかかりにくいとされています。
Cタイプは、Bタイプと同じく一見おっとりして見えるのですが、真におっとりしているわけではなく、全部がまんしているタイプです。このような人はストレスを蓄積しすぎて、ガンになりやすいとされています。

高いところの葉と、さらに高いところの葉をバックにして、と考えてみたり、

たった一枚の主役を探してみるのにはじまり、どんな構図がこのレンズならではなのだろう、と考えはじめてみると、けっこう面白いものです。
私見ながら、政治家はBタイプが向いていて、でないとメンタル的に潰れてしまうか、早いお迎えが来そうです。そもそも迎合するタイプでないとその前に社会的に潰されそうです。少し前の衆院選で知り合いが晴れて、いや暇つぶしのコネで政治家へとなったのですが、かなり叩かれている中、本人はまったく気にしていない様子です。一応花は送りました、先日誕生日だったスナックのママにも。

露出のコントロールだけで白黒っぽくしてみました。レンズとしては弩級と言ってもよい重さにも気が付くとなれてきます、それはまるで重い責任と同じように。若いときはたった一人の人生を預かるのも緊張し気負ったものですが、今では数百人、家族も含めれば軽く1,000以上の人生を預かっても気楽になりました。ゆっくりがんばって万以上も預かっていく所存の方針です。

責任と責任感は異なるところ。責任があるのに、責任感がない人もいたりします。責任というとネガティブに捉える人もいるかと思いますが、責任というものは全うするほどに成長をさせてくれるエネルギーの一つなのではないかと思うところです。手を抜くことも、全部または一部放棄することもいつでも、だれにでもできます。

大人と子供の差は何か、とその昔たくさんの人に質問をしたことがありました。家庭を養っているのが大人や、子供を育ててるか否か、という答えが多かったように思いますが、私は違うと思います。近年でいえば毎年100万人の新成人が発生するわけですが、つまりは概ね200万人の子育てをし終わった親が同時に発生するわけであり、毎年200万人の立派な大人がこの世に発生しているとは、到底思えません。50、60で子育てが終わった人でも、どう考えても大人、ましてや立派な大人だと思えない人を探すは難しいことではないと思います。大人と子供の差は違うところにあるのではないか、と思う次第です。

教育とは、教え育てて教育であり、教えることは簡単なのですが、難しいのが育てるほう、だと身に染みるほど実感してきたように思います。知識や物事、あるいは社会など教えて済むのなら、こんなに楽なことはないと思います。子供を育てることは非常に楽しいです。わが子だから、というのもありますが、後進の場合は誰かが、ほとんどの場合は親御さんが土台を作ってきたので、既に何かあるわけです。この土台が限界を狭める場合も多々。自分の子供は土台から作っていけられるので、非常に楽しくもあり、そして楽です。吸収力もすさまじいですから、教え甲斐も段違い。

このレンズならではな一枚、ということだと今回はこれが一番それに近いかなと思う一枚です。手前のもみじを、もみじのトンネルにして、ずっと奥にまたもみじを作りたく、木とにらめっこして、もみじの道を探しました。なかなかありそうでないものです。

二匹目の金魚を探して。
同じように、若いということは吸収力があるということであり、そしてエネルギーもあるわけで、世間の大人が「まだ早い」というようなことでも、環境を用意していけば実はとんでもない成果を出すことがまったくもって、中年以上よりも実はできるものだと思っています。

古いレンズ入門編に手を出してみました、しまいました。先人が積み重ねてきた英知、中年ができることは味を出す程度、若いとは、無限の可能性。
温泉に
ドライブへ行こう、根暗行ってきます。